SHIBUYA BUNKA SPECIAL

シブヤ経済新聞が伝えた「2000-2009 渋谷10大ニュース」

渋谷マークシティが誕生した2000年4月7日、この日に同じく創刊したのが渋谷の街を経済・文化の視点から伝えるニュースサイト「シブヤ経済新聞」。広域渋谷圏の小さな街ネタを10年間にわたってニュース記事として配信してきたシブ経は、まさに渋谷の記録係といえる存在です。そこでこの10年間にニュースにしてきた約7000本の記事の中から「シブヤ経済新聞が選ぶ10大ニュース」をピックアップ。編集長の西樹さんに当時を振り返りながらお話を聞きました。

2000-2009 渋谷10大ニュースランキング

1個

2002年日韓共催ワールドカップで沸く渋谷(2002/06/21) 2002年5月末から1ヶ月間、アジア初のサッカー世界選手権「2002 FIFAワールドカップ」が韓国と日本で同時開催。渋谷がサポーターの白熱ムード一色に。

2

「モヤイ像」がドレッドヘアに初変身−プロモーションの一環で(2005/07/20) トータルヘアケアブランド「モッズ・ヘア」のキャンペーン企画で2005年7月23日から1週間、JR渋谷駅南口近くにある「モヤイ像」が初のドレッドヘア姿に「変身」。

3

渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ「渋谷東急文化会館」(2003/06/06)1956(昭和31)年、渋谷駅東口にオープンした渋谷東急文化会館が2003年6月末、47年の歴史に幕を下ろした。

四個

渋谷109「福袋」に4万人の列−恒例「福袋交換会」で騒然(2007/01/02) 2007年1月2日、初売りとなったSHIBUYA109に福袋を買い求める長蛇の列ができた。オープン後、1階エントランス付近は福袋の中身を交換する若者で騒然と。

渋谷に「ヤマダ電機」旋風−LABI渋谷開業で文化村通りに長蛇の列(2008/09/26)2008年9月26日、「SHIBUYA109」の隣接地にヤマダ電機「LABI」業態の都内9店舗目となる「LABI渋谷」がオープンし、開店前に数千人が行列を作るなど、渋谷に「ヤマダ」旋風が吹き荒れた。

6

岡本太郎・巨大壁画「明日の神話」渋谷駅に安住へ−公開始まる(2008/11/17)JR渋谷駅と井の頭線改札を結ぶ「渋谷マークシティ」2階連絡通路で2008年11月17日、芸術家・岡本太郎が描いた巨大壁画「明日の神話」の一般公開が開始。

7

「東京ガールズコレクション」に2万人−海外プレスも取材(2006/09/05)女性向けECファッションサイト「ガールズウォーカー」の大型ファッションイベント「東京ガールズコレクション」(TGC)が2006年9月3日、国立代々木競技場第一体育館で開催された。集客は過去最大となる延べ2万人以上。

8

川嶋あい、ハチ公前広場で1000回目の路上ライブ(2005/04/01) 2005年3月30日、渋谷ハチ公前広場で川嶋あいさんの「1000回目」となる路上ライブが行われ、大勢のギャラリーが見守る中、デビュー曲「天使たちのメロディ」披露。

9

東京メトロ副都心線、「期待」乗せ開業−渋谷駅は始発前に行列(2008/06/14)東京メトロは2008年6月14日、埼玉県南部と都心部をつなぐ全長約20キロの新路線「副都心線」を開業した。

10

渋谷・ハチ公前交差点に石原良純さんが「大量出現」(2007/02/24) 2007年2月24日、宇田川町・道玄坂界隈に石原良純さんの「お面」を被った集団が「大量出現」した。石原さんがイメージキャラクターを務める「タウンページ」のプロモーションの一環。

