【特別企画−座談会】
渋谷発のファッション文化を世界へ。
「ファッション・ウィーク東京」を軸に活動する若きデザイナーたち
天津憂さん/ A DEGREE FAHRENHEIT
1979年大阪生まれ。04年単身New Yorkへ渡米。06年Avant-garde グランプリ受賞。05〜09年NY コレクションブランド Jen Kaoにてメインパタンメーカーを勤める。帰国後、上海、台湾、韓国、サウジアラビア、ドイツにてRunway Showを発表。2012DHL Award 受賞。2013年メルセデスベンツ ユニホームデザインを担当。
江角泰俊さん/ Yasutoshi Ezumi
1981年広島生まれ。ロンドン、セントラルセントマーティンズ美術学校ファッション&テキスタイル科卒業。アレキサンダーマックイーン等コレクションブランドで経験を積む。2010 年、ブランド「Yasutoshi Ezumi」を開始。2011AWより東京コレクションにて発表。2013SS ANTEPRIMAとのコラボレーションラインANTEPRIMA + YEをミラノコレクションファッションショーにて発表。
中島篤さん/ ATSUSHI NAKASHIMA
1978年岐阜生まれ。2004年、渡仏。ジャンポールゴルチェ アシスタントデザイナー就任。2009年、ジャンポールゴルチェ ディフュージョンライン ヘッドデザイナー就任。帰国後、ブランド「ATSUSHI NAKASHIMA」を開始。2012年、「ファッションウィーク東京」で2012AWデビューコレクションを発表。2012年、第3回DHLデザイナーアワード受賞。
_皆さんと渋谷との付き合い、また渋谷で仕事を始めて感じた印象は?
江角さん:ロンドンから渋谷に来たのは3年前、20代後半のとき。渋谷で働き始めて感じるのは、いろんな表情を持つ街だなということ。駅をちょっと行くだけで街の雰囲気が一気に変わるし、一般的に渋谷というとハチ公側のイメージが強いですが、個人的にはアトリエのある桜丘町や代官山あたりが好きです。
天津さん:僕は大阪出身ですが、高校卒業してからずっと渋谷に住んでいます。僕が学生だった10年くらい前と比べると、渋谷はだいぶ落ち着いたようにと感じています。もしかすると、僕が仕事ばかりで引きこもり、外出していないだけかもしれませんが…。
全員:(笑)
中島さん:僕は2年前に東京に出てきたばかり。もともと出身は岐阜で、名古屋からパリに直接行ったため、それまで東京や渋谷とは全く縁がありませんでした。渋谷は活気があるし、今までの僕の生活とは真逆の世界です。古典的で、古き良きパリに住んでいたのに対し、そこから一転して最先端の渋谷じゃないですか。街からすごく刺激を受けていて、ちょっとずつ自分のデザインにも影響を与えているように感じています。
江角さん:ここで仕事をして感じるのは、色々なものがすごいスピードで動いていること。人のスピードや情報もそうだし、また建物が無くなったらすぐに新しいものが出来るなど、景観も人も物もどんどん変わる。ロンドンでは、感じなかったスピードです。渋谷は生活しながらも、そのスピードを体感できる街なんだと思います。流行の移り変わりが早く、歩いている人たちのファッションも次々に変わっていくのが見えます。
_天津さん、ニューヨークと比べてどうですか?
天津さん:そうですね、どうでしょう。ニューヨークも東京と似ているので、だから僕にとっては住みやすい場所でした。ヨーロッパに行くと全然違うと思うけど、ニューヨークも東京とほとんど一緒で早い。お店が潰れて、新しいお店が出来る…という、スピード感は同じ。
中島さん:特にパリはゆったりしていたので、渋谷に来て、より一層スピードの早さに驚いています。
_海外で「東京ファッション」はどう評価されているのでしょう?
