巨大な地下トロッコ道は、爆発的な発展を遂げた「副都心・渋谷」の歴史を物語る
【ガイド】建築史家・斉藤理さん
1972年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。博士(工学)。東京大学研究員のほか、慶応義塾大学などで講師を務め、2011年より山口県立大学准教授、中央大学社会科学研究所客員研究員。2004年、まち歩き企画「東京あるきテクト」開始。2007年より建物一斉公開イベント「open! architecture」の企画・監修。2010年より東京都観光まちづくりアドバイザー。著書に『東京建築ガイドマップ──明治大正昭和』(共著、エクスナレッジ、2007)など。
(参加者)こんな地下道があったんだ!すごい!どこから、どこまでつながっていて、どのくらいの長さがあるんですか?
東館から東横線高架下まで約200メートルに渡って巨大な地下道が続く。
(関係者)この地下道は、東急東横店に荷物運搬するために使われているトロッコ用のものです。ルートは東館地下1階から国道246号線を潜って、東横線の高架下にある検品所まで。長さにして約200メートル、無人トロッコの時速は約1km/hで常時運行していました。
(参加者)でも、こんな巨大な地下道をどうして造ったのでしょうか?
渋谷川沿いにある東横線高架下の検品所(左写真)で荷物を無人トロッコ(右写真)に積み、地下道を移動し東館まで運搬する。
東館は渋谷川の上に建つ橋上百貨店として知られる。
東館は渋谷川の上に立ち、上には山手線や銀座線が走っていて相当制約がある。さらに渋谷駅周辺は人を中心にした広場が広がっていて、車も付けられない。こうした問題を解消したのが、この地下道ではないかと思う。商品を入れるための装置としては面白いし、やはり、電鉄的な発想なんでしょうね(笑)。でも、こんなに長いとは知らなかった。東館は1934年(昭和9年)に1号館が出来て、その後、1937年(昭和12年)に銀座線の渋谷駅がある2号館、戦後に東横線の旧・渋谷駅に接する3号館が完成していく。本当に他のどの事例にもない複雑な継ぎ接ぎ、建て増しを繰り返してきたわけですが、これは時代の申し子みたいなところがあったのだと思います。関東大震災や第二次大戦以降、予期していないスピードで人が西側に移動してきて、それに伴いデパートの機能もどんどん必要とされるようになってきたはず。必然的に渋谷の街も大きく成らざるを得ず、そうした急激な需要を解消するために、商品を迅速に運ぶ巨大な地下通りが造られた背景があるのではないだろうか。このトロッコの長さは、まさに渋谷の予期せぬ、大正期以降の爆発的で大々的な発展を裏付けていて。渋谷という郊外地と接している副都心が、急速に大きくなった歴史を物語っていると言えるかもしれません。
(参加者)需要を満たすために、必然だったのでしょうね。
でも、地下道の存在は、全く知らなかったな。きっと造るときには相当苦労したんじゃないですか。苦労というのは技術的なこともですが、法的な手続きなども大変だったと思う。そもそも東館は川の上に建物が立っているわけで、当時、どうやって許可を得たのか?もちろん、五島慶太さんの力があったのでしょうけど。まさか川の上にデパートが出来るなんて、驚いた人もきっと多かったんじゃないかな。いずれにしても、この東館が渋谷の街に新しいブレークスルーを切り拓いた原点と言えるでしょうね。
渋谷川や幹線道路などの制約を避け、巨大地下道ではスムーズに運搬作業が行われている。