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05 東急東横店東館 屋上編

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フラットな屋上は谷地を見渡せ、沿線の人びとの憧れの場所だった

【ガイド】建築史家・斉藤理さん

建築史家・斉藤理さん

1972年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。博士(工学)。東京大学研究員のほか、慶応義塾大学などで講師を務め、2011年より山口県立大学准教授、中央大学社会科学研究所客員研究員。2004年、まち歩き企画「東京あるきテクト」開始。2007年より建物一斉公開イベント「open! architecture」の企画・監修。2010年より東京都観光まちづくりアドバイザー。著書に『東京建築ガイドマップ──明治大正昭和』(共著、エクスナレッジ、2007)など。

屋上の出口に付いている階数表示を見て下さい。

(参加者)当時のものでしょうか?

昭和初期、ナショナルのロゴ書体で使われていた「ナショ文字」みたいな。当時はあえて線を太くした書体が流行っていましたが、まさにそんな時代の雰囲気を伝えています。おそらく昭和9年当時から、そのまま今日まで使われてきたのだと思います。

(参加者)当時はアクリル樹脂もなかっただろうし、どうやって作ったのだろう?

確かにレザーカッターもないし、すべて手作業でロゴを切り出して作ったのでしょうね。上に赤い塗料を塗って表情を作っていたと思うのですが、色は完全に飛んでしまっている。「R階」なんて響きや表示も、今日では目にしないですね。

(参加者)R階ってハイカラな感じ。

また、フラットな屋上に上るという感覚も珍しかった時代だと思う。震災復興で、徐々に鉄筋コンクリートづくりの小学校が出てきて屋上で遊ぶという考え方や、みんなが洗濯ものを干せるような洗濯場が出てきたり、フラットな屋上に行けるというアクティビティそのものも新しかったと思います。

(参加者)当時の名残りは、ありますか?

あのアンテナが、当時の写真と同じ建物の際ですね。おそらく、このアンテナ下の壁面にバウハウスのような「裸の階段」が付いていたんじゃないかな。アンテナまでが渡辺仁で、おそらくこちら側が建て増し部分の3号館に当たるんじゃないかと思います。

(参加者)当時、こんな高い建物は、珍しかったでしょう?

渋谷ヒカリエの左手に見えるアンテナあたりが、かつての東館の切れ目。この下に裸階段が付いていたのだろうと推論を立てる。

今、東館は他の建物に見下ろされていますが、かつては渋谷の谷地を見渡せ、沿線の人びとの憧れや夢に満ちた場所だったと思います。そもそも渋谷は「春の小川」に代表されるように、あるいは国木田独歩が「武蔵野」という作品の中で描いていたように牧歌的な雰囲気が漂う場所でした。ところが1934年(昭和9年)に東館が誕生して、「渋谷の街」が変わるための装置が出来たと思う。特に渋谷にとって象徴的だったのは、同じく昭和9年に「忠犬ハチ公像」が設置されたこと。おそらく多くの人びとは、渋谷が大きく変わるだろうことを無意識のうちに予見して、「忠犬ハチ公像」を渋谷のメルクマークの一つとして残そうという意識が働いたのではないか、という気がしています。きっと当時の渋谷の人たちも、東急の人たちも想定していなかった「渋谷の街」の発展の礎が、ここにあります。

(参加者)屋上遊園地は、3月31日に閉店したままで(4月中旬の取材時点)、何か寂しさを感じますね。

当時、屋上遊具はドラえもんではなく、きっと「のらくろ・ショー」なんかをやっていたのかも(笑)。

2013年3月31日で営業を終了した屋上遊園地。子ども達が去り、遊具が取り残された屋上の風景。

  • 01 はじめに
  • 02 外観編
  • 03 階段室編
  • 04 地下トロッコ道編
  • 05 屋上編
  • 06 ツアーを終えて

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