渋谷の街を飛び交うミツバチからはじまる
人と自然が調和する新しいライフスタイル
1962年東京都世田谷区生まれ。渋谷区桜丘町在住。高校卒業後、自衛隊に入隊し、朝霞で3年間を過ごす。渋谷の不動産会社勤務を経て独立し、1998年に渋谷駅前不動産ツインズプランニングを立ち上げる。渋谷さくら育樹の会、渋谷消防団などにも参加。
--ミツバチが飛び交うことで、渋谷の街にどのような影響があると思いますか?
今では都会であまりミツバチを見ることがなくなりましたよね。でも、ミツバチが棲める街は、人と自然が調和していて、人間にとっても住み良い環境だと思うんです。これまで日本は経済成長一辺倒の時代でしたが、そろそろ私たちはライフスタイルの転換を本気で考え始める時期に来ているのではないでしょうか。東日本大震災もそのきっかけの一つに なったと思います。渋谷の街なかに蜂蜜の蜜源となる花をもっと増やしていけば、街は美しくなりますし、美味しい蜂蜜もたくさん採れるようになります。代官山にひまわりを植える活動をされている「ひまわりガーデン代官山プロジェクト」の方々にお声をかけたところ、代官山でも養蜂をしようということになり、ミツバチプロジェクトがさらに広がることになりました。銀座から始まり、その活動の輪は徐々に広がっています。
--もともと佐藤さんと渋谷との出合いは?
吉田松陰を祀る世田谷区の松蔭神社のそばで生まれました。幼い頃から玉電に乗って、よく渋谷に遊びに連れて来てもらいましたよ。東急東横デパートの遊園地とか、プラネタリウムがとにかく楽しかったですね。友だちとの遊び場ももっぱら渋谷で、高校卒業後、自衛隊に入って、3年間朝霞に住んだ以外は、人生のほぼすべてを渋谷で過ごしたと言っても過言ではないかも(笑)。今、渋谷さくら育樹の会に参加したり、ミツバチプロジェクトを始めたり、ボランティア活動に精を出しているのも、自分を育ててくれた渋谷に恩返しをしたいという気持ちが根底にあります。渋谷の何が好きかって、やっぱり多様性でしょうかね。東横線や田園都市線、井の頭線などに乗って、いろんな地域から人が集まるから、いろんな人がいる。誰がいても“浮かない”ような雰囲気が渋谷にはある。例えば最近、まだ幼い孫をスポーティーなベビーカーに乗せて、代々木公園までジョギングに行くんですね。そのまま帰りに東急ハンズで買い物をしたり、街をぶらぶらとして帰るのですが、通りがかりの人が赤ちゃんをあやしてくれたりして、違和感がありません。新宿や銀座だと、そういう過ごし方はなかなかイメージできませんよね。
--今後、渋谷の街はどのように進化してほしいと考えていますか?
桜丘町にも再開発の話があり、私も話し合いに加わっています。事業性を大切にしながら、いかに人や自然がつながれる環境をつくるかという視点で提言したいと思っています。たとえば、さくら通りの桜や街なかを飛び交うミツバチは、街を形づくる“ソフト”として渋谷の魅力を増してくれるのではないかと考えています。それから都市というものは、基本的には資本の論理で動く面が大きいのですが、その中でもいかに多様性を保っていくかという視点も、不動産業者として忘れずに持っていたいです。チェーン店にはチェーン店の魅力がありますが、やはり個人の個性を十分に発揮されたお店があると街に多様性が出て魅力が増しますからね。
--今後のビジョンについてお話ください。
私事ですが、今年、カナダのバンクーバーのハイスクールに留学していた娘の卒業式に夫婦で出席しました。自然に包まれた田舎町の学校ですが、町を挙げて卒業生や町民が一体になってパーティーを開いて卒業を祝う様子に驚き、感動しました。私たち日本人は、一生懸命に働いて経済的に世界に誇れる立場になりました。それはそれで素晴らしいことですが、ちょっと忙しすぎたかな……と考えさせられた出来事でした。人と人、また人と自然のつながりを取り戻していくことが、新しい付加価値を生み出し、従来とは異なる形での経済活動につながるライフスタイルに変えていくことが、これからの時代に求められているのかもしれません。とても小さな活動ですが、「渋谷ミツバチプロジェクト」が少しでも貢献できると嬉しい限りです。