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フランドル

上映・公演は終了しました。

2005年/フランス/1時間31分/配給:アルバトロス・フィルム

世界は終わる。愛は生まれる。

黄金の穂を揺らす、フランドル地方の小さな村。フランドル絵画に嵌め込まれたようなその土地は、田園が美しさを増すほどに人々の狂気を静かに発酵させていく。少女バルブはあらゆる人間の罪を背負うように男たちとセックスを重ね、バルブを強く想うデメステルは彼女の狂気に導かれるように、世界の果ての戦場へと駆り立てられていく。内出血したような様相をたたえるバルブの魂は、内包するものを散らすように精神を破綻させてしまう。しかし帰還したデメスターの罪までも受容し、やがて世界は赦されていくのだった・・・。

人間にとって避けられない、性と暴力という最も根源的な主題を真正面からみつめ、深い洞察と内省に満ちた独自の映像世界を提示し、常に烈しい賛否両論を巻き起こしてきたブリュノ・デュモン監督が、またしてもセンセーショナルで衝撃的な傑作を放った。
長篇第一作『ジーザスの日々』(97)でカンヌ国際映画祭のカメラドール特別賞(新人賞)、および傑出した才能を持つ新人に与えられるジャン・ヴィゴ賞を受賞し、第二作『ユマニテ』(99)ではカンヌ国際映画祭審査員グランプリ、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞を受賞した。そして最新作『フランドル』は、06年カンヌ国際映画祭で再度審査員グランプリを獲得し、ブリュノ・デュモンは文字通りフランスのみならずヨーロッパを代表する若き巨匠のひとりとして正当に認知されたといえるだろう。
『ジーザスの日々』で、無軌道な若者たちの怠惰で暴力的な日常を描き、『ユマニテ』では、少女強姦殺人事件を捜査する刑事の精神的な苦悩を追求したブリュノ・デュモンが『フランドル』で描き出すのは、9・11以後の、戦争が日常化したかのような混沌とした様相を呈する黙示録的な戦慄すべき光景であり、その終末観に満ちた世界のなかでさえも、あらゆる人間の原罪を受け止め、そして赦しを与えていくマグダラのマリアのごとき少女の姿だ。荒漠とした悪意に満ちた人間の有り様は、世界の終わりを予見する。しかしその地割れした世界にさえも、かすかな雫を見出すのも人間であることを映画は予見していく。

フランドル絵画のごとき美しき風景のなかで、本能的な生き様を映し出す

冒頭、題名にもなっているフランドル地方の美しい鄙びた牧歌的な田園風景が映し出される。フランドル地方はベルギーと国境を接するフランス最北端に位置する地域を指す総称だが、とくに西欧美術史においてフランドル絵画は独自のユニークな位置を占めている。なかでも十七世紀のサロモン・ファン・ロイスダール等に代表される風景画は、視点の高さや視界の広がりが強調され、地平線の位置が下がるにつれて森の木立、麦畑、なだらかな丘陵に対比されるように空や雲の描写が際立つ独自の静謐な構図が大きな特徴となっている。
『フランドル』でまず驚くのは、この十七世紀の風景画から抜け出たような絵画的な構図をたたえたフランドル地方の風景の息を呑むような美しさである。ブリュノ・デュモンはかつて「わたしの映画は絵画から発想されている」と述べたことがあり、『ユマニテ』でもクールベやミレーの絵画の構図が意図的に援用されていたが、『フランドル』では彼の故郷でもあるフランドルの風景そのものが重要な役割を担っている。しかしこの美しい景観には、人の気配がほとんど感じられない。視界に入ってくるのはヒロインのバルブと、退屈をもてあましあてどなく往還する若者たち、そして家畜の群ればかりである。その美しい森のなかで、バルブは幼馴染のデメステルとセックスをする。バルブは男友だちのブルンネルとも関係を持ち、彼の子を宿している。パブで視線が合った男にはすかさず秋波を送り、誘いにのってしまうバルブは「ふしだらな」女の烙印を押されている。バルブが森の中で、納屋のなかで男たちと繰り返すセックスは、まるで動物たちのような本能的で無感動な生殖行為の反復のごとくタッチで描かれる。ブリュノ・デュモンはあたかも昆虫を観察する学者のごとき冷徹な眼差しで、本能的な人間の姿をスケッチしていく。

やがて交わされる愛の言葉

しかし、戦場にかりだされた男たちを描く中盤から、映画は大きく変貌を遂げる。森が点在し、緑したたる美しいフランドルの風景とはまったく対極にある、石の家や塹壕と乾いた黄砂が吹き荒れる荒涼たる戦場は、地域はまったく特定されてはいないものの、漠然と中東のイメージを喚起させる。そこは、剥き出しの暴力によって支配された世界であり、そこで繰り広げられる凄惨な戦闘や殺戮とパラレルな形でバルブは精神に変調をきたし始め、遂には精神病院へと送られる。たとえば男たちがひとりの女兵士を輪姦する傷ましい光景があり、後にはその女兵士によって、その若者の一人が恥辱に満ちた方法で復讐されるというおぞましくも衝撃的な描写が累積されていく一方で、狂気にとらわれたバルブも極限まで追いつめられていく。
当初、淫蕩な女という印象を抱かせたバルブは、この戦場の地獄図のような光景と対比されることによって、若者たちの絶望や悲惨をたったひとりで引き受ける癒しの役割を担った存在のようだ。そしてその魂が内出血したようにのた打ち回り、苦悩にさいなまれる姿は、次第にドストエフスキーの『白痴』に登場する壮絶な美しき運命の女ナスターシャのごとき神々しさすら帯びてくるのである。

長い白昼夢から醒めたかのように戦場からの帰還を遂げたデメステルは、バルブと再会する。戦場で見たことを問われても、口ごもるばかりのデメステル。しかし精神病院での体験を率直に語るバルブは、全てを赦し受容するマグダラのマリアのごとき聖化された雰囲気が漂っている。それゆえにラスト、納屋に横たわったふたりが交わす愛の言葉が忘れがたい印象を残すのである。
『フランドル』は、あからさまな政治的な寓意や声高なメッセージ、プロパガンダ的な意図や主張は一切存在しないが、見る者に今ある世界の残酷なありようについて深い思索を促し、研ぎ澄まされた思考を、強い、そして何よりもささやかな希望の原理を説く稀有な作品といえるだろう。

洋画

監督:ブリュノ・デュモン 出演:アドレイド・ルルー、サミュエル・ボワダン、アンリ・クレテル、ジャン=マリ・ブルヴァール、ダヴィッド・プーラン

料金:施設参照

※表示されている料金は全て税込みです。
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