金王八幡宮は渋谷と青山で暮らす人、働く人を護る氏神様。開発が進む渋谷の真ん中で、皆さんの拠り所として神社が担う役割は大きいと思う。
1987(昭和62)年オーストリア生まれ。子どもの時から日本に興味を抱き、14歳で家族と共に初来日。兵役後、ウィーン大学で「日本学」を専攻。その後、名古屋市にある上野天満宮で住み込みをしながら、神主の勉強を始める。2011(平成23)年、國學院大學神道学専攻科に入学。1年間の専門課程を経て、2012(平成24)年に金王八幡宮の神主となり、現在に至る。
初の外国人神主であるオーストリア出身のウィルチコ・フローリアンさん。国や宗教観などを超えて、なぜ神道に魅せられたのでしょうか。今回のインタビューでは、日本人よりも日本文化や伝統に精通するウィルチコさんを迎え、神道から見出したものとは一体何だったのかに迫ってみたいと思う。子ども時代に抱いた日本への小さな興味から神主に至るまでの経緯、さらには大都会・渋谷における神社の役割まで、じっくりとお話を聞きました。
_そもそも日本や神社に興味を持ち始めたいつ頃ですか?
小学生くらいのとき、一番始めは家にあった写真集など、ビジュアル的なものから興味をそそられたのがきっかけ。記憶を辿れば、ヨーロッパとは違う建築や風景、文化的な面に不思議な国、面白い国という印象を持ったのでしょう。その後、14歳の時に夏休みの3週間を使って、家族旅行で日本に来ました。関東から広島までを巡る中で、日本文化に魅力を感じたのは、いま現在も人びとの生活の中に「昔ながらの文化が生きている」という点でした。他の国では、数百年前の衣装や建造物が使われることはないですから。例えば、アメリカには「リビング・ミュージアム」などがありますが、昔ながらの生活を見せるテーマパークであって、実際の生活があるわけではありません。日本の面白さは実際にそれを活かしていること。
_旅行中には何かお土産は買いましたか?
いろいろ買って帰りましたが、変わっているものといえば神棚でしょうか。現在の仕事に至った経緯にも影響していると思うのですが、オーストリアで日々神棚にお参りしたり、自分の生活の中に取り入れていく中で、神主になりたいという気持ちが自然と湧いてきたのかもしれません。そうじゃなきゃ、日本の文化や歴史を学んで、学者になれば良いわけですから。まぁ、確かに変わった少年であったことに違いないですね(笑)。
_その後、ウィーン大学で「日本学」を専攻したそうですね。
「日本学」が自分の興味に一番近かったので、兵役の義務が終わってから大学に入学しました。とはいえ、本を読んでいるだけでは、日本の実際の生活とはだいぶ違う。そこでネットで知り合った名古屋にある神社に御世話になって、住み込みを始めました。神社は歴史や伝統文化ともつながっているし、ここだけでも色々と学べる部分があるなと思いました。14歳から何度も日本に来ている中で、漠然とした興味から一つの魅力的な部分が見えてきた感じ。パッと見て分かるものではない。初めて見たときはすべてが謎だらけで、何一つも分からなかった。なんでこんな格好しているのかも。それを一つ一つ紐解いていけば、必ず理由と物語、歴史があることが分ります。それに一回でも触れてみれば、これほど素敵なシステムはないことが分かり、ハマってしまいました。
_神主になるためには、どういう資格や勉強が必要なのですか?
一般的には神主の資格をとって、神社に奉仕して任命されるという流れ。ただ、外国人ということで前例がなく、本当に神主になれるかどうかも分からなかった。たまたま私の場合は、名古屋にある上野天満宮の宮司さんが温かく支援をしてくれて、神社に入ることが出来たのが大きかったです。その後、一旦帰国をし休学していたウィーン大学を卒業した後、平成23年にさらに上の階位を取得するために再来日し、國學院大學神道学専攻科に入学しました。
_國學院に入学して、渋谷の街で生活を始めて何か気が付いたこと、感じたことはありますか?
たぶん初来日の時にも渋谷に来ていると思いますが、まさか、その時には渋谷に神社があるなんて、思いもしませんでした。学生時代は笹塚に住んでいて、毎日、自転車で宇田川町のど真ん中を通り抜けて通学していました。渋谷は非常に元気な街で、いろんな大きなエネルギーが溜まっている印象があります。現在、渋谷の街は再開発が進んでいますが、常に世の中は変わっていくのが当たり前だと思います。ですが温故知新と言いますか、古いものもないがしろにせず、明るい将来のために古いものを役に立たせるのが、故人の知恵です。古い文化は心がなければ絶対育たないもの。自分一人だけで上手くやろうと思っても、それは一代かぎりのもので文化でも伝統でも何でも無いですね、単なる趣味で終わってしまう。古く昔から伝わっているものは、一代でも失敗したら、もう二度と甦ることはありません。ずっと続いているということは、それが大切なものとして見られていて、これからも大切にしなきゃいけないものだなと思います。そう考えると、開発が進む渋谷においても神社が担う役割は大きいと思います。
_神主になるにあたり、宗教上の問題はありませんでしたか?
