80年代のバブル経済の始まりと共に、渋谷ではシブヤ西武を中心に山本耀司の「ワイズ」や川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」など、新気鋭の若手デザイナーによる個性的なDCブランドが一世を風靡。学生が数万円もするファッションに身を包む姿が一種社会現象化した。ところが90年代に入るとバブルが崩壊し、経済不況の到来で大資本による大規模開発や出店は減少。一方、神南、宇田川町、キャットストリートなど、メインストリートではない裏通りで、小さいながらもセンスのある雑貨やファッションショップが登場し始めた。「ビル(大規模資本)」→「ショップ(個人オーナー)」、「メインストリート」→「裏通り」、「歌謡曲」→「インディーズ」「アナログ」、「ディスコ」→「クラブ」へとトレンドが大きく移り変わり、日本経済の落ち込みが若者のカルチャーや消費に大きな変化を与えてきた。いわば、「日本経済の縮図が渋谷にある」といっても過言ではないだろう。80 年代、90 年代に若者の最先端カルチャーをリードしてきた渋谷の「ゼロ年代(2000-2009 年)」を振り返り、この10 年間が一体どんな時代であったのかをいま一度確かめてみたい。
Q-FRONTの誕生が変えた、スクランブル交差点に集積する「屋外広告メディア群」
デジタル情報発信型の商業施設、Q-FRONT
ミレニアムへのカウントダウンが始まった1999年12月、渋谷Q-FRONT(キューフロント)がオープンした。地上8階・地下3階建てのビルには当時、1・2階の「スターバックス」、8階のレストランのほか、地下2階〜地上4階にビデオ、DVD、音楽CDからゲームソフトや書籍を取り扱う「TSUTAYA」、5階にインターネット生放送などを行うデジタルイベントスペース「e-style」(現TSUTAYAのDVDレンタル)、6階にデジタルスクール「デジハリ渋谷校」(現Wired Cafe)、7階に映画館「シネフロント」などマルチメディア関連企業が集積。さらに施設全体に光ファイバーが敷設され、建物前面には縦23.5×横19mの街頭大型ビジョン「Q's EYE(キューズアイ)」が組み込まれるなど、他に類を見ないデジタル情報発信型の商業施設が誕生した。施設構想の背景にはインターネットの登場に伴い、90年代後半から「インターキュー(現GMOインターネット)」の熊谷正寿氏、「オン・ザ・エッジ(現ライブドア)」の堀江貴文氏、「サイバーエージェント」の藤田晋氏などをはじめ、有能な若いIT起業家たちが渋谷近辺に事務所を構え、「渋谷ビットバレー(渋い=Bitter、谷=Valley)」と呼ばれるITの拠点となったことが挙げられる。文字通り、渋谷の谷底地形の中心で、かつデジタル産業の象徴としてQ-FRONTが登場したことは、「渋谷ゼロ世代」の幕開けを語る上で欠かせないトピックスと言えるだろう。
3面シンクロなど、「渋谷ジャック」で広告価値を高める
国内最大の街頭ビジョン「キューズアイ」の登場は、渋谷駅やスクランブル交差点の広告価値を高めるキッカケとなった。以後、左隣の大盛堂商事ビル壁面に「スーパーライザ渋谷」、公園通りを挟んで右隣の109-2ビル壁面に「109フォーラムビジョン」が出揃い、「3面同時シンクロ」も可能に。さらに街頭ビジョンと連動し、JR渋谷駅ハチ公口や東急東横店の壁面、駅周辺の屋外看板、109前特設ステージにおけるサンプリングやミニイベントを含めた「渋谷ジャック」の展開が増え、スクランブル交差点は国内でも屈指の屋外広告メディアの集積群へと変貌を遂げた。こうした人、映像、音楽が無秩序に交錯する光景が強烈なインパクトを与えることもあり、同スポットを訪れる外国人観光客は後を絶たない。
2009年11月には、ヨーロッパ最大の商業地区、ロンドン中心部のオックスフォードサーカス駅に「渋谷のスクランブル交差点」をモデルにした交差点が登場したと報じられ、さらにソウル、上海におけるデジタルサイネージ広告の急増していることからも、世界が渋谷に注目していることは間違いないと言えるだろう。2009年、Q-FRONTはオープンから10年を迎えた。初期に併設した「デジハリ渋谷校」は文化村通りに移転(2003年)、「e-style」もリニューアルするなど、当初のコンセプトからはやや変更を余儀なくされているものの、スクランブル交差点および、その後方に構えるQ-FRONTの存在感は一段と増している。
