2008年6月14日の副都心線開業に先駆け、NPO法人 渋谷駅周辺地区まちづくり協議会主催による「まちづくりシンポジム」が開催されました。このシンポジウムでは副都心線開業後、東横線の跡地開発も含めて5年、10年、20年というぐらいのスパンで、「まちの将来像」について渋谷で活躍される5人のキーパーソンと話し合いました。
※記事は90分間に及んだ意見交換の中から、一部抜粋・編集したものを掲載しています。
- シンポジウム開催概要
- 日時:
- 2008年6月9日(月)
- 会場:
- セルリアンタワー東急ホテル
- 参加者:
- 300人
ホコ天のような表現の場が生まれてくると、それが渋谷の文化になる
若者が多少何かをやっても許してあげられる、寛容性を大事にしなくちゃいけない
パネリスト
梶原 進 氏(ライブハウス・DUO Music Exchange)
DUO Music Exchangeの運営から海外アーティストの招聘も手がける(株)ソフト・コマース代表。
DUO Music Exchange
藤田 志穂 氏(シホ有限会社G-Revo 代表)
アジアからも注目される109ファッション、アパレルショップ「REVROSSA CLARITY」をプロデュースした若手女性社長。
シホ有限会社G-Revo
神谷 幸鹿 氏(東京コミュニケーション放送 専務取締役)
地域メディアとして活動するSHIBUYA-FMの設立メンバー。
SHIBUYA-FM
田中 一 氏(ビストロボルドー代表)
38年間ワインビストロを経営してきた渋谷の食文化の担い手であり、円山町会長。
ビストロボルドー
井口 典夫 氏(NPO法人 渋谷・青山景観整備機構 [SALF] 理事長)
青山学院大学社学連携研究センター所長・教授。
NPO法人 渋谷・青山景観整備機構 [SALF]
コーディネーター:西 樹 氏
(シブヤ経済新聞編集長)
ニュースサイト「シブヤ経済新聞」の運営をする(株)花形商品研究所代表。
シブヤ経済新聞
西:パネリストのみなさんに文化という視点から、渋谷の将来像について伺ってみたいと思います。まず、梶原さんからお願いします。
梶原:渋谷にはレコード会社、出版社、ライブハウス、クラブ、多くの音楽関係の法人があります。ただそれが、イコール文化の発信であるかというふうに言われたときには、多少疑問にも思っております。では、渋谷の方々と音楽業界と結ぶ点は一体何か。それから、若い人たちと渋谷の接点とは何か。例えばアメリカのサンタモニカでは、小さなクラシックのイベントですとか、ちょっとしたコンサートといったものがよく行われます。何が素晴らしいかといいますと、パシフィック・コースト・フリーウェイという海岸沿いの道に、コンサートやイベントの旗が何十メートル、何百メートルと続くんですね。カラフルで、素晴らしいデザインの旗が並び、今週はこういうイベントがある、ということをまちぐるみで応援しているわけです。サンタモニカの住人、そこを守っている方々を含め、文化活動に対して非常に積極的なんです。文化発信というのは、実際は内面的なもので、複雑なこともいっぱいあるんですけども、内面を引っ張り出す誘因として、外面を創り変えていく、創っていくということも必要なのではないか。去年、第2回渋谷音楽祭があり、私もTシャツをプレゼントするなど応援させていただきました。この催しも、もう少し大きく、1日ではなくて、1週間とか10日間に、それからカメラアートや、ファッションアートなど、そういう「渋谷スタイル」的なものをやってはいかがでしょうか。そういった発信する期間が長くなると、地方の方々、そして渋谷にいる方々にも共感していただけるのではないかなと思いますし、そういうことを提唱できればと思っています。
西:藤田さん、なぜ渋谷に若い人が集まってくるのでしょうか。
藤田:わたしが渋谷に興味を持ちだしたのは、まずファッションだったんです。もっと絞って言うと、やっぱり109。ギャル雑誌と呼ばれる中で写ってるものって、すべて109で売っているものだったりとかして。例えば、セシルマクビーという服を着てれば「セシラー」とか、それを着てるだけでギャルの種類がどんどん増えていく。わたしも、そのうちの一人だったので、109なしではファッションは語れないと、今でも思ってます。
