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グレッグ・チャコ/田中裕士 Collaboratio…

上映・公演は終了しました。

■ information
国際舞台で活躍するジャズギタリスト、グレッグ・チャコ。独創的ピアニストの逸材、田中裕士を双頭リーダーに、N.Y.からジーン・ジャクソンをゲストに迎えたスペシャル・コラボレーション・カルテット!コンテンポラリージャズの叙情詩をお贈りします。
東京公演はJZ BratのみのVery Special Onenight Performance !

■ グレッグ・チャコ
アメリカ人ギタリスト、グレッグ・チャコは、2003年に上海にて、ディーディー・マクニール(ヴォーカル)、ジャック・ホーランド(ピアノ)、ドナルド・ジャクソン(ベース)との共演による定期的なジャズ演奏で成功を収めた後、結婚して3年になる日本人の妻と新しい生活を始める為に、日本に活動拠点を移した。けれども来日後まもなくして、最愛の妻が末期ガンであることが判明し、その後の1年余りは看病などの為、音楽活動から遠のくこととなったが、 2004年の妻の逝去後、少しづつ活動を再開し始めた。
2005 年、2006年と続けて彼はCDを発表したが、2005年の初めての2枚組CD『Where We Found Ourselves』は、全て彼のオリジナル曲で構成され、亡くなった彼の妻に捧げる為に作られた。安定したスィング感に溢れたホーンアンサンブルと、生き生きとしてバラエティに富むアレンジが特に象徴的であるが、加えて、ラテン、ワールドミュージックのエッセンスも感じ取ることが出来る。また、このCD には、彼自ら作詞した曲も収録されているが、それは彼の演奏と同様に、趣深く、情緒溢れる曲になっている。
その後に発表した7枚目のCD『Two’s Company, Three’s a Crowd』は、ギター&ピアノまたギター&ヴォーカルのデュエットにより構成され、カバー曲や、ライブ演奏も含まれている。現在、東京を拠点として幅広く活動を続けている彼の充実したパフォーマンスを感じ取る事が出来る。また彼は現在、次々と作品を生み出し、2007年から2008年に予定されている新しいCDのレコーディングに備えて準備を進めている。
1994年から2001年まで彼はトロピカルアイランドであるシンガポールにて音楽活動を行っていたが、その間、4枚のCDをリリースした。(1996年『Sudden Impact』、1998年『Live at Raffles』、2000年『Integration』、2001年『Integration II』) また6本のビデオ、ドキュメンタリームービーを発表し、テレビ出演や大規模なジャズフェルティバル等への参加を行った。
グレッグ・チャコトリオ(グレッグ・チャコ:ギター、レッド・ホルト:ドラムス、ベリンダ・ムーディー:ベース)による定期的な演奏を1994年3月に始め、その後、メンバーをジーン・ドゥショーン(ヴォーカル)、ビクター・ガスキン(ベース)と改め、結果的に、有名なラッフルズ・ホテルにて7年にも及ぶ長期の定期的な演奏を行うこととなった。
