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KING OF TOKYO O FILME

上映・公演は終了しました。

2008年/日本/104分/配給:スリー・ジー・コミュニケーションズ/©T.O Entertainment,Inc. 2008

ブラジルで出来なかったことを、僕は日本で出来たんだ

Jリーグ開幕元年の1992年?1人のブラジル人サッカー選手が日本へ来日した。 ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ、通称アマラオ。 しかし、彼の戦う舞台はJリーグでなくJFLと呼ばれるアマチュアリーグであった。鳴り物入りで入団したわけでもなく、卓越した技術を持っていたわけでもない彼は、黎明期にある日本サッカー界へひとり飛び込んだ。新たなキャリアを地球の反対側でスタートさせたアマラオは、持ち前の情熱とブラジル人ならではの技術によって、チームをJ2、J1へと導いていく。 チームとともに、そしてサポーターとともに成長を遂げたアマラオを、いつしか人々はこう呼び始めた ??キング・オブ・トーキョー。
ブラジル人でありながらキング・オブ・トーキョーの称号を与えられ、サポーターに愛され続けたアマラオ。異国の地で輝き続ける彼の原動力、幼き頃の夢、これからの人生・・・。サンパウロ〜東京〜平塚〜高崎と、彼のルーツを訪れ、彼を知り尽くした人物たちへのインタビューと自身の語りで綴るドキュメンタリーがここに生まれた。

ブラジル
「いつも元気で、常にボールで遊んでいるような普通の子供でした。」
ペレに憧れてボールを蹴って遊んでいた少年が、まさかサッカー選手になるとは、母さえ思っていなかった。綿摘みの仕事などで家族を支えていたアマラオ自身も、サッカーで家族を養って行けるようになるとは思っていなかったようだが、1987年、サンパウロ州の3部に所属していたコメルシアンと契約し、プロとしてのキャリアをスタートさせる。カッピバリアーノ、イトゥアーノ(2部)で活躍を遂げ、92年にはついに名門パルメイラスに移籍。エヴァイールなどブラジル代表選手らとともに戦っていたが、怪我に遭いリハビリ生活を余儀なくされる。

東京−湘南−高崎
「アマラオより上手い選手はいても、アマラオの代わりになる選手はいない」
リハビリ生活を送っていた頃、当時(旧)JFLに所属していた東京ガスサッカー部から勧誘を受け来日。持ち前の責任感の強さで努力を重ね、98年のJFLでの優勝に貢献するなど様々な活躍を遂げる。99年には東京ガスがプロクラブ化しFC東京が発足、いよいよアマラオも日本のプロリーグの舞台に立つこととなった。チームをJ2からJ1へと導き、いつしかアマラオはチームにはなくてはならない存在になっていた。横浜Fマリノスへの移籍話も浮上したこともあったが、友人であるラモス瑠偉の呼びかけでサポーターが立ち上がり、移籍をとどまらせたという、サポーターと彼の強い絆を表すエピソードも語られている。キング・オブ・トーキョーと呼ばれJリーグで活躍する彼は、トゥットら多くの外国人選手の先輩としても厚い信頼も集めていた。03年FC東京を退団。04年以降は、J2の湘南ベルマーレ、JFLのFCホリコシ(現・アルテ高崎)に所属。アルテでは監督も兼任した。07年4月、現役を引退。どのチームでも愛される存在であることに変わりはなかった。

これから
「アマラオコーチはいつでも温かい」
故郷・オルトランジアでは、市役所の支援を得てサッカー選手を育成するプロジェクトが始動している。貧しい子供たちにサッカーを教えて第二のアマラオを育てるこのプロジェクトは、アマラオの貢献と意向により実現した。そして、日本ではJFAアンバサダーに就任。子供たちへ直接指導を行うなど、これからの日本サッカー界へ尽力している。

「アイシテル」初めて覚えた日本語を胸に、アマラオは走り続ける。

ドキュメンタリー

監督:太田綾花 出演:アラマオ(ワグネル・ペレイラ・カツトーゾ)

料金:施設参照

※表示されている料金は全て税込みです。
※やむを得ない都合により、開催スケジュール及び内容が変更になる事があります。詳細は各主催者へお問い合わせ下さい。

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