澁澤龍彦と堀内誠一 旅の仲間
上映・公演は終了しました。

クレタ島にて 撮影:澁澤龍子
澁澤龍彦が堀内誠一とはじめて出会ったのは、1958年のことだった。前年にアド・センターを創設し、若きデザイナーとして活躍していた堀内誠一と、サド研究などで注目されつつあった澁澤龍彦のあいだに、しばらくは仕事上の接点がなく、ときおり飲んで語りあう程度だったらしい。だが雑誌「血と薔薇」で協力しあってから、ふたりの関係は急速に深まっていった。
稀代の仏文学者・エッセイスト・作家・博物誌家と、稀代のグラフィックデザイナー・絵本作家・イラストレーター・旅行家と。そんなふたりが「仲間」同士であったという事実を、意外に感じる向きがあるかもしれない。だが、ここに公開される手紙の数々を見ただけでも、両者が他には見られないほど親密であり、いわゆる心をゆるしあう関係にあったことがわかる。
仕事の方向や主義主張をこえて、澁澤龍彦と堀内誠一とは、まさに子どものようにともに遊ぶ「旅の仲間」だったのではないだろうか。
澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)
1928 年、東京高輪生まれ。本名・龍雄。フランス文学者、エッセイスト、作家。幼児期を川越ですごし、4歳からは東京中里で育つが、戦災をうけて鎌倉へ。50年に東大仏文科に入り、シュルレアリスムやサドの文学に熱中。54年にコクトー『大股びらき』(白水社)の邦訳でデビューし、59年には処女エッセー集『サド復活』(弘文堂)を刊行。同年に邦訳したサド『悪徳の栄え(続)』(現代思潮社)が発禁となり、以来「サド裁判」の被告として健筆をふるう。多くの先鋭な芸術家と知り合い、古今のマニエリスム的な文学・美術の紹介などによって大きな影響力をもった。68年に「血と薔薇」誌の責任編集を引き受け、翌年、前川龍子と結婚。70年に最初のヨーロッパ旅行をこころみてから、紀行、博物誌、幼児回想などにわたる豊かなエッセーの領域をひらき、81年の『唐草物語』 (河出書房新社)からは独自の小説世界へと旅立つ。86年に下咽頭癌の大手術をうけたが、最後の小説『高丘親王航海記』(文藝春秋)を書き終えて、87年 8月に死去。享年59歳。
堀内誠一(ほりうちせいいち)
1932 年、東京向島生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーター、絵本作家。47年、戦後の混乱期に父の図案業を継ぎ、14歳で新宿伊勢丹宣伝部に入社。 57年、広告デザイン会社アド・センターの設立に参加。「平凡パンチ」(平凡出版)では革新的なグラフィックページをつくりだし、若い読者の熱狂的支持を得る。58年、内田路子と結婚、最初の絵本『くろうまブランキー』を出版。60年にフリーランス転向。アートディレクターとして「血と薔薇」(天声出版) 「アンアン」「ブルータス」(ともに平凡出版)などを手がけ、デザインのみならずスタッフの起用にも手腕を発揮した。74年、家族とパリ郊外アントニーに移り、81年まで住む。絵本の仕事により積極的にとりくむ一方、パリを拠点にヨーロッパ各地を旅し、その見聞の記録は鮮やかなイラストエッセーに結実。古今の絵本をも渉猟し、先鋭な選択眼をもって独自の絵本批評の世界を築いた。87年8月、下咽頭癌のために死去。享年54歳。
【関連出版】
「旅の仲間」 晶文社より、5月下旬に発行予定。
巖谷國士さんのレクチャー
5/31(土)17:00〜 要予約
画廊・ギャラリー
澁澤龍彦、堀内誠一
料金:施設参照
※表示されている料金は全て税込みです。
※やむを得ない都合により、開催スケジュール及び内容が変更になる事があります。詳細は各主催者へお問い合わせ下さい。