渋谷が一番盛り上がった瞬間

サポーターで埋め尽くされたハチ公広場 ©シブヤ経済新聞

堂々の第1位は「2002年日韓共催ワールドカップで沸く渋谷」(2002年6月21日記事)です。このときは日韓の共催だったこともあって、日本でのワールドカップの拠点が特に無かった。けれど若いサポーターたちの間には「一カ所に集まってみんなで盛り上がりたい」という自然の集団心理が働いた。そこで「とりあえず渋谷に集まってみようか」という感じで、渋谷に大量に人が押し寄せました。スクランブル交差点は一時群集に占拠されるんじゃないかという瀬戸際状態にまでなって…。今さらながら事故や目立った混乱がなくて良かったなぁと思いますが、この10年を振り返って、渋谷ハチ公広場が最も盛り上がった瞬間でした。

情報発信の場としての渋谷

トヨタカッププロモーションで「ドレッドヘア」になったモヤイ像 ©シブヤ経済新聞

2位は「『モヤイ像』がドレッドヘアに初変身−プロモーションの一環で」(2005年7月20日記事)。初めて渋谷の「モヤイ像」が広告プロモーションとして利用されたニュースです。モヤイ像はハチ公と同じように渋谷のシンボルの一つ。全国にモヤイ像はいっぱいありますが、渋谷のモヤイ像プロモーションをしていくという点に、渋谷の情報発信力の大きさが見て取れます。その後、「ネスレの缶コーヒーのプロモーション」で使われたり(2008年4 月11日記事)、先日も「ルパン三世がモヤイ像を盗む」という前代未聞の企画が飛び出す(2009年12月7日記事)など、モヤイ像を絡めたPRの効果は絶大です。

gooの「検索ワード」をまとった男女がスクランブル交差点を歩く ©シブヤ経済新聞

モヤイ像と同じくプロモーション場として利用が増えたのは、10位に挙げた「渋谷・ハチ公前交差点に石原良純さんが『大量出現』」(2007年2月 24日記事)。さらに「gooの『検索ワード』をまとった男女700人がジャック」(2003年12月13日記事)や「渋谷スクランブル交差点に100本の『緑花』ビニール傘」(2007年12月19日記事)など、この10年間でハチ公前交差点を使ったキャンペーンやプロモーションが数多く行われてきました。スクランブル交差点は人がクロスする象徴的な場所と捉えられていて、あの場所で面白いことをやればプロモーションの波及効果も大きい。道路交通法の問題がある中で、人がどういう形であの場をステージにして、その一瞬にどういう広告を打ち出して行くのか…。現場を見るのも面白いが、それらの動きをメディアを通してみるのも面白い。同じように渋谷の情報発信力を伝えるニュースとしては、6位の「岡本太郎・巨大壁画『明日の神話』渋谷駅に安住へ−公開始まる」(2008年11月17日記事)もありました。作品が設置された渋谷マークシティ内の連絡通路は、1日30万人もの通行量がある公共空間。そういう場所にアート作品を置くというのは面白い。先月、公開から1年を迎えて行われた壁画の「煤払い」を取材しましたが(2009 年11月7日記事)、作品にはすごい量のホコリが付着していました。服についてる綿ゴミなどがフワッと舞い上がって張り付くんでしょうね。通行量の多さを改めて感じました(笑)。

東急文化会館の閉鎖は第一ステージ

開館当初の渋谷東急文化会館 ©シブヤ経済新聞

続いて、3位は「渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ『渋谷東急文化会館』」(2003年6月6日記事)。東急文化会館は開館当時は最新鋭の施設と言われ、東京育ちの人でプラネタリウムに行った経験がある人は本当に多い。一時代をリードし、渋谷を盛り立ててきた貢献は大きい。だから愛着があるし、寂しい思いはあるけれども、一方でこのトピックは、今後2012年に予定されている副都心線と東横線の相互直通運転も含めた東口エリアの開発、渋谷がまさに大きく動き始める最初のステージを示しています。

副都心線の開業日、渋谷駅では乗客が早朝から列を作った ©シブヤ経済新聞

昨年は安藤忠雄さんの建築で話題になった9位の「東京メトロ副都心線、『期待』乗せ開業−渋谷駅は始発前に行列」(2008年6月14日記事)というニュースもありましたが、本番はむしろ2012年度に予定される東横線との相互直通運転。その時に東横線の利用客がこれまでどおり渋谷で降りるのか、それとも乗ったまま新宿方面に行ってしまうのか…。

