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神代辰巳監督、初期から晩年までの24作を一挙公開(6/13〜)

シネマヴェーラ渋谷では、6月13日から、日活ロマンポルノの騎手、神代辰巳監督の特集上映会「神代辰巳レトロスペクティブ」を開催する。

1927年佐賀県に生まれた神代監督は、1953年に松竹に入社。1955年日活に移籍後は、斎藤武市監督作「ギターを持った渡り鳥」(1959年)などに助監督として参加した。映画娯楽が急退し、大手映画会社が低予算・早撮りのプログラムピクチャーを競って大量生産した1960年代、日活は作品のマンネリ化、スターの人気低下などが重なり急激に業績を悪化。1968年、神代監督は「かぶりつき人生」で監督デビューしたが、興行的失敗で「ほされ」、テレビの仕事などを手がけるように。

業績不振の日活は、1969年には撮影所を、1970年には本社ビルを撤退し、1971年夏には一時製作を中断。その後組合との協議により、日活は「日活ロマンポルノ」として、ポルノ路線を断行した。社内では大物俳優や監督は次々と移籍する一方で、新たな機会を得た新人監督や俳優が活躍。1970年代は日本映画全体が、大手映画会社の弱体化に拮抗するよう形で、ポルノ路線や独立プロによる興行が隆盛した。

田中登監督、小沼勝監督らと共に活躍の機会を得た神代監督は、1972年に「濡れた唇」を監督。その後、撮影当時「猥褻物陳列罪」の公判を控えていた一条さゆりを主演に迎えて大ヒットした「一条さゆり 濡れた欲情」(1972年)、代表作の1つとして知られる「四畳半襖の裏張り」(1973年)、売春防止法の施行が迫る売春宿に働く女たちのたくましい姿を捉えた「赤線玉の井 ぬけられます」(1974年)など、話題作、名作を数多く監督して、ロマンポルノのエースとして活躍。

一方で一般映画作品「青春の蹉跌」(1974年、東宝)をヒットさせ一般にも認知されるようになると、ホラー映画「地獄」(1979年、東映)、三浦友和主演のサスペンス映画「遠い明日」(1979年、東宝)、「ミスター・ミセス・ロンリー」(1980年、ATG)などを監督し、活躍の幅を広げるように。

1980年代、ビデオデッキの普及で路線変更を強いられるまでの日活ロマンポルノ後期にも、神代監督は、憂歌団のブルースに乗せて男女の性愛の究極をあぶり出した「赫い髪の女」(1979年)、スピード感あふれる演出が魅力のスラップスティック・ポルノ「快楽学園 禁じられた遊び」(1980年)、ロマンポルノ十周年を記念して製作された「嗚呼! おんなたち 猥歌」(1981年)などの名作を矢継ぎ早に監督。欲に翻弄される男女の生き様を生々しくも温かい眼差しで記録していった。

1988年日活ロマンポルノは、「ロッポニカ」と改名して一般向け映画の製作・配給を再開。その後の神代監督は桃井かおりを主演に「噛む女」(1988年)を監督したのを最後に、しばらく映画制作を中断。6年後の1994年、ヤクザの世界を舞台に棒のように生きる男の哀しい姿を描いた「棒の哀しみ」を監督して活動を再開。94年度キネマ旬報日本映画ベストテン第4位、同読者選出日本映画ベストテン第9位を記録するなど人気を得たが、翌1997年、病により67歳で逝去している。

今回の上映会では、1968年のデビューから、日活ロマンポルノでの目覚ましい活躍、日活以外での監督作から「棒の哀しみ」まで、合計24作品を一挙上映。プログラムには、日本映画史に残る傑作から、長く上映の機会を得なかった貴重な作品まで、多彩なラインナップを用意した。この機会に、神代映画に残された多くの男女の痛々しくもリアルで力強い生き様を、改めて体験してみてはどうだろうか?


『神代辰巳レトロスペクティブ』
画像:『青春の蹉跌』より/©東宝 
開催場所:シネマヴェーラ渋谷
開催期間:2009年6月13日〜2009年7月10日
上映時間の詳細は、施設HPをご覧下さい。


(2009/06/09)

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