西:109の渋谷という印象が若い人たちには非常に強いのでしょうか。
藤田:地方にもいろんな店舗があるんですけど、やっぱり109で買ったものがギャルの中でもいいっていうか。「それって、どこで買ったの?」って言ったときに、「マルキュー」って言えば、「やっぱりちょっとギャルの中でもちがうよね」みたいな。修学旅行生ってみんな、109の中で一番上の階から、下に下がっていくんです。どんどん下がって、一通り全店舗見て、今度は下から上がっていくんです。それだけで1日潰せるし、若い子たちに「渋谷のデートスポットって、どこ?」って聞くと、マルキューなんですよね。映画とかよりも、全然109みたいな。男の子とでも、女の子同士でも、楽しめる所になってる感じですね。
西:なるほど。強力ですね。
藤田:強力(笑)。わたしは、今、109にショップを持っているので、その強みっていうのを使っていきたい。わたしの勝手な目標ですが、将来、農業に若い子たちがもっと興味を持ってもらえたらいいな、と思っていて。中国製はよくないとかって言ってるけど、嫌だったら、じゃあ、つくればいいんじゃないかと。でも、ぶっちゃけ、農業スタイルってダサい。見た目がイケてないと、やっぱり興味を持ちづらいっていうのがあるんで。ギャルファッションを強みにして、おしゃれな野良着を作りたい(笑)。田んぼや畑とかを作って、若い子たちが渋谷で生産率を上げるとか、何かそういうことができたらいいなと。
西:藤田さんの話、かなり頭の中が刺激されます。神谷さん。渋谷は情報発信拠点とよく言われるんですが、本当に情報発信力があるのでしょうか。
神谷:ハードとソフトが一体となっていることが一番望ましいんじゃないかなと、思っています。かつて、渋谷と原宿の間で、ホコ天という文化がありました。パンクバンドThe Clashのボーカル、ジョー・ストラマーが、1980年ぐらいかな、ホコ天を訪れたときに「素晴らしい」と。これがロンドンであれば、これだけの人が集まっていれば暴動が起きるだろうと。統一されているわけではないけども、アーティスト側から、それから、オーディエンス側も一緒になって楽しむって素晴らしい文化だ、と言っていたそうです。そういう素晴らしい文化が、今度の渋谷のまちづくりにおいて生まれてくると、また新しい波が生まれていくんではないかなと思います。ただ、イリーガルなものはイリーガルですので、それを続けていくということは難しかったと思うんですが、それをリーガルにできるような今後の渋谷のまちづくりであってほしいと思ってます。
西:ありがとうございます。それでは、田中さんには食の分野から渋谷の将来について、お話をいただければと思います。
田中:この間、渋谷区で畑を貸し出すというので、隣の人と共同で葉書を2通ほど出しましたけど、見事落選しました。受かれば、そこで作った野菜を、トマトでもキュウリでも、渋谷で作った野菜だよと言って売ろうかなと思ったんでですが。僕のやってる仕事、スローフード的なものと、まちの発展と、かみ合わせるのが難しいんじゃないかなと思います。過去のものを大事にしながら、それを飲み食いしていこうという、特にワインなんかに関してはまずしまっておく。売るのは少なくとも7年とか10年かけて、それから売るんですね。そういうスタンスが我々の仕事なんですが、今、ユーロが高い。ユーロが高いとワインが買いにくい。買うんですけれども、今度は売りにくくなってしまうので、ビジネス的には、うーんという、ため息をついています。今回、副都心線が出来た事で、渋谷に新たに人が来てくだされば、人の心を惹きつけるような店をつくることも大切かと。渋谷で野菜ができて、渋谷のキュウリが売れたら一番良かったんですけど。渋谷は、ワイン同様にのんびり、ゆっくりと歩けるようなまちにしていきたいと思っております。
西:はい、ありがとうございました。井口先生から、今度はまちづくりという観点で渋谷の将来を伺いたいと思います。
