カルチャーとビジネスの融合の象徴となる渋谷は日本の元気を生み出す起爆剤となる
1972年徳島県生まれ。早稲田大学在学中の1993年、学生起業家の全国ネットワーク「ETIC.学生アントレプレナー連絡会議」を創設。1994年よりビットバレーアソシエーションの事務局長を務め、渋谷ビットバレーの仕掛け人のひとりとなる。2000年にNPO法人化し、代表理事に就任する。
--渋谷の街の魅力は、どのような点にあるとお考えでしょうか。
若くて雑多なエネルギーにあふれていて、元気になれることでしょうか。常に新しい何かが起こりそうな予感がしますよね。その魅力はネットやIT技術のテクノロジーによって、ますます加速されているように感じます。さらに渋谷には影響力や象徴性があることも、他の街との違いでしょう。渋谷ビットバレーのときに、各地に「ご当地版ビットバレー」が生まれたのは、やはり渋谷の影響力が背景にあったのは間違いありません。そういう意味では、つねに日本の起爆剤になる可能性を秘めた街ですよね。
--逆に渋谷の課題はどこにあるとお考えでしょうか。
渋谷はきれいに整えられた街ではありませんよね。時には、マイナスイメージのものも存在していたりする。だけど、課題があるからこそ、そこにビジネスチャンスがあると思うんですね。と言うと、ビジネスでお金を儲けるというイメージにつながるかもしれませんが、それだけではなく、生きがいを持って取り組める仕事を見つけるチャンスも、あちこちに転がっている街だと思うんですね。そういうチャンスがあること、そして実際にビジネスの実績が集積されていることを、もっと強くPRしてもいいかもしれませんね。そのためには、ソーシャルベンチャーセンターように「ハブ」として機能する場も必要でしょうね。投資会社「サンブリッジ」を経営するアレン・マイナーさんがかつて渋谷マークシティの17階に設立した共同オフィス「ベンチャーハビタット」は、そうした取り組みのひとつと言えるでしょう。渋谷駅直結という最高の立地にもかかわらず、賃料がリーズナブルだから、私たちのように資金的に潤沢ではないNPO法人も活用できた。これから上場しようというベンチャー企業も入居していたから、そこで面白い交流が芽生えるんですね。そうした出会いは、街中で点々と活動しているだけでは生じようがありません。
--街づくりという側面では、どのようなことを期待していますか。
渋谷では、そこで働いたり生活したりする人々の「自発性」を促すような街づくりが似合うと思いますね。そのためには、あえて「何もしない」ということも選択肢のひとつとなるでしょう。たとえば、私は渋谷ビットバレーの仕掛け人の一人と言われることがありますが、表立っては何もしていない。あくまでもニュートラルな立場に徹し、裏方から支援することを心がけました。それによって、一人ひとりの起業家が当事者意識を持ったからこそ、あのようなムーブメントに発展したと思うんですね。何かの活動を活性化するには、その中心にニュートラルで無私な存在があることがとても重要だと考えています。押し付けは渋谷のカルチャーに合いませんしね。そうした存在は、持続可能な発展を考えるうえで、不可欠になってくるのではないでしょうか。
--最後に、今後のビジョンをお聞かせください。
いわゆるITバブルの崩壊によってくじけてしまった起業家と、今も健在な起業家との違いは、ビジネスに対するビジョンの有無だと思っています。かつては起業家といえば「一攫千金を狙う人」というイメージがありましたが、近年は幅が広がって、お金だけが目的ではなく、ビジネスを通して社会的な課題を克服したり、人を元気付けたりしようというビジョンを持つ社会起業家が増えてきた。そうした明確なビジョンがあると、経営の方向性が揺らぎませんし、一度の失敗でもくじけないんですね。これからも、そういう社会起業家を支援するプログラムを打ち出していきたいですね。設立当初とは違い、今ではビジネス起業家を支えるというしくみがビジネスとして成り立つようになって、ある種の生態系が確立されました。ですから、NPO法人である私たちは、いまだ顕在化されていない社会起業家の支援に模索しながら取り組んでいきたいと考えています。
1993年に宮城さんが中心となって結成。当初から一貫して起業を目指す若者の支援を展開する。2000年にNPO法人化。現在は、インターンシップなどを中心とした「起業家型リーダー育成プログラム」、ビジネス的な手法で社会的な課題にアプローチする人材を育成する「ソーシャル・アントレプレナー輩出プロジェクト」、また地域やコミュニティのなかから若い世代のリーダーを育てる「チャレンジ・プロデューサー輩出プロジェクト」などを活動の中心としている。 |