渋谷の“オトナ化”を推し進めた新ランドマークの誕生
マークシティ、セルリアンタワーの開業
「シブヤがおとなになる日」をキャッチコピーに、2000年4月に「渋谷マークシティ」がオープンした。90年代にはセンター街を中心にチーマーと呼ばれる不良グループが登場し、「渋谷=若者の街」「渋谷=危険」というイメージが広がっていたが、こうした「大人離れ」に端を発して、それまで六本木や銀座へ流れていたアダルト層を呼び戻す作戦がスタート。渋谷マークシティはJR、東急、東京メトロ、京王の渋谷駅に直結し、1〜4階に20・30代を中心にしたレストランやショップ、5〜25階に全408室の規模を持つシティホテル「渋谷エクセルホテル東急」を展開。さらに11〜23階には就業人口約3,000人規模を誇るオフィスフロアを併設するなど、駅・ショッピング・オフィス・ホテルの4つの機能を果たす大型複合施設として誕生している。同時に東急東横店の地下に「東急フードショー」がオープンし、デパ地下ブームを牽引する存在としてOL層の集客を推進。さらに翌年2001年5月には、桜丘町に地下6階、地上41階、ホテルとオフィスから成る超高層複合ビル「セルリアンタワー」が完成したことも加わり、ハチ公口エリアにティーン層が集まる一方、西口周辺エリアはビジネスパーソン向けのアダルトゾーンとして変貌を遂げていった。カルチャー面ではマークシティの4階に葉巻専門店「ル・コネスール」、さらにセルリアンタワーの2階にジャズクラブ「JZ Brat SOUND OF TOKYO」、地下2階に「セルリアンタワー能楽堂」がオープンするなど、大人が遊べるハードが充実。またビジネス面ではビットバレーの勝ち組が続々と上場や店頭公開を果たし、マークシティにサイバーエージェント、セルリアンタワーにGMOインターネットグループやネットイヤーグループが入居するなど、両施設はIT産業の拠点の一翼を担う「渋谷ゼロ年代」を象徴する存在ともいえる。
47年間の歴史に幕を閉じた「東急文化会館」
その一方、東京初のプラネタリムや4つの映画館などを擁し、戦後の日本のカルチャーを支えた渋谷の元祖ランドマーク「東急文化会館」は2003年6月、惜しまれつつ47年の歴史に幕を閉じた。その跡地のすぐそばには、「地宙船」をテーマに建築家・安藤忠雄さんが設計デザインを手掛けた副都心線・新渋谷駅(2008年6月)が開業。さらに2012年の完成を目指し、現在、高層複合ビル「渋谷新文化街区プロジェクト(仮称)」の建設が進んでいる。地上34階建てのビルの中層部には、最大で約2,000人を収容するミュージカルを中心とした劇場のオープンを予定するなど、東急文化会館の「文化」というコンセプトを引き継ぐ。ゼロ年代に始まった西口エリアの「オトナ化」は、2010年以降、東口エリアへと波及していくことが予想される。
ティーンズを中心とする“ギャル”が牽引する流行と消費
マルキューが火を付けたギャルブーム
渋谷の“オトナ化”に拍車が掛かった一方、ゼロ年代は、ティーン層を中心とした若者カルチャーにも新たな進化形が次々に生まれた。80、90年代を振り返ると、若者の好感度エリアは「DCブランド」や「渋カジ」というキーワードでパルコ、BEAMSなどのファッションショップが集積する公園通り・神南エリアに集中していた。またシスコ、マンハッタンレコードなど、大小のアナログレコード店が多数密集した宇田川町エリアも、DJに憧れる男の子たちの聖地として大きな賑わいを見せていた。このように神南・宇田川町に集中していた若者カルチャーを一変させたのが、道玄坂と文化村通りを結ぶ角地に屹立するシリンダー型の商業施設「SHIBUYA109」である。109のオープンは今から30年前の1979年。当時勢いのあった公園通りに対抗した東急グループが文化村通りへの誘因を図るため、あらゆる世代をターゲットとした全方位型の商業施設「ファッションコミュニティ109(現・SHIBUYA109)」を誕生させたのが始まりだ。