江角さん:ロンドンの本屋に行くと、原宿系ファッション雑誌「FRUiTS (フルーツ)」を置いているなど、一ジャンルとして「原宿ファッション」「ロリータ」などが確立しています。また、東京そのものの印象もオシャレだと感じている外国人が多いように感じました。
天津さん:ニューヨークでは、あまり東京ファッションの情報は入ってこなかったですね。おそらく情報が多くて紛れてしまったのかも。
中島さん:フランスはクールジャパン・ブームと言われますが、それはごく一部。日本と一緒でフランスのおたくたちがすごく好んでいるだけです。日本のメディアはその一部を捉えて、フランス全土でそうだという印象で取り上げる傾向があります。現地に住んでみると、実際はそうではない。僕の場合、その日本人のイメージがかえってマイナスに働くケースもありました。たとえば、僕が何かデザインすると「これは日本人っぽいね」って。要するに「マンガっぽい」と揶揄されることも…。
江角さん:それはあるかも。海外に出てみると、いろんな意味で日本の印象を外部から教えてもらえるところがある。それは良いところも悪いところも。日本のメディアは、それを浅く広く軽く伝えている感じがします。
_また日本人は器用だといわれますが、海外での職人としての日本人の評価は?
江角さん:実際、クオリティーがすごく高いし、時間を守る、それから真面目だと思う。ヨーロッパ、たとえばイタリア人も腕もあるし、仕事もできるが、ただ時間にルーズだったりする。日本の作る技術はすごく高いし、作り手の思いも強いと思います。
天津さん:ニューヨークのどのトップメゾンにも、必ず一人は日本人がいるくらい。やはり重宝がられています。理由は真面目で器用だし、良いものを作ってくるというイメージ。そもそもアメリカには伝統がないので、ヨーロッパのような職人に対する評価が薄いように感じます。たぶん、分かっていないんじゃないかな。江角くんの言うとおり、日本のものづくりは評価されていると思うが、その反面、頑固なところもあって(笑)。変えられず、また雰囲気がなかったりすることもあります。
全員:(笑)
中島さん:海外のファッション教育自体が分業化されていて。デザイナーはデザインだけ、パターナーはパターンだけ。そうすると、人に何か伝えるときに必ず誤差が生じてきます。日本の学校では、デザイナー志望でもパターンも縫製も勉強する。僕の場合、パターンを勉強した後、縫製工場で働いていたので、一環して仕事が出来るというスキルがありました。僕はジャンポール・ゴルチエのところで働いていたんですが、デザイン画だけ見せてもゴルチエにはうまく伝えられない。だから、自分の思い描いたものをすぐに形にして見せて、理解してもらうように努めました。そういった点で評価してもらえたと思う。もちろん、大きなスポンサーがいて、自分はデザインだけして誰かに作ってもらえればそんな必要はないのですが…。僕らのような、小さなブランドでは一通りの仕事が出来ないとやっていけないですね。
_海外で生活する中で、日本人としてのアイデンティティーが目覚めたことは?
江角さん:海外に行くと、かえって日本人を感じる。やっぱり、作り手としてはヨーロッパの人が持っていない感性や、バックグランドがアドバンテージになります。たとえば、日本の「能楽」をテーマにものづくりをして、それがどう評価を受けるのかを試してみたり…。また、同時にもっと日本のことをより勉強したくなりました。戦争のこと、文化のこと、仏教のことなど、外国人に聞かれても答えられないときもあったので…。
中島さん:ゴルチエは日本の伝統的なもの、中でも着物、刺繍をすごく気に入っていて。僕は日本にいた頃は、日本の古い文化に対して全く興味がなかったのですが、海外に出て気づいたという面はあります。「日本人なのに、そういう文化を知らないの?」というか、海外の人の方がよく知っていたりすることも多くて。なので、ブランドの2シーズン目は「日本」をテーマにコレクションを発表しました。それ以来、ブランド全体に日本のエッセンスなどをなるべく取り入れるようにしています。
天津さん:僕らが経験したように、若い人たちはどんどん海外へ行った方が良い思う。情報化社会で情報がすごく溢れているため、どうも行った気になってしまう。また、旅行も手軽になって、旅行で満足して行った気になる。でも、それじゃ分からないと思う。やっぱり、そこに住んで中に入り込まないと。たとえば、いい服を今の子どもが知っているかといえば、ほとんど知らないと思うので。触って着てという状況がない世の中になっているので、とにかく経験値として体験した方が良いと思います。
_かつては「DCブランド」ブームがありましたが、最近では「ファストファッション」が台頭するなど、経済とファッションは密接に関係しているように感じます。モード系デザイナーである皆さんは、今のファッション業界の現状をどう感じていますか?
