社会にどんな“チェンジ”、期待する?
たった一人の発信が世の中を動かす“Change.org”
高校まで日本で育ち、米イェール大学に留学。卒業後、マッキンゼー&カンパニー勤務を経て、オバマ選挙キャンペーン参加、ソーシャルインキュベーター企業Purposeの立ち上げに参画。2012年帰国し、2013年Change.org日本を設立する。コワーキングスペース・みどり荘のオフィスで、2名のスタッフとともにChange.org日本を運営中。
たった一人の発信が社会変革の動きを生み出す署名サイト「Change.org」が、2013年に日本でのサービスをスタートしました。代表を務めるのは、オバマ大統領の選挙キャンペーン・スタッフなどの経験を持つハリス鈴木絵美さん。国家レベルの政策から日常生活の気になることまで、世界中の人びとの「変えたい」という気持ちを支援するChange.orgは、日本人の意識や日本の社会にどう働きかけ、どんなきっかけを与えていくのでしょうか。また今回のインタビューでは、SHIBUYA109、カラオケなど、学生時代の遊び場は「渋谷だった!」という絵美さんと渋谷との深い関係についても、じっくりとお話を聞きました。
_署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」について教えてください。
Change.orgは、社会問題の解決のためにキャンペーンを立ち上げ、オンラインで賛同者を募り、政策提言や権利擁護などにつなげるWeb上のプラットフォーム。2007年、アメリカでベン・ラトレイが立ち上げました。きっかけは、ベンの弟が家族に対してゲイであることをカミングアウトしたこと。「これまでの中で一番傷ついたのは、差別的な言葉を浴びせられたことではなく、性的マイノリティの権利を認めている人が声を上げてくれなかったことだ」という弟の言葉を聞き、ベンは大きな衝撃を受けたと言います。日頃、社会問題を論じている自分が、一つもアクションを起こしていないことに気付いて。そこで弁護士を目指して通っていたロースクールをきっぱりと辞め、試行錯誤の4年間を経て、2011年に「署名キャンペーン」に特化したウェブサイトを立ち上げたわけです。その後、大反響があって急成長し現在は18言語で展開され、世界196カ国に5,800万人以上のユーザーがいます。日本語サービスは2013年にスタートしました。
_どのような著名キャンペーンがあるのでしょうか。
全世界で毎月1万5000件のキャンペーンが立ち上がっています。内容は、各国の事情が反映されていますね。アメリカでは人種差別や人権の問題が比較的多く、最近米国ではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど、性的マイノリティの人々)関連が目立ちます。インドでは女性に対する暴行がクローズアップされていますし、スペインやギリシアでは財政などの政府の問題に関するキャンペーンが多いです。日本では、最近は秘密保護法や歴史認識の問題などが盛り上がっています。でも、チェンジのキャンペーンは、そういうニュースで取り上げられるようなビッグな話題だけではありません。例えば印象深かったのが、ニューヨークに住む17歳の女の子が、10代の少女向け雑誌に対してアクションを起こしたキャンペーン。ファッション誌では、モデルの写真がフォトショップなどで美しく画像修正されるのが普通になっていますよね。それが若い女性には大きなプレッシャーになっているんです。その女の子は、「普通の女の子でいてもいい」というメッセージを込めて、「毎月3枚は加工しない写真をファッション雑誌に掲載してほしい」というキャンペーンを始めました。これが少女たちの共感を集めて署名は数万筆に上り、実際に編集長と会談をして要望が実現しました。身近なことから社会を変えられるというChange.orgの本質を物語る、私の好きなキャンペーンの一つです。
_絵美さんの経歴を教えてください。