それが現在のように女子高生を中心としたティーン向けのファッションビルへ様変わりしたのは、90年代後半から。SHIBUYA109総支配人、萩原泰章さんは「売上が伸び悩む中で、女子高生向けにルーズソックスなどを扱うショップのみが繁盛したことに着目し、1996年に全館を女性高生世代にターゲットを絞った商業施設にコンセプトを変更した」と当時を振り返る。109(通称マルキュー)の名称が全国的に一気に知れ渡ったのは、ギャルファッションの先駆ブランドであった「EGOIST(エゴイスト)」「CECIL McBEE (セシルマクビー)」をはじめ、各ブランドショップに立つ「カリスマ店員」に一躍注目が集まったことがきっかけ。以降、ティーンズ・ファッションやトレンドは、ガングロの化粧に髪の毛を脱色した「ヤマンバ」、ヤマンバの進化系で目の周りに白いアイライン、唇に白いグロスを塗る「マンバ」、ピカチュウなどの着ぐるみを身にまとう「キグルミン」、盛り髪、巻き髪のキャバ嬢をお手本とした「age嬢」など、この10年間目まぐるしく変化してきているものの、その流行発信の中心には常にマルキューの存在があったことを見過ごすことは出来ない。
進化するギャル!農業をするノギャルも登場
2005年、「ギャル革命」を掲げ、当時19歳だった藤田志穂さん(元シホ有限会社G-Revo代表)が起業。と同時に、女子高生の口コミを組織化して新しいトレンドやブームを仕掛ける「ギャル・マーケティング」という新しいビジネスにも注目が集まった。同年、初めて開催された「東京ガールズコレクション」(代々木第一体育館)は、ギャルビジネスで大成功を収めた事例の一つ。一番の特徴はファッションショーを観ながら、人気モデルの着ているものと同じ服を携帯サイトでその場で入手できる点。それがケータイカルチャーのフロントランナーであるギャルたちの感性に響き、以降ガールズコレクションは年々規模を拡大している。さらに2008年、マルキュー8階にサンプリングスペース「SBY(エスビーワイ)」、2009年には渋谷パルコ地下1階にマーケティングカフェ「LCAFE(エルカフェ)」が出現。お菓子やサプリ、ジュースの新製品のサンプリングをはじめ、ファッション誌の無料閲覧、携帯電話充電サービスなどを展開するこれらのスペースは、ヒットの鍵を握るティーン層の口コミ波及を狙ったプロモーション場として注目されている。
またギャルのさらなる進化形として2009年1月、「ギャル社長」で知られる藤田志穂さんが社長業を突然引退し、“ギャル”+“農業”を繋ぐ新プロジェクト「ノギャル」を立ち上げた。日本の農業や食の不安への関心が高じ、この秋には「シブヤ米」の販売を手掛けるなど、「農業」「社会貢献」といった従来のギャルのイメージとは全く異なる現象も起きている。2010年以降も、ギャルたちの予想不能な動きから気が抜けない。ちなみに90年代に隆盛を誇った「宇田川レコード村」は、インターネットやipodの普及に伴って衰退を始め、2007年に「シスコ」、2008年に「マンハッタンレコード」が立て続けに店舗を撤退。その一方、2005年、公園通りに「Apple Store Shibuya(アップルストア渋谷)」がオープンするなど、2000年以降のケータイやネットの急速な発展は、渋谷の若者のカルチャーシーンに多大な影響を与えたことが窺える。
時代の証言者たち−KEYPERSONのインタビュー
“RT”感覚が形成する、渋谷を拠点とした新しいネットワークの在り方
代々木公園を中心にエコカルチャーが盛んに
1997年12月に議決された京都議定書を皮切りに、地球温暖化をはじめとする環境問題に世論の関心が高まった。一見、エコロジーとはほど遠い街とイメージされがちの「渋谷」だが、2001年に代々木公園一帯をメイン会場として「アースデイ東京」が開催。以来、渋谷を拠点に「エコカルチャー」を推し進める様々なボランティア活動や市民活動団体が勃興した。こうした背景には1998年に特定非営利活動促進法が可決制定され、NPO法人ブームが巻き起こったことも追い風となった。また渋谷に限っていえば、地域通貨を発行する「NPO法人アースデイマネー・アソシエーション」(2001年)の代表理事・嵯峨生馬さんや、街の清掃活動をする「NPO法人グリーンバード」(2003年)を立ち上げた長谷部健さん、渋谷駅前モヤイ像花壇を拠点に渋谷の緑化活動をする「渋谷Flowerプロジェクト」(2003年)の発起人・荻窪奈緒さんなど、当時、社会貢献活動に積極的に取り組んだのが20、30代の若者たちであった点も見逃すことが出来ない。
