渋谷の裏道を歩けばものづくりに必要なセンスが養われる
渋谷・原宿・青山を結ぶエリアの発信力は世界有数だ
水野孝彦さん(ヒコ・みづのジュエリーカレッジ学校長)
1939年東京生まれ。東京都立大学理学部理論物理学科卒業後、防犯装置などを製造する電機メーカーに入社。3年後、26歳で恵比寿にある宝石研磨教室を引き継いで独立。1979年に専門学校の認可を受け、日本初のジュエリー専門学校を誕生させる。その後、ウォッチやシューズ、バッグのコースを増設し、2008年には大阪校を新設。主著に「校長の靴下はいちご柄」(幻冬舎ルネッサンス)、「ジュエリー・バイブル」「世界のジュエリーアーティスト」(美術出版社)など。
--現在の敷地を選んだ理由をお話ください。
1979年、「専門学校法案」が制定されたのは、日本の教育上、非常に大きなできごとでした。それまでは高校卒業後、基本的には大学進学か就職しか選択肢がありませんでしたが、新たに専門学校という道が開けたのです。専門学校として認可されるには自前の土地と校舎が必要ですので、渋谷、原宿あたりに土地を探し始めました。この場所を選んだのは、学びの場にふさわしい緑豊かな環境があるから。そして、なんとか銀行から融資を受けて、現在の本校舎のある土地を購入して校舎を建て、専門学校としての認可を受けることができました。以後、シューズやウォッチ、バッグのコースを新設し、それに伴い校舎も増設して今に至ります。最近は、初めから「ジュエリー関連の仕事に就きたい」と希望し、本校を探し出す生徒が半分。半分の学生は、様々な専門学校を探す中でたまたま本校を知り、「こういう仕事もあるのか」という順序で将来のビジョンを描く生徒が多いようです。本校の存在から将来のビジョンが広がっているのは嬉しいことですね。
--現在の場所に専門学校を設立して良かったと思うことは何でしょうか。
先ほど述べたように、緑豊かな環境であることが一つ。さらに、私が勝手に「ゴールデントライアングル」と呼んでいる、渋谷、原宿、青山を結ぶ三角形の真ん中に位置することも大きな利点です。ジュエリーや靴、時計などをつくる人間は、つねに最先端のファッションに敏感でいる必要があります。そのための環境として、渋谷は、日本はもちろん、世界でもトップレベルの街といえるでしょう。よく学生に話すんですよ、放課後や休日、学校の周りをグルグルと歩き回れ、と。すべての裏道を覚えるくらい渋谷や原宿の街を歩き、どの店に何が売られているか、自分なりのマップをつくることは何物にも変えがたい財産になると思います。20歳から30歳くらいの間に身に付けたセンスや好みは、おそらく60歳を超えても変わりません。私自身を振り返っても、そうですしね。本校の学生にとって、渋谷や原宿の街で培うことのできるベースは、将来にわたり、ものづくりを続けるうえで非常に大きな価値を持つはずです。
--40年以上、学校を続けられてきて、生徒の気質などに変化を感じますか。
いろいろな面で変化しましたよ。まず思いつくのは、打たれ弱さでしょうか。昔、私が講師をしていた頃には、生徒が悪い作品を持ってきたら、「ダメ」と言って金づちで潰していました(笑)。今、同じことをしたら大変ですよ。講師が少し叱っただけで、無言で荷物をまとめて帰ろうとする学生もいますから。少子化が進んで親が手取り足取り面倒を見るから、何事にも我慢できなくなってしまったのでしょうかね。もちろん、なかには打たれ強い子もいますが、昔のように一律に叩くというやり方は、今では通用しないですね。それから、言葉など表面に表れているものだけで、すべてを理解しようとする子が増えていると思います。世界の98%くらいは、言葉で表されていると考えているのではないでしょうか。人と人が会話する際には、じつは言葉で伝え合えることはほんの一部で、それ以上に感覚的に伝わるものが大きいのですが、今の若い子は、そのことに全く自覚的でない。高校までの勉強が知識中心だから仕方のない面もあるのでしょうが、インターネットの普及により情報が氾濫し、感覚的なことに鈍感になってしまっているのかもしれません。だから、学生には、自分の作品を机に置いてしばらく眺めさせ、何が伝わってくるのかを考えさせる指導もしています。
--逆に、今の若者の良い面はありますか。
やさしくて、何事にも丁寧な子が多いと思いますね。それから昔の若者に比べ、ファッションセンスが段違いに洗練されていますね。高校生の頃から、アクセサリーを自作していたという生徒も少なくありません。これはジュエリー関連の仕事に就こうとする者にとっては大きな武器です。アクセサリーの世界には技能オリンピックという世界大会がありますが、毎年、本校の生徒が日本代表として出場して活躍しています。
--渋谷という地域特性を生かしたイベントなどは行っていますか。
本校では、3年に1回、トリエンナーレと称し、ドイツやオランダの大学との合同作品展を開催しています。以前、その一環として、生徒が自分たちのジュエリー作品をくっつけたTシャツを自作し、いくつかの集団に分かれ、風船を持って渋谷の街を行進。駅前のスクランブル交差点で合流して風船を放すというパフォーマンスを行いました。スターバックスコーヒーから写真を撮りましたが、交差点の騒然とした雰囲気とあいまって、まさに渋谷ならではの壮観さのある企画でした。
--どのような人材を育てたいか、教育の方針をお話ください。
将来、職人やアーティストとして通用する技術とともに、人生を「自己決定」する力を育てたいですね。ものづくりには、正解や不正解はありません。だからこそ迷いは尽きず、最初は講師に判断を委ねようとする生徒も多い。しかし、制作の過程で自分なりに判断する経験を積み重ねることで、気付かないうちに自分の生き方を決める力が身に付いていきます。もっとも、自分ですべてを決定する自由は、すべての責任を負うことの裏返しでもあります。その覚悟を決めたうえでの「決定」でなくてはいけません。生徒には、そのようなことをよく話しますね。
--渋谷の街に足りないものは何でしょうか。
今と昔の渋谷を比べ、どちらが好きかと問われたら、昔と答えます。むろん、そこにはノスタルジーもありますが、それだけではありません。百軒店がきれいに整備されてしまいましたが、雑然とした場所のない街は面白みに欠けると思います。かろうじて、昔の風情を残すのんべえ横丁は、外国人に大人気ですよ。本校を訪れる外国人の講師や学生は必ずといっていいほど立ち寄りますね。ぜひとも、残してほしい場所です。余談ですが、私の息子の妻はフランス人で、その父親が来日した際、真っ先に向かったのがSHIBUYA109。なんでも、自分の娘や息子が日本で一番面白かったのが109というので、自分も行きたかったようで・・・(笑)。ほかに渋谷に足りないものを挙げるなら、緑でしょうか。これからの街づくりは、個別の施設だけでなく、周辺環境との一体化がますます求められるでしょう。緑のなかに施設が建つような街づくりを進めれば、もっと人をひきつける街になるのではないでしょうか。
--今後のビジョンを語っていただけますか。
渋谷区内には、本校を含め数多くの専門学校があります。オープンキャンパスや文化祭などは別個に実施していますが、もし同時に行ったとしたら、かなり訴求力のあるイベントになるでしょう。まだ思いつきのレベルですが、実現できたら面白いですね。また、渋谷の街でイベントが開催される際には、本校の中庭を使用していただくなど、もっと地域とのかかわりを充実させたいとも構想しています。それから、とてもお金のかかることで即座に実現はできませんが、先ほども述べたように、本校の敷地をひとつの拠点として、緑豊かな街づくりに貢献することも大きな目標です。