商店も、住人も、外の人も一緒に参加して楽しめる「渋谷フェス」を立ち上げたい。
1973年東京生まれ原宿育ち。1996年「スマイル」でホフディランのVo&Keyとしてデビューし、「遠距離恋愛は続く」「恋はいつも幻のように」「欲望」「極楽はどこだ」など、ヒット曲を連発。デビュー以来、シングル19枚、アルバム12枚をリリース。また、来年にはデビュー20周年が控えている。音楽以外でも、映画・グルメ・グルメ漫画などに精通。幅広い知識を活かし、ラジオ/TVのパーソナリティーや、CMナレーション、雑誌連載、WEBプロデュースなど、精力的に活動中。2015年7月、渋谷区観光大使 兼 クリエイティブディレクターに就任したばかり。
「生まれも育ちも原宿」「初ステージもメジャーデビューも渋谷だった」というホフディラン・小宮山雄飛さんは、まさに筋金入りの「渋谷系」だ。来年でメジャーデビュー20周年を迎える音楽活動はもちろん、ラジオパーソナリティーや雑誌連載、最近ではNHK教育「趣味の園芸 やさいの時間」のカレー講師や、「渋谷区観光大使兼クリエイティブディレクター」に就任するなど、持ち前の明るい性格と、幅広い知識を活かして多彩な分野で活躍を続けている。今回のインタビューでは「渋谷区観光大使兼クリエイティブディレクター」に抜擢された経緯から、再開発が進む渋谷のまちに対する想い、さらに観光大使として実現したい大きな夢に至るまで、じっくりとお話を聞きました。
_Twitterで渋谷区になぞって“粒谷区(つぶやく)の区長”をされていましたが、なんと今回、正式に渋谷区の長谷部区長から、直々に渋谷区の観光大使兼クリエイティブディレクターに任命されました。もともとどのような経緯で、この話の依頼があったのですか?
長谷部さんとは、区議会議員になる頃からのお付き合いです。ボクも長谷部さんも地元が原宿で、年齢的には彼が二つ上なんですけど、学生時代に海外に行ったりしていたため、就職時はボクの世代と一緒なんですね。だから、ボクと共通の友だちがいたり、そんな地元のつながりから長谷部さんが博報堂を辞めて、区議会議員に立候補するというタイミングの時に知り合いました。別に仕事でご一緒したことはなかったのですが、その後も何かとつながっていて、区長選前にお会いした時に「区長になったら、何かやってよ」という話があって。「じゃー、副区長にしてください」と言ったんですけど、「それは出来ない!」と断られました(笑)。
_それで観光大使に?
当選した翌日にすぐに連絡をもらい、「何かやろうよ」という話になって、観光大使兼クリエイティブディレクターという役職をいただきました。
_長谷部さんから、どんな仕事をしてほしいと言われているのですか?
いわゆる区の仕事をボクが実際にやるわけではなく、あくまでも民間という立場で、何か渋谷を盛り上げるようなアイデアとかを出して、外からサポートしてほしいということでした。
_いやらしい質問ですが、謝礼とかギャランティーが発生しているのですか?
もらわないですよ。実は、それもどうかとは思うんですけどね(笑)。この間、ちょうど区民税の納付のお知らせが届いたんですが、なんでボクが支払わなきゃいけないのみたいな(笑)。それは冗談ですが、もともと地元で何かをやりたいと思っていたので、こういうきっかけで肩書きをいただけたことはとても有り難いことです。今後どんどん区のことや、地域のことをやっていきたいなというふうに考えています。
_観光大使としてやってみたい、何か具体的なアイデアはお持ちですか?