その間、彼はエンターテイメント会社を設立し、ジャズを始めあらゆる種類の公私の団体によるパーティーのオーガナイザーとして活躍したが、代表的なものとして、文化芸術庁、ワールド・グルメ・サミット、アメリカン・アソシエーション、シンガポール航空、リッツ・カールトンホテル、フォーシーズンズホテル、ウェスティンホテル、ザ・オリエンタルホテル、US海軍省、などが挙げられる。彼がシンガポールにて頂点を極めたのは、ソウル&ジャズシンガーであるココ・ヨーク、ピアニストのマイケル・スタントンとの3週間の共演と、その後、クアラルンプールで開催されたハイネケン・ジャズ・フェスティバルでの彼の7 人編成のバンド ”Integration”による演奏で、大成功を収めた頃である。
グレッグ・チャコは、1958年米国オハイオ州シンシナティに生まれ、彼が最初に音楽に触れるきっかけとなったのが、9歳の時のアコーディオンレッスンであった。然しながら、ジミ・ヘンドリクスが彼のヒーローとなるや否やギターに興味を持ち始め、1年間のレッスンの後、アメリカン・ギルド・オブ・ミュージック・コンテストに出場し、1000人もの応募者の中で2位を受賞することとなり、また更に翌年、地元のコンテストでは1位を受賞した。その後、バークリー音楽院にて奨学金を受けながら学び、トップ・アーティスト(ジュニア・クック、ビル・ハードマン、オセロ・モリノー、ジョニ-・リトル、ボビー・ワトソン、ハーブ・エリス、ジミ-ラニー等)と共演する経験を得た。またその頃、非営利組織のジャズ・ソサエティを結成し、実践で、プロモーターやオーガナイザーとしての経験を積み、スライド・ハンプトンを招いて野外のジャズ・フェスティバルを開催した。ジャズを広めたい彼の熱心さが共感を生み、マサチューセッツ州の芸術協会から共催金を獲得することにも成功した。
彼はどのような時でも、音楽特にジャズを愛してきたが、1992年にアジアに居を移す以前は、音楽活動を活発に行うことはなかった。’80年代には、一旦ギターから数年遠ざかり、ニューヨークにて工業地域の不動産を扱うビジネスにたずさわることもあったが、結局、ギターの魅力を忘れられず、またオフィス・ワークの中でアーティスティックな表現が出来ないもどかしさに耐えかね、趣味としてギターを始めることとした。けれども、結局毎日真剣に数時間練習することになり、結果的に、複雑であるけれども印象的なソロアレンジメントを作り上げることとなった。
だが、この前向きな行動も 1990年、彼が手根管症候群(手首の神経に生じる病気)と診断されると、再度、全ての創作活動を諦めなければならなくなった。その痛みと戦いながら、少しづつギターを弾き始めたときに、ピックを使わずに親指で弦をはじくと、暖かく深い、よく響くサウンドが出ることを発見し、その日以来現在に至るまで、彼はそのスタイルを貫いている。
1992年にグレッグ・チャコが香港に移ったとき、手首の痛みも治まりつつあり、プロフェッショナルなミュージシャンとしての活動を再開することとなった。彼は、ブロードウェイ・ミュージカルである、ウエストサイド・ストーリーの香港公演、ホンコン・フィルハーモニーとの共演などで名前を広めた。その後、有名なカーティス・フュラーやリッチー・コールとも共演し、そして1994年に彼の初めてのCD『Everything I Love』を発表することとなった。
彼の山あり谷ありの人生は、彼の音楽に刺激や深みを与えてきた。1992年に音楽から遠ざかった時以来、妻の看病の日々以外は、一度も音楽を諦めることなく、最近発表したCDに加えて、今後のCDリリースに対するファンからの期待を受けながら、彼は永遠に成長し、教師としても活躍し、曲を創り、プロモーションを行い、レコーディングし、そしてジャズの演奏をし続けていくに違いない。