江角さん:当然、昔の方が良いなと思う。それは作り手にも生産者にも、また消費経済にとっても。現在はファストファッションなど、安いものが売れる時代。パワーバランスが完全に昔とは違うのかなと感じています。
天津さん:ただ、最近では大量生産のものでもクオリティーがすごく高くなっています。昔のブランドものと、そうレベルが変わらない質のものもあるくらい。ただ、モチベーションは全く違うと思う。僕が学生のときは20万円のコートが欲しくて、すごくお金を貯めて買うわけです。それを着たときのモチベーションは、すごく大きいものがあって。今の時代は、そうしたファッションに対するモチベーションが下がっていて、ブランドへの憧れもなくなっているように感じる。お金のあるなしだけではなく、僕たちはすごく貧しくてもそこに手を出した時代なんですよ。僕がものづくりをするのは、その当時のモチベーションが今も残っているからだと思っています。
中島さん:僕らデザイナーにとっては厳しい時代。また、ハイブランドもピラミッド構造が完成していて、上にいるブランドも簡単には落ちてこない。デザイナーはスポーツ選手と違って、死ぬ寸前までデザインができます。たとえ、デザイナーが死んでもブランドは残るじゃないですか。そう考えると、僕らみたいな若手が入る隙間はほとんどない。じゃあ、僕らはどうしたら良いのか?たぶん、僕らの世代は自分のブランドを大きくするという発想ではなく、有名なビッグメゾンのディレクターを目指す時代なのかなと思う。そこでデザインして多くの人びとに着てもらう、それが一つの道なのかなと感じています。
_かつてのモードファッションの輝きを取り戻していくため、渋谷の街に何が必要だと思いますか?また現在、足りていないものは何でしょうか?
江角さん:むしろ、足りすぎているので削った方が良い。たくさんボールがある中に、さらにボールを投げてもダメだと思う。渋谷はモノや情報に溢れ、かえってファッションが見えづらくなっています。もっとシンプルにするべきでは…。
天津さん:「30代でやっとものづくりが出来て、40代で自分のやりたいことが出来る」とよく言われますが、僕らがだんだんその世代に近づいています。発言力を高め、僕らが渋谷で活躍できる立場になっていくことが重要なのかなと思っています。
中島さん:かつてのDCブランドブームのようなものが、また渋谷で起こらないかなと期待しています。もちろん、僕らだけでム−ブメントを作ることは難しいですが、周りのバックアップも含めて盛り上げてもらえるとうれしい。
_最後に、今後の皆さんの目標や夢を教えてください。
天津さん:海外でのコレクション発表は念頭に置いて。ただ、今のライフスタイルを考えると、洋服以外のアプローチも同時に考えていきたいと思っています。たとえば、家具とか空間とか…、アートという方向も考えていきたい。
中島さん:僕は「ファッション・ウィーク東京」で経験を積み、将来的にはパリとか、ロンドンでファッションショーをやっていきたいです。
江角さん:やっぱり、僕も日本でしっかりやっていきたいという思いと共に、海外でもやっていきたい。デザイナーとしてはロンドン、パリ、ミラノでショーがやってみたい。如何せん、お金がものすごくかかるので、簡単ではありませんが(笑)。デザイナーとしての夢は、そこでの活躍です。
Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2014-15A/W
メルセデス ベンツ・ファッション・ウィーク東京
毎年3月と10月、国内最大のファッションイベント「メルセデス ベンツ・ファッション・ウィーク東京」が開催されている。今春は3月17日(月)〜3月22日(土)までの期間、渋谷ヒカリエや、六本木・メルセデス・ベンツ・コネクションなどを会場として展開される。天津憂さんの「エーディグリーファーレンハイト」、江角泰俊さんの「ヤストシ エズミ」、中島篤さんの「アツシ ナカシマ」など、国内外で活躍する45ブランドが参加し、2014-15年秋冬コレクションを発表する。
※関連イベント
渋谷ファッション・ウィーク
「ファッション・ウィーク東京」会期中、渋谷では関連イベント「渋谷ファッション・ウィーク」が開催される。「ファッション・ウィーク東京」がバイヤーやメディア向けのイベントであるのに対し、「渋谷ファッション・ウィーク」では、SHIBUYA109、渋谷パルコ、渋谷ヒカリエ、西武渋谷店、東急百貨店、丸井渋谷店など、渋谷の大型商業施設11店舗が初の連携キャンペーンを展開。さらに渋谷ハチ公前広場(3月14日〜16日)に特設ステージも開設されるなど、「渋谷の街」全体がファッションイベント一色に様変わりする。