映画は生きものの記録である 土本典昭の…
上映・公演は終了しました。

2006 年/ DVCAM・16mm / カラー&モノクロ/ 94 分/ 配給=ビジュアルトラックス
人が人とつながる─ひとりのドキュメンタリー作家が語りかける、わたしたちへの伝言
いま、わたしたちは土本典昭とともに旅に出る。
日本が世界に誇るドキュメンタリー映画の巨匠、土本典昭。本作はその映画と、見守り続けてきた「水俣」への思いを余すことなく伝える。土本は語りかける。自宅で、編集機の前で、そして水俣で。初期作品『ある機関助士』や『ドキュメント路上』への言及。『水俣 患者さんとその世界』、『不知火海』といった名シーン。久しぶりに水俣の人々と再会を果たす土本。わたしたちはこの旅で、伝え続けることの大切さを知る、ひとりの人間と出会うことになる。
土本典昭の世界へ誘うのは、劇映画第1作『ぼくらはもう帰れない』がベルリン国際映画祭(2006年)で上映され、世界の注目を集めた俊英、藤原敏史。本作が初めての劇場公開作品となる。また、小川プロのプロデューサーとして知られ、河瀬直美『杣人物語』など多くのドキュメンタリーに携わった、伏屋博雄が企画・製作にあたっている。
おだやかで静かな水俣の海─この海にいまなお続く忘れられない歴史がある
海にたたずむ、土本典昭の姿。懐かしさ、寂しさ、悲しさ、嬉しさ、さまざまな思いがあふれる。2006年、水俣病は公式確認から50年を迎えた。・・・。
土本が初めて「水俣」を撮影したのは1965年のことだった。以来、17本にもおよぶ関連作品をつくりあげている。土本が見つめるのは負の歴史だけではない。海からの恩恵と、海のよみがえりをも見つめ続けている。
水俣に暮らし、海を糧に生きる人々。その姿を見守る、土本のまなざし。水俣と海の歴史はこれからも続いていく。
■製作にあたって
伏屋博雄
土本典昭監督の映画歴は50年に及ぶ。その長い歳月には、東京オリンピック前夜の交通事情を描いた作品に始まり、水俣の10数本の作品を軸に、70年代初頭の学生運動や原発に眼を凝らした作品、さらにオホーツクやアフガンといった海外に材を求めた作品等がある。いずれも、時代の只中で、「何を撮り、いかに生きるべきか?」を監督自身、必死に考え抜いた証であり、軌跡でもある。
私は土本監督と親しく交流させていただいてから、かれこれ30数年になる。映画はもとより、時機に出版された著作の数々、直接にお聞きする言葉から、私はいつも大きな「希望」と「勇気」をもらったのだった。実際、私は土本監督ほど周囲から敬愛されている方を知らない。いつしか私は、土本という人間を丸ごと掴む映画をつくりたいという気持ちを抱くようになっていった。そして、その作品と言葉を次世代に伝達していかねばならないと感じたのである。
■監督の言葉
藤原敏史
土本典昭はドキュメンタリー映画の古典的なあるべき姿をもっとも見事に体現する。その対象に忠実に寄り添おうとする謙虚さと、そこから生まれる圧倒的な映画的力強さが、皮肉なことに背後にいる映画作家土本の存在を時に見えづらいものにして来たほどだ。たとえば海外では「ツチモト」の名にピンと来なくとも『水俣 患者さんとその世界』と言われれば個々のシーンまで克明に思い出す映画人が多い、といった具合である。
『映画は生きものの記録である』はこの偉大な作品群の向こう側にいて必ずしもよく見えて来なかった土本典昭その人を見据え、記録しようとする映画だが、現代映画として土本典昭その人を撮る我々にとって、土本の古典的ドキュメンタリーの姿勢、その高貴なる純粋さが、すでにあり得ない映画作りになってしまってもいることも、また自覚せざるを得ない。
この映画で土本典昭が語る映画作りがドキュメンタリーの貴重な教科書であると同時に、その古典性を批評的に脱構築することからしか、現代のドキュメンタリーは始まらない。『映画は生きものの記録である』はこの断絶を抱え込んだ映画であると同時に、その断絶それ自体についての映画でもある。
企画・製作:伏屋博雄/監督・編集:藤原敏史
撮影:加藤孝信/監督補:今田哲史/インタヴュー:石坂健治/音響監督:久保田幸雄/演出助手:香取勇進、佐藤寛朗/宣伝美術:鈴木一誌
製作:ビジュアルトラックス
支援:文化庁
邦画
監督:藤原敏史 出演:土本典昭
料金:施設参照
※表示されている料金は全て税込みです。
※やむを得ない都合により、開催スケジュール及び内容が変更になる事があります。詳細は各主催者へお問い合わせ下さい。