■ 田中裕士
4歳よりクラシックピアノを始め、16歳でジャズ音楽に魅せられ、作編曲法を学ぶ。大学在学中よりプロの中で研鑽を積み、19歳で堂々のプロデビューを果たす。23歳でニューヨークに音楽留学。帰国後、エリック・ゲイル(g)グループ、大坂昌彦(ds)グループなど1流グループで腕を磨き、29歳でスペインに音楽留学。類稀な才能、音楽構築力、独創的表現力で多くのファンを魅了し続ける国際的ピアニスト・作編曲家。その広範多岐に渡る国際舞台での仕事ぶりは、ジャズ界では勿論、フラメンコピアニストとしても各種音楽家達からの高い評価を受け、信用とステイタスを不動にしている。’02年度、文化庁芸術祭/ 優秀作品賞受賞。’04年度、スペインへレス国際フラメンコフェスティヴァル招聘主演。’06年にソロアルバム『La Sonrisa』(M&I/ponycanyon)をリリース。
2008年には、グレッグ・チャコ(g)とのアルバム『Everybody’s Got A Name』を発表。

■ 安ヵ川大樹
1967年、兵庫県西宮市出身。幼少のころよりピアノを始め、音楽に親しむ。18歳で上京、明治大学入学後、「ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ」に所属、コントラバスをはじめる。牧島克彦氏、吉野弘志氏 吉田 秀氏に師事。
1989年、「第19回山野ビッグバンドコンテスト」にて最優秀賞受賞。
1991年、アルファレコードより、CD「Down under」に参加、プロ活動を開始する。
’96、’97年にはマリーナ・ショー(vo)の全国ツアーに参加。
’98年より、故・日野元彦(ds)のクインテットに抜擢され、CDダブルチャント(EWE)に参加する。
2001年より自己トリオ、ソロライブ活動を開始。
2002年9月、EWEより全編ソロベースアルバム『Let My Tears Sing』
同年2月、自己トリオ”Ya!3”のアルバム『LOCO』
2004年7月、安ヵ川大樹トリオ『KAKEROMA』 をリリースし、好評をはくす。
2006年5月、9人編成のリーダービックコンボ 《ファー・イースト・ジャズ・アンサンブル》 を立ち上げる。
2007年8月、ファー・イースト・ジャズ・アンサンブルで、松江城国際ジャズフェスティバルにゲスト・エディーヘンダーソンを迎え出演。各方面より絶賛される。
2007年8月、スキップレコードよりCD《ファー・イースト・ジャズ・アンサンブル》『FAR EAST JAZZ ENSEMBLE』をリリース。スイングジャーナル誌「日本人ジャズメン読者人気投票」では常に上位にランクされ、(2004年度、2006年度、 2007年度ベーシスト部門3位)。100枚を超える国内外のレコーディングに参加(小曽根真、大坂昌彦、デイブ ピエトロ、アキコグレース、松永貴志、川嶋哲郎、小林桂、ウンサン、など)。TV・ラジオ等の出演や国内外のジャズフェスティバルにも数多く出演(Mt.Fuji、東京ジャズ、南郷ジャズフェス、宮崎フェニックスジャズフェス、ニュージーランド クライストチャーチジャズフェス、など)。ジャズのフィールドだけにとどまらず、金子飛鳥ストリングスアンサンブル、加古隆「色を重ねて」公演、テレマン交響楽団との共演など幅広い活動も行なう。卓越した音楽センス、技量、スケールの大きなオリジナル曲、今最も注目を集めているベーシストである。

■ ジーン・ジャクソン
アメリカ合衆国、ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。ドラマーになるべく、’79年にボストンのバークリー音楽大学へ進学。Kevin Eubanks(g)のバンドに参加。’87年にNew Yorkへ移り、Kevin との共演を続けながらプロドラマーとしてのキャリアを積み重ねていく。’88年ごろから自己の活動を開始し、ジャズフェスティバル、ツアー、レーコーディング等、数多くのプロジェクトに携わる。’91年からはHerbie Hancock & Wayne Shorter Quartet に参加、’93年から’00年まで Herbie Hancock Trio, Quartet にも在籍し、世界中をツアー(’95〜’98には Dave Holland が参加)、その名を全世界に知らしめる。主な共演ミュージシャンは、Branford Marsalis,Mingus Bigband, Billy Childs, Cyrus Chestnut, Eddie Gomez, John Abercrombie,Dianne Reeves, Christian McBrideなどファーストクラスジャズミュージシャンとの仕事で多忙を極めるスーパードラマーである。また、演奏活動の他 New Yorkの「クイーンズ・カレッジ・アーロン・コープランド・スクール・オブ・ミュージック」や、各国でのクリニック、ワークショップ等で音楽教育、後進の指導にも力を注いでいる。
たいへん親日家でもあり、日本に於いても多数ファンからの絶大なる支持を獲得している。

ジャズ・ソウル・R&B

出演:グレッグ・チャコ(g)田中裕士(p)安ヵ川大樹(b) Special Guest:ジーン・ジャクソン(ds)

料金:Music Charge 予約3,500円/当日4,000円
/2ステージ予約4,500円/当日5,000円+オーダー
食事のメニューは、お店へお尋ね下さい。

<a href="http://www.jzbrat.com/"target="_blank">JZ Brat</a> 03-5728-0168

※表示されている料金は全て税込みです。
※やむを得ない都合により、開催スケジュール及び内容が変更になる事があります。詳細は各主催者へお問い合わせ下さい。

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