「エコ」という共有認識のもと、利益追求をせず、「ゆる〜いネットワーク」を構築する彼らの世代は、90年代のバブル崩壊、就職氷河期に学生時代を過ごした反動や影響が少なからずあるのかもしれない。ちなみに「エネルギー」「食」「農」にスポットを当てた今春の「アースデイ東京2009」では、物販ブースや飲食店など370団体以上が出展し、過去最大の約14万人の動員を記録。今夏の「フジロックフェスティバル’09」(苗場)の動員数が3日間で約10万人であったことを考えれば、この9年間で「エコカルチャー」に対する若者の意識がロックフェス以上のものになりつつあることが窺える。そのほか、オーガニック&エコロジーをテーマにした「アースガーデン」(代々木公園)や、生産者と消費者をつなぐマーケット「東京朝市アースマーケット」(代々木公園)など、「代々木公園」がエコカルチャーの聖地のような存在になったのも、ゼロ年代の特徴である。
ミクシィ、ツイッターなど、ネットコミュニケーション時代の若者たち
「エコ」の範疇以外でも、リーガルウォールやストリートボールなど若者の活動支援をする「NPO法人KOMPOSITION」(2002年)や、渋谷の街全体をキャンパスにユニークな授業を展開する「NPO法人シブヤ大学」(2006年)、青学生が中心になって始めたビニール傘の循環プロジェクト「シブカサ」(2007)など、「渋谷」という共通点で繋がった新しいコミュニティが続々と登場。シブヤ大学学長・左京泰明さんは「渋谷の街には若者を中心に多くの人々が行き交っているのに、誰かと知り合う機会は意外と少ない。シブヤ大学では“学び”をフックとして、世代や立場の異なる生徒同士が知り合うことができます。同様に、先生と生徒の間にも交流が芽生えます」とその魅力を語る。ブログ、ミクシィ、ツイッターなど、ネットコミュニケーションを日常的に利用する若者たちにとって、何か共有するものがあれば、たとえ立場の異なる人と人との繋がりであっても、そう大きな障壁になることはないようだ。ツイッター機能の「RT(ReTeeet)」と同様に、自分にとって有益な情報はしまい込まずに自分と繋がりを持つフォロワー全員と共有する。こうした感覚は、高度経済成長期やバブル期には到底考えられるものではなかっただろう。
2009年11月、NPO法人KOMPOSITION代表理事の寺井元一さん、カルチャーニュースサイト「CINRA」の杉浦太一さん、ブックコーディネートを行う「numabooks」の内沼晋太郎さんら、渋谷を中心に幅広い分野で活躍する若手起業家やクリエーターら8人(団体)が手を組み、磁場作りプロジェクト「Magnetics(マグネティクス)」という新たなネットワークが組織された。これは原宿SUNSHINE STUDIO CAFEカフェを拠点に1ヶ月間に亘って連日トークイベントを開催し、そこに偶然参加した生活環境の近い者同士、気の合う者同士、関心興味の近いもの同士の出会いや結びつきを提供する、新たな試みだ。ビジネスや利害の絡むものでは一切ない。どちらかといえば、30歳前後の若者たちを中心とした“しゃべり場”的なフリースペースと言えるだろう。こうした「ゆる〜いネットワーク」の構築こそが、これからの渋谷文化に少なからず影響を与え、それがやがて新たなカルチャーを生み出すファクトリーの役割を担うのではないだろうか。
時代の証言者たち−KEYPERSONのインタビュー
- 「文化をフックに豊かなコミュニケーションを −シブヤの街と若者を繋げていきたい」NPO法人KOMPOSITION代表理事・寺井元一さん(2006年2月17日掲載記事)
- 「“学び”をフックとして、世代や立場の異なる生徒同士が知り合うことができます」NPO法人シブヤ大学学長・左京泰明さん(2007年3月9日掲載)
- 「朝市は、出展者と客のコミュニケーションの場」東京朝市アースマーケット・事務局 高橋慶子さん(2007年04月20日掲載)
- 「地域通貨『アースデイマネー』を通して 渋谷の街に『循環型』の社会を築きたい」NPO法人アースデイマネー・アソシエーション代表・嵯峨生馬さん(2006年4月20日掲載記事)
協力:シブヤ経済新聞