父はアメリカ人、母は日本人で、日本で生まれ育ちました。高校卒業後、米イェール大学に留学し、そのままマッキンゼーに就職してコンサルタントの仕事をしていましたが、2年ほどで腰を痛めて退職。当時は、精神的にも混乱していました。企業が利益のみを追求するビジネスに失望する半面、お金を稼がなくてはいけないという現実もあって。ちょうどその頃、オバマの選挙キャンペーンがスタートし、友だちに誘われて参加することに。ニューヨークなどの都市部の若者を中心に、「こんなカッコいい候補者は見たことがない」「絶対に当選させよう」という、ものすごい熱気でした。政治に無関心のまま25年間を過ごしてしまっていた自分も、社会と真剣に向き合うきっかけになりました。それまで社会は偉い人や専門家が作るもので、自分は無関係の世界に生きていると、感覚的に区別していました。ところが、実は社会は全ての人の手によって作られていて、全員が積極的な参加者になるべきだし、そうしなければ他の人に勝手にルールを決められてしまう、という現実に初めて気付いたんです。それは私だけではありません。多くの若者がオバマのキャンペーンを通して、社会に対してアクティブになったと思う。その経験をして以来、私は社会の動きを無視できないという気持ちを持ち続けていますし、アメリカ在住の友人たちも、今も積極的に政治活動にかかわっています。
絵美さんが代表を務める署名サイト「Change.org日本」のウェブサイト
_「変革」の時代にいるという自覚を持つ日本人が動き出した
オバマのキャンペーン後は、ネットを活用してムーブメント作るPurpose(パーパス)という参加型のキャンペーンサイトの運営に携わっていました。そんな頃にChange.orgが日本に進出する話が持ち上がり、スタッフを募集していました。Change.orgのビジョンに深く共感し、「これは私にしかできない仕事だ!」と思って応募。でも、日本では政治活動や市民活動に参加した経験は一切なかったし、日本人がChange.orgをどう受け止めるのかも全く予想が付かなかった。すごいプレッシャーを感じながら帰国したんです。
_アメリカで働き続けるという選択肢はなかったのですか?
ずっと、日本に帰るチャンスをうかがっていたんですよ(笑)。両親は日本に住んでいますし、私はハーフですが日本人ですので、やっぱりアイデンティティーの部分で、本当の自分でいられるのが日本なんです。こういう顔をしていますから、100%日本人として認めてもらえずに傷つくこともありますが、幼なじみに会ったり、日本のお風呂に入ったり、和食を食べたりなど、日本で過ごしていると心が安らぎます。帰国して1年半ほど経ちますが、本当に帰ってきて良かった。幸せ度が全然違います。
_帰国後、アメリカとのビジネスの違いに戸惑われたことはありませんか?
そこまで日本のルールを気にしなくていいのは、この顔の特権でしょうか(笑)。ちょっと猶予があるというか、「まあ仕方ないか」と、許されてしまう部分はあります。だから日本のルールを踏まえると、いろいろと無礼なことをしていると思いますよ。応接室の奥がお客様の席だと、最近まで知らなかったり、とか。でも、日本人には変えづらい慣習などについて、あえて「ちょっとおかしいのでは」と言って、空気を変えてみたいという思いはありますね。
_Change.orgに対する日本人の反響はどうでしたか。
当初はネット署名が受け入れるかどうか、すごく不安でした。日本にも署名活動はありますが、労働組合や市民団体などの大きな組織がするものでしたから。やはり、立ち上げ時はなかなかユーザーが増えず、苦労しました。とにかくChange.orgを知ってもらおうと、ランチやディナー、飲み会など、どこにでも顔を出したり――。TBSの選挙番組への出演依頼を機にテレビ番組に出るようになりましたが、自分が有名になりたいという気持ちは少しもなく、代表である私の顔が広く知れ渡れば、Change.orgの信頼性が高まるだろうという考えです。そんな活動を続けるうちに、いくつかのキャンペーンがメディアで大きく取り上げられ、次第に認知度が高まり、ユーザー数がグングンと伸びていきました。きっかけの一つが、サッカーの男子代表の飛行機移動がビジネスクラスなのに、なでしこジャパンがエコノミークラスであったことに対し、男女平等の待遇を訴えたキャンペーンでした。このキャンペーンの発信者はBBCのインタビューを受けるなど、国際的にも注目を受けました。現在の日本のユーザーは25万人以上で、当初の予想以上の伸びです。これは、東日本大震災があったり、政治的に大きな動きがあったりして、変革の時代にいるという自覚を持つ多くの日本人が動き出しているからだと考えています。ただ、ユーザーがアクティブなのに対し、受け入れ側のリテラシーが追いついていないのは課題です。署名を行政などに提出しようとしても、「ネット署