「ジャズってこんなもんだけど、どうだい?」 渋谷音楽祭のステージから街行く人に語りかけたい。
1933年東京生まれ。國學院大學久我山中学・高校卒業、立教大学中退。1956年に立川キャンプの軍楽隊のメンバーとともにジャズを演奏する。渡辺貞夫らとカルテットを結成するなどした後、1970年、アートブレイキーに見出されて渡米。帰国後は、オリジナルアルバム「BLOW UP」(TBM)、「陽光」(キング)で日本ジャズ賞を受賞した。スイスのインターネットラジオ、Radio Jazz Internationalから、世界のジャズミュージシャン20傑に選ばれ、「JAZZ GOD FATHER」の称号を受けている。
_話は変わって、鈴木さんと渋谷との出会いについて教えてください。
國學院大學久我山中学・高校に通っていて、当時は学校をさぼって朝一番で映画館に通っていたね。とにかく映画が好きだったから。あと、パチンコもよくやっていたかな。今みたいにスマートな機械じゃなくて、球を一個ずつ入れて弾くようなやつね(笑)。その頃の渋谷にはジャズ喫茶やライブハウスはあまりなかったので、ジャズ関係では新宿に行くことが多かったね。
_当時と比べて渋谷は大きく変わったと思います。
それはもう、別の街という感じですよ。昔は全部平屋だったから。今は渋谷川もちょろちょろ流れているだけですが、当時はもっと水量が多くて魚釣りをしていましたからね。ただ、渋谷駅のガード下のあたりは昔のままの雰囲気が残っていますよね。
_渋谷音楽祭には2009年からずっと出演されていますが、どのような思いがあるのでしょうか。
渋谷のタワレコは意外とジャズの品揃えが少ないし、他でもジャズの看板をほとんど見ませんよね。渋谷は街全体がジャズから遠ざかっている気がして、だからこそ、この街で演奏してジャズに目を向けてほしいという思いがありますね。特に渋谷は若者が多いので、そういうジャズと関わりの薄い世代に向けて、「ジャズってこういうものだけど、どうだい?」と伝える気持ちで演奏しています。
昨年(2014)の渋谷音楽祭では、DJ KENSEIとセッションを繰り広げた。
_渋谷音楽祭での屋外ステージは、ライブハウスで演奏するのとは気分が違いますか。
それはそうですよ。ライブハウスはライトが当たって一種独特の感じがありますが、昼間にストリートで演奏するのもまた面白い。特に、通りすがりの人が「何だろう」という感じで寄ってきてくれるのがいいですね。もちろん、そのためには、良い演奏をしないといけません。つまらないジャズを聴かせたら、逆にみんなが遠ざかってしまうからね。選曲の考え方もライブハウスとは違う感じです。いろんな趣味の人がいるから、スタンダードと新しい曲を交互に入れて、少しだけ泣かせるようなバラードを入れようか、いや、バラードは退屈しちゃうお客さんが多いかな、とか、あれこれ練っていますよ。毎年演奏している道玄坂のステージも眺めが良くて気に入っていますね。まあ、ぜひ聴きにきてください。
_今後の夢や目標を教えてください。
ベース奏者としてもまだまだと思っていますから、もっと上を目指したいですね。あとは、やっぱり日本人のプレイヤーを育てたい。俺は周りのミュージシャンに結構きついことを言っちゃいますが、一緒にやっている連中にも巧い子はいます。そういう子たちに大きく育ってほしいと心から願っています。ジャズというのは、自分の音を耳で感じて次にどういう音を出すか、そういうものだと思っています。スピード感は必要だけど、居合いのようなもので、ゆっくりなのにスピードがあるという演奏でなければいけない。そういう演奏を究めるために、これからも一瞬一瞬が勝負という気持ちで弾き続けますよ。