井口:梶原さんが主張された望ましい街の姿は、我々専門家の中でクリエイティブシティ(創造都市)と呼んでいる概念そのものです。これはチャールズ・ランドリーが提唱してきたもので、アメリカのシアトルやオースチン、スペインのビルバオやバルセロナなどが、そうした範疇に入ります。文化政策の一環として都市のあり方を考え、その中でソフトとハードを検討していくというスタイルですね。渋谷もその方向で間違いないと思っています。わが国の場合、本当の意味での創造都市は札幌だけです。古くは雪まつり(創造的な時間)を文化政策の中に位置づけ、最近ではイサム・ノグチの遺志を継いでモエレ沼公園(創造的な空間)を完成させました。今後、札幌のような行き方を、渋谷が本当にできるのかどうかが問われています。一時的に六本木や丸の内・銀座・汐留が注目を浴びていたとしても、それを渋谷が追随するのではダメです。ああいった街は決して良いお手本というわけではないからです。それでは渋谷ならではのものは何か。逆に渋谷が失ってはいけないものは何なのか。それは地べたの街だということです。路面店と坂の街。渋谷はストリートカルチャーで栄えてきたんです。最初は基軸としての宮益坂・道玄坂、次いでシブチカからセンター街への流れ、その後はパルコの立地で公園通りが活気を帯び、スペイン坂でつながり、さらには109やBunkamuraによって文化村通りが栄える。つまり、次から次へと新しいストリートでやってきたわけです。昨年、渋谷区によってまとめられた駅周辺まちづくりガイドラインにおいても、最初はその点が完全に抜け落ちていましたので、地元が頑張って「路面店と坂の街」というキーワードを入れ込み、ようやくまともなプランに近づきました。渋谷のことをよく知らない人間が将来構想などを考えると、とんでもない方向に行ってしまう例ですね。危ないところでした。もう一つ失ってはならないものはNHKです。東京都はオリンピックに合わせてメディアセンターを築地に持っていき、NHKも付き合わせることを考えていたようです。オリンピックは大賛成ですが、NHKを持っていかれては大変です。最後は大学の活用です。シアトルもサンフランシスコも、大学を活用して創造都市を作り上げてきました。渋谷には日本一の青山学院大学があります(笑)。本日、私は渋谷駅近くに住むまちづくりNPOの代表者の立場で出席していますが、同時に青山学院大学の教員でもあります。青山学院大学では、本年4月に渋谷文化を専門に研究・教育する総合文化政策学部を開設しました。世界的な学者・クリエイターを教員に集めたことから、開設1年目で早くも入試競争倍率30倍の難関学部となりました。渋谷文化を創造する上で、この学部は最大の戦力となり得ます。NHKと青山学院大学という装置・資源からすると、あるいは埼玉・神奈川方面からの終着駅が渋谷であることに鑑みるに、もはや新宿・池袋や六本木・丸の内は競争相手ではありません。渋谷は完全に「勝ち組」です。この環境条件を大事にしたい。副都心線と東横線をつなげるのは、むしろゆっくりやってもらいましょう(笑)。そして我々の目線はロンドン、パリ、ミラノ、ニューヨークや世界の創造都市に向けるべきなのです。
西:非常に心強いメッセージをいただきました。神谷さんはストリートに近いところで活動をされていますが、まだ、これから具体的にやっていけることは何でしょうか。
神谷:パブリックのアーティスト、音楽だけではなくて、多種多様なアーティストの表現の場。ストリート空間があることで、新たなものが芽生え、それが渋谷の特徴の一つにはなり得るんじゃないのかなと思っています。それから行政側がもっと門扉を開いておいてほしいですよね。
西:藤田さんのように若い世代からすると、町とか行政も含めて、どういう支援をしてもらうと活動の輪が広がるなと感じていますか。
藤田:大人の人たちは大人たち、子供は子供たちじゃないけど、渋谷って、分かれてしまうような気がするんですね。例えば109の前で「雑誌に出ませんか?」っていうところから、初めて大人の人たちと触れ合い、新しいことができたりとか。渋谷にいる若い子って、大人から遠慮されがちというか。もっと大人の人たちと若い子たちが意見交換のできる場所というか、本音で何かできるような、そういう機会があれば、もっと面白いことができると思うんですよね。
西:田中さんは、円山町の会長さんでいらっしゃる立場から、その若い方たちとの交流のようなものを意識して、活動されていることはございますか。