渋谷って、いろいろな文化がとにかく外からどんどん集まってくるじゃないですか。例えば、代々木公園のフードフェスとか、よさこい祭りとか。次はハワイだ、オーストラリアだと全世界のものがやって来ます。でも、よく考えてみれば、渋谷の地元や住人が自分たちでやっているものは、意外と少ない気がします。もちろん、住民だけの小さなお祭りはあるんだけど、とにかく外からどんどん来るので、埋もれちゃっているのかな。地域と外から来る人びとのイベントが分断されてしまっているのかもしれません。たとえば、代々木公園でフードフェスをやっていても、地元のおじいちゃん、おばあちゃんはなかなか行けない。逆に地元の夏祭りに行ったら、おじいちゃんとおばあちゃんだけで、若者が全くいないみたいなことは少なくありません。区長とも話をしたんですけど、理想は「麻布十番のお祭」かなと。地元の商店街や小中高生、あるいはもともと地元に住んでいた人びとも参加し、さらに本当に遠方から毎年楽しみに来る人びとも多いじゃないですか。
_確かに麻布十番は、大使館や商店街の屋台があったり、地元と外からの来街者がうまい具体に融合していますね。
地元のイベントって、どうしても商店会が中心になっちゃうんですよね。たとえば、原宿には欅会(けやきかい)という、すごいしっかりしている商店会があります。いろいろ面白いイベントなどをやっているんだけど、でも、そこに加入できるのは地元で商売をしている人だけ。ボクなんかは、40年も住んでいますけど、商売をしているわけではないので、当然、商店会には加入できない。だから、商売している人も、住んでいる人も、商売も住んでもいないけど、まちを利用している人も、みんなが一緒に何かできるイベントや、あるいは交流の場となる常設的な施設などが出来たらいいなと考えています。それこそ、肩書きに「観光大使」だけではなく、「クリエイティブディレクター」と付けてもらった理由も、そこにあります。すでに渋谷にはいっぱい人が来ていると思うので、いわゆる観光促進でPRして人を呼ぶというよりも、地元の人びとと渋谷のクリエイティビティーを増やすようなことをしたいなと。便宜上、「観光大使」も付けているというのが本音です。
_さて、先ほども話に出ましたけど、雄飛さんは生まれも育ちも原宿なんですよね。
今、住まいは渋谷ですが、実家はずっと原宿です。住所でいえば、神宮前ですね。
_小さい頃は、どこでどんな遊びをしていたのですか? やっぱり都会の遊び、独特の遊びみたいなものがあったのでしょうか。
渋谷って、意外に自然が多いんです。虫を捕ったりこそしなかったけども、普通に公園で野球をやったり…。あとボクの世代までは、青山に駄菓子屋さんが残っていたので、みんなで駄菓子を買って公園に行ったりとか。自分が住んでいる場所が都会だという感覚は全くありませんでした。たとえば、小学生の時に世田谷区から転校してきた友達がいて、「すげえな世田谷、こいつなんてカッコイイところから来たの!」みたいな(笑)。原宿って、割と都会というか、ちょっと下町っぽい感じもあるので。もちろん、オシャレなお店もたくさんあったのですが、あくまでそれは大人たちの世界という感じだったので。
_世代的には、竹の子族やタレントショップ、バンドブームなど、原宿発の様々な流行やブームを間近で見てきたと思います。住人である雄飛さんは、そういったものをどのように見ていましたか。
やっぱり影響はすごく受けています。タレントショップで言えば、ボクの認識ではさだまさしさんのショップが一番始めだと思います。表参道と明治通りの交差点、ロッテリアが入っている八角館ビルの2階にさださんのショップがあって、まだタレントショップという名称もない頃の先駆けだったと記憶しています。
_80年代、山田邦子さんやビートたけしさん、所ジョージさんをはじめ、タレントショップが多々ありましたが、その先駆けがさだまさしさんだったというのは驚きです。
意外に知られていない事実です(笑)
_原宿は常にティーンズに向けた新しいカルチャーを発信し続けていますが、その要因は一体何だと思いますか?
おそらく、夜が栄えていないことが、逆にいいんじゃないですかね。
_お店が早く閉まるということですか?
ええ。ちょっと条例的なことは分らないですけど、昔から原宿は居住区で、ゲームセンターやパチンコ屋などを作っちゃいけない地域なんですよ。それが渋谷と原宿の大きな違いで、原宿はお昼や夕方の健全な文化が主流で、夜はすごく静か。一方、渋谷は良くも悪くもいろいろなことが起こるし、クラブ文化も盛り上がっていて、そこが面白いところ。原宿はそういうものがないから、要は変な事件があまり起こらないんだと思います。
_「夜が早い」というのは大きいですね。そのほかはいかがですか?
もう一つ、よく言われるのは、渋谷の真ん中には出店が出来ないけど、その周辺の家賃がちょっと安いところにユニークなお店がぽつぽつと生まれてくるという。たとえば、代官山だったり、裏原だったり、またIT系が一時期、富ヶ谷に結構集中していたとか。渋谷の中心を目指す新人たちが、その周りのエリアから出てくるという土壌があります。原宿も同じで、若い人たちにとってチャレンジができる場所なんだと思います。