NHKと渋谷の街とのつながりを強めて 文化の発信源として機能していきたい
東京都出身。1960年アナウンサーとしてNHKに入局。1990年にNHK史上初の女性局長として浦和放送局(現さいたま放送局)局長に就任したのち、1993年にはNHK解説主幹となる。1997年に一旦退職したのち、世田谷文化生活情報センター館長を務め、2005年にNHKに復帰して副会長に就き、現在に至る。
--永井さんは、1990年、NHK初の女性局長として浦和放送局(現さいたま放送局)の局長に就任されましたよね。その当時、浦和市民との交流を積極的に推し進めたとお聞きしました。
当時の浦和放送局の建物は昭和30年代に建造された非常に堅固な建物で、とても放送局には見えなかったんですね。「何の建物だろう」と不思議そうに眺めて通り過ぎる人も多かった。そこで、その存在を市民に知ってもらうために、大きなスタジオを文化活動のために開放したんです。当時は市民が文化活動に使うスペースが不足していたので、地元の陶芸教室の発表会やコンサートなど、さまざまな用途で利用していただきました。さらに、柱を取り払って開放的な喫茶スペースを造ったり、通りに面したコンクリートの壁にテレビを埋め込んで目立たせたり、市民の関心を高めるためにさまざまな工夫をしました。そのアイデアが現在、渋谷にあるスタジオパークのヒントになったとも聞いています。
--最近はNHK渋谷放送センターでも地域との交流を積極的に進めていますよね。
そうですね。渋谷放送センターは全国に情報を発信する役割があるため、以前は地域との親和性をあまり考えていない面があったことは否めません。それが最近は、全国54局のNHK放送局がそれぞれ地域性をアピールしているのだから、渋谷放送センターも地元の街とのつながりを重視しようという方針のもと、さまざまな取り組みをはじめています。
--具体的には、どのような取り組みを進めているのでしょうか。
取り組みの一つである「NHK ハート・ストリート」では、障害者が描いた絵で旗を作って公園通りに飾ったり、店舗の店頭に絵を飾ったりしています。昨年末には「NHK歳末たすけあい」として、どーもくんが渋谷駅の駅頭に立って募金を集めたりもしました。まだまだ足りない部分もありますが、これからはさらに積極的に外に出て地域社会との交流を深める考えです。そうした活動を通して、渋谷区の職員や商店街の方たちとの人間関係が構築されていくのも大きな収穫ですね。
--そのほかには、どのような地域交流をお考えでしょうか。
渋谷に集まる若いエネルギーを吸収することがポイントになるでしょうね。たとえば、NHKふれあいホールでは映画の公開なども行われているけど、案外、若者には知られていない。もっと若者に訪れてもらえれば、口コミやブログによって作品が話題になるでしょうし、スポットとして注目してもらえるでしょうしね。また、公開番組やNHK音楽祭には大勢の人が訪れていますし、今後は演劇祭の実施も検討しています。渋谷がますますクリエイティブな街になるには、若いアーティストが集まるスポットが充実している必要があります。例えば稽古場やスタジオなど、若いアーティストが自由に使える場所が渋谷にあってもよいのではないでしょうか。
1995年に放送70年を記念して、新たにオープンした。「放送をまるごと体験!」をコンセプトにアフレコやアナウンサーの体験ができたり、大河ドラマの再現したセットで衣装を着て写真を撮ることも可能。メガネなしで見られる3Dハイビジョンや番組の収録や生放送も見られる参加型の放送のテーマパーク。 |
NHKハート・プロジェクトの一環として毎年、渋谷・公園通りで福祉キャンペーンを開催。昨年は障害者の描いた534枚の絵がフラッグとなり公園通りを埋め尽くした。 |