#シブラバ?渋谷で働く、遊ぶ、暮らす魅力を探る

KEYPERSON

渋谷は出店意欲がかき立てられる街 それが街の魅力として積み重なっていく

クマガイコーポレーション株式会社代表取締役社長熊谷康夫さん

プロフィール

1955年生まれ。渋谷区出身。慶應義塾大学法学部卒業と同時に、祖父が創設した株式会社熊谷商店和食部門を独立させた有限会社蔵社長に就任。1982年、株式会社熊谷商店社長に就任(翌年、有限会社蔵と合併)。2001年、クマガイコーポレーションに改称。現在は、蕎麦店、ピッツェリア、カフェ、居酒屋、ワインショップの5業態9店舗を経営する。渋谷スペイン通り商店会理事、渋谷道玄坂商店街振興組合柳通り支部監査理事、渋谷警察防犯協会理事、少年補導委員ほか。


1979年、スペイン坂に誕生したカフェ「人間関係」は今もその名を刻み続ける。同店を経営するクマガイコーポレーションは、その後渋谷を中心に個性的な飲食店グループを形成する。生粋の渋谷生まれ渋谷育ちの熊谷さんに、渋谷への思いをうかがいました。

食べるものを通してお客様に幸せを提供する会社がやりたい

--渋谷とのかかわりを教えてください。

祖父の代から渋谷です。渋谷と言っても大橋の方で、引き売りで食品を販売していたのですが、大正2年に、当時は繁華街だった道玄坂上、ちょうど今の「道玄坂碑」が立っているあたりに食料品店・乾物屋を出しました。食料統制で一回解散させられ、渋谷も戦災にあいそこも焼けてしまいましたが、戦後すぐに今の井の頭線渋谷駅の方に降りてきて食料品店を出し、それからその頃に出始めた外食産業に目をつけ、「あんみつ屋」のチェーンを始めました。昭和32年ごろです。これは北海道から大阪まで30店舗ほど「谷間」という屋号で展開し、渋谷では西武さんやパルコさんの和装品売り場のコーナーに店がありました。今はもう1軒もないですが。

--お仕事はずっと渋谷で?

私もそうですが、亡くなった先代の社長も渋谷で育って、渋谷で仕事をして…当然私も渋谷で育ちました。父が通った大和田小学校も、私が通った大向小学校もすでに廃校になりましたが・・・。元は商家を営んでいました。祖父が田舎から出てきて始めた頃は生きていくための「生業」だったのが、父の時代に「家業」ぐらいになってきたかと思います。で、私の時代に「企業」になればいいなと思っています。基本的には食品にずっとかかわっており、父は、かなり「食材卸」に力を入れてやっていましたが、私の場合は食品の表現の仕方がレストランやカフェ、割烹(かっぽう)、居酒屋になっているというわけです。会社としては基本的には、父の場合もそうですが、食べることとか、食べるものを通してお客様に幸せを提供していきたいというのが根本にあると思います。それは、今も変わっていません。

--1979年、スペイン坂に「人間関係」を開業しましたね。

外食業態としてはすでにあんみつ屋をやっていたのですが、業態的にあんみつ屋というのは観光地に多く、実際に街の中で日々生活者が使う店としては機能しないので、私はあんみつ屋は不利だと思っていました。「人間関係」は、デザインから起こしている店としては、私が手がけた一番最初の店です。ここは自社物件なんですが、もともとは食材の倉庫を兼ねたり、宿舎があったり、和菓子を作ったり、和菓子を在庫したり…工場があった場所です。変な話、渋谷に残っている唯一の木造かもしれませんね。

--70年代前半にパルコができて、それからスペイン坂が生まれましたね。

そうですね、パルコの増田さんは相当いろんなことを教わりました。渋谷西武があそこにできるときに準備室があり、先代の社長がそこへ話に行くとき、くっついていったりして、増田さんのマーケティングの考え方をたくさん聞かせてもらっていい勉強になりましたね。街のあり方とか、街ってどういう風にしないと生きてないのかとか随分教わりました。ああいう専門店ビルの運営の新しさもそうですけれど、自分のノウハウみたいなことを平気でお話しになっていました。当時、パルコ出版さんが出していた「アクロス」という本はいい本でしたよね。その「アクロス」でも随分勉強させて頂きました。当時のパルコのSP局には、相当優秀な人がそろっていましたね。

「人間関係」は大学生になって一番最初に使う喫茶店を目指した

--「人間関係」のコンセプトは、すぐに浮かんだのですか?

例えば青学出身の女性って、娘さんをまた青学に入れるという方が多いんですよ。そうすると親子2代で来られたりします。高校生から大学生になって、渋谷の街で「カフェに行こう」という時に、当時は「喫茶店」っていうんですけれど、初めて自分のお金で喫茶店に行くというシーンを考えました。戸羽口の店を作ろうと思ったんですよ、「人間関係」の。大学生になってだとか、地方から東京に就職してだとか、一番最初に通過していく店を作ろうと思いました。例えば、娘さんが渋谷でお母さんと待ち合わせすることになり、「スペイン坂にある『人間関係』っていうカフェ知ってる?」と言うと、それを聞いてお母さんがびっくりしちゃう。「まだやっているんだ」みたいな(笑)。使い勝手の良さを追求していくと、先にはそれがあるのかなということで考えた喫茶店(カフェ)ですね。それをうまく変化させながらコンセプトが古くならないように作っている店です。

--この店名は一度聞いたら忘れない名前ですね。

当時、喫茶店の利用シーンはやはり学生を意識したり、社会人の1年生を意識したり、友だちの、集まる場であってほしいと思っていました。フランス語で、「友だち」「仲間」を意味する「コパン(copain)」という言葉を使い、最初「カフェ・ド・コパン」と名付けたのですが、何だかきれいすぎるんですよ。それでサブタイトルを付けようと考えました。友達との間で一番何を大事にするかというと、その人との人間関係ですよね。それでサブタイトルを「人間関係」としましたが、逆にこれをメインにしてロゴを作り直しました。初期のプランの段階のサブタイトルを店名の方に直したわけです。当時は、日本語があまり店名にならない時代だったのですが、結果的に、覚えていらっしゃる方が非常に多いので、得しました(笑)。

--スペイン坂は、渋谷の中でも変化の激しい場所のひとつですね。

昭和40年代から50年代の中盤までで、一気に街が変わりましたね。最初は公園通りの方の開発が進んでいる中で、横の道までは開発が進まなかった。それがパルコパート2、パート3、クワトロとかを展開していく中で、スペイン坂も整備されていきました。商店会でずっと活動していますが、言い方を変えると物販と飲食のミックスが非常にうまくいっている。各ビルのオーナーを含めて、その辺りの連携が非常にいいので、通りとしてのステータスを崩さずに済んでいます。そういう意味では、スペイン坂の店は大きな変化はないですね。専門店街みたいなテナントリーシングの世界とは違うので、逆にしっかり腰を落ち着けて店をやれるし、あまりにも時代から離れると退場になりますよね。

スペイン坂にあるカフェ「人間関係」は間もなく30周年を迎える


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