確かに小さいときは教会に行ったりしていました。ヨーロッパはそういう文化ですから。でも、私は日本人にそういう質問をされることに、すごく違和感があるんです。なぜかといえば、日本にはもともと宗教という概念がないはずですよね。「あなたが何教ですか?」という質問をする人はいないし、聞かれても答えづらいと思う。たとえば、家が浄土真宗だったり、日蓮宗だったりしても、絶対に神社にお参りに来ないかといえば、そういうわけでもない。家が仏教でも、結婚式はチャペルで挙げて、初詣は神社でお参りしても、全く問題ないわけです。そもそも神道は宗教という言葉に当てはまらないと思いますが、でも日本人にも確実に信仰心があります。もし神様はいないと思うなら、初詣をして賽銭を投げる必要もないわけですから。海外だと、歴史や文化も全然考え方が違います。あなたは宗教AかBなど、まさに身分証明書やパスポートのようなもの。属しているかしていないか、神様や信仰心があるか否かというよりも、コミュニティ的な意味合いが非常に強いです。価値観がだいぶ違う。神道は宗教というより、日本で生活する時に一番適している、もっとも合理的な考え方なんだろうと思います。
_日本人の感覚では、ウィルチコさんがおっしゃる通りだと思います。でも、海外の方は宗教に対して厳格だと思うのですが、ご家族に反対はされなかったですか?
私の家族は「神道が違う宗教だからダメ」ということは一切なかったです。確かに厳格なキリスト教の家だったら、行かせてもらえなかったかもしれませんが…。少なくても私の親は何の違和感もありませんでしたね。もちろん海外の友人に説明するのは難しいです。「神様」をどう説明するかもそうですが、「神主」という職業を説明するのも大変。「Priest(神父)」と訳すと、とんでもない語弊を与えてしまう。友人たちから「神主だと結婚出来ないのか?」とよく聞かれるのですが、決してそういうことはありません。そういう意味で、神主には他の宗教のような特別な規則はあまりないですね。強いていえば、お祭りの直前にはお籠(こも)りがあって、神社によっては「これは食べてはダメ、飲んではダメ」などのきまりがあるところもあります。
_現在、ウィルチコさんは「権禰宜(ごんねぎ)」という役職とのことですが、いま金王八幡宮には、神主さんがどの位いるのですか?
通常の神社の役職は、宮司、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)という3段階に分かれています。祭主や大宮司がいるのは、お伊勢さんだけ。ちなみに金王八幡宮では今、宮司一人、禰宜一人、権禰宜二人、学生一人の計5人でやっています。もちろん神社によって規模が全然違って、たとえば明治神宮は全部で50人くらいはいると思いますよ。
_今住み込みで働いていると思うのですが、1日の神主の仕事を教えてください。
起床は、朝6時。神社の門を開いて宮司から権禰宜まで全員で中と外を掃除し、終わったら、神様に朝食を差し上げるお祭りを行います。この2つは毎日変わりません。それ以外の仕事は、日によって全く変わります。たとえば、祈願の方がくれば祈祷を上げ、事務仕事があればパソコンを使い、庭仕事があれば、のこぎりや枝バサミを持って外へ行くなど、すごく幅のある仕事です。これは一例で、神社の規模や場所によってやり方も違います。また、都内は恵まれていますが、地方では宮司さん一人ですべてをやっているところもあるし、神主だけでは生活が出来ず、兼業でやっているところも少なくありません。神主の一日の生活といっても、各神社ごとに大きく異なります。
_休憩や仕事後のプライベートの時間があるのですか?
適当です。要するに昔の職人さんみたいなもので、風邪ひいたら休めるなら休み、休憩も忙しいときは取れない時期もありますが、取れる時は適当に取ります。そういった意味では、タイムカード通りの仕事ではありません。ちなみに休日は趣味として、日本の伝統文化に関わることをしています。「習字」だったり、「お香」など、仕事に役立つようなこと。本当は茶道、華道までできれば良いと思っているのですが、なかなかそこまでは手が回らない状況です。