文化村通りの変遷

2006年東京ガールズコレクションの会場風景 ©Tokyo Girls Collection by girlswalker.com 2006-07 A/W

それから、忘れてはならないのが7位の「『東京ガールズコレクション』に2万人−海外プレスも取材」(2006年9月5日記事)。今年は「東京ガールズコレクション」と「渋谷ガールズコレクション」が、代々木を会場に連続開催。世界に向けて、渋谷〜原宿が若い世代のファッションの象徴となる都市であることを大きくアピールできる機会となりました。ファッションといえば、109の正月の恒例イベントとなっている、4位の「渋谷109『福袋』に4万人の列−恒例『福袋交換会』で騒然」(2007年1月2日記事)も見逃せません。女の子たちが買った福袋を109前で開けて、みんなが積極的に声をかけ合って欲しいものと交換しあうもの。109は渋谷のアイコン。百貨店がダメな時代の中で、ギャル・カルチャーが渋谷に根付いたのは109があるからこそ。インディペンデント系ショップを集める独自のマーチャンダイジング(MD)を進めたことは、109の差別化につながっていますし、またそれが渋谷という街の差別化にも直結しています。

ブックファースト跡地は、現在はH&Mの旗艦店となっている ©シブヤ経済新聞

道玄坂下交差点の109前からBunkamuraまでの文化村通りは、かつては入り口に109、途中に20代女性に向けた「ONE-OH- NINE(ワンオーナイン)」(現:マルハン)や30代女性向けた「ONE-OH-NINE 30's(ワンオーナインサーティーズ)」(現:H&M)があって、その先に東急本店があった。この通り一つに10〜40代までをターゲットとするMDが成立していた。それがいつしか形を変え、一時期は元気を失ってしまったものの、最近は「ヤマダ電機」開業(2008年9月26日記事)や「H&M」の出店(2009年9月 16日記事)が起爆剤となって、活気を取り戻してきています。恋文横丁がなくなってしまったことは残念ですが…。さらに現在は宇田川町の奥まで工事が始まっていて、文化村通りと宇田川町を結ぶ新しい動線が見え始めています。今後はこの通りを拠点に、渋谷の奥まで人を吸い込む力が一層強まっていくのではないでしょうか。

さまざまな変化に合わせ、しなやかに動く街 渋谷

Q.この10年間の渋谷を振り返って、どんな感想をお持ちですか?

渋谷のギャルカルチャーを牽引するSHIBUYA109 ©シブヤ経済新聞

ここ10年の都市部の動きを振り返ってみると、「東京ミッドタウン」や「六本木ヒルズ」の建設など都市部での開発が進んだ10年間だと捉えることができると思います。そういう部分では、渋谷はいい意味で大きな変化はありませんでした。もしかしたら、都心部では一番変化していなかったのではないでしょうか。その一方で渋谷では、これまで挙げた109やスクランブル交差点でのプロモーションなど、ソフト面での差別化が進みました。他の街がハードに頼った情報発信を行う中で、それでも渋谷が発信力を持ち続けたという点は、やはり渋谷の底力ですね。

Q. 来年以降、渋谷はどう変化して行くでしょうか?

今後大きく変化していくことが予想される渋谷駅東口エリア ©シブヤ経済新聞

ハードでは2012年の東横線と副都心線の相互直通運転によって、東口のエリアがかなり大きく変化していきます。これまでは渋谷は、どちらかというと西口を中心に動いてきましたから。東口が活性化して青山方面と連携していく動きの中で、人の回遊性がどのように変わっていくのかという点に非常に興味があります。併せて、現在の東急東横線渋谷駅がその後どうなるのかということも気になりますね。これからの10年は工事がずっと続いてる10年なんじゃないかなと思いますね。ソフト面の予測は全くつきません。例えばギャル文化が細分化したり変化したりしながら、どのような差別化につながっていくのか…。ただ想像はできませんが、渋谷はそういう変化に対して結構しなやかに街が動いていく力強さを持っているので、何かしらの形で時代のなかで情報発信の場所であり続けるんじゃないかなと想像したいですね。

協力:シブヤ経済新聞


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