田中:クラブだとかライブに来る人たちが落書きをしていたり、ステッカーを張ったりすることでまちが汚れていく、それを私たち町会としては消していこうとか、無くしていこうとしています。若い人たちが、発信したいんだけど、どこで発信できるか、そういう場所を提示してあげれば、落書きもしなくなるでしょう。もし落書きをするなら、この壁は例えば1カ月間だけお貸ししますよ、みたいなことにしていけばいいんじゃないかなと思います。
西:梶原さんはいかがですか。
梶原:そうですね。若い人たちに、ここに白い真っ白な画面があって、ここを貸すから、好きなようにいたずら書きをしなさい、と言っても、たぶん描かないと思うんですよね。若い人たちはそうじゃないところ、つまり危険を犯したり、描きたい所に描くことで、自らの主張がある。ですから、大人の人たちの心構えと若い人たちの夢とのギャップというか、違いが出てくるのかな。僕なんかが思うのは、若い人たちが今までつくられてきた渋谷のまちというものに対して、もう少し受け入れられる柔軟性、フレキシビリティを持ちなさいといいたいですね。若い人たちが何か夢を持ったとき、必ずいろんな条件がついてまわります。それは世界共通です。それを渋谷はいいよっていうのは、あまりいいことだと思わないんですね。まちは若い人たちがつくるとよく言われますが、僕は大人がつくるものだと思っています。若い人たちに、ちゃんと正しいことを話していってあげられる、そういう勇気とか、環境づくりも大切なことだと思います。
西:井口先生、若い方と大人の方の接点についてどうお感じになりましたか。
井口:私の翻訳した『クリエイティブ資本論』の宣伝になりますが、著者のリチャード・フロリダの実証分析結果によれば、都市や経済を成長させるのは、技術や才能もありますけれども、決め手は寛容性だということです。ところが街のルールをいろいろ作るという方向になると、それは不寛容な街にしていくことと同じになってしまう。それではうまく行かないですよね。若者が自由に動ける、何か変わったことをやっても許してあげられる、そういう空間なり機会を用意してあげることが、都市や経済の成長に結びつくのだと思います。私が若い頃、歩行者天国の表参道に目一杯落書きしている人がいました。キース・ヘリングという世界的なアーティストでした。規制を厳しくしては、そうした方々の活躍する場面もなくなってしまいます。創造都市にはなれないわけです。渋谷の活力は実は寛容性から来ているのかもしれません。そうならば、その寛容性を大事にしなくてはいけないですね。具体的にどうすればよいのか。先ほど藤田さんが、若者と大人が接する機会をつくってほしいと話されていましたが、賃料が高くて若者では簡単に店も開けないわけです。そこで私が主張しているのは渋谷川の上部です。一部には渋谷川を緑と水の軸にするなどと、無責任な発言をされる方がいます。確かに駅至近の緑と水はホームレスの方々に最高の空間を提供してくれます。ただし週末に埼玉県や神奈川県から来る多くの方々が渋谷に何を求めているのか。緑と水を求めて来ているとは思えません。ハチ公交差点で代表されるように、様々な人や文化に出会い刺激を受けたい、街の活力を満喫したい、できれば自分も参加したいというのが本当の気持ちだと思うのです。稠密な渋谷の中心地区に唯一残された貴重な公共空間である渋谷川の上部を、新しいストリート文化や産業のインキュベーターに見立て、見込みのある若者たちに安い賃料で貸し出す。しかも、あまり厳しいルールを設けずに、できるだけそこを寛容な場所(特区)として育てて行く。若手のアーティストや起業家を次々と受け入れ、事業に成功した者から順に、このセルリアンタワーに事務所を移してもらう(笑)。その循環と活力で、渋谷は一層輝く。若者と大人との交流もその過程で十分に図れる。そのような明確な戦略をもって臨むことが必要であろうと思うのです。
西:まちがどういうキャパシティで若者たちの文化なり、ストリートを受けとめていくか、そういう寛容性ということがキーワードになっていたような気がします。若者がせっかくいるまちなのですから、彼らの考えとか、やりたいことにも耳を貸しながら、「渋谷スタイル」という一つの大きなフレームの中で、渋谷以外にどこにもないまちを目指すということができるのではないでしょうか。4年後には、渋谷らしさという点で少し成長しているまちになっていることを祈念して、このパネルディスカッションを終えたいと思います。パネリストの皆様、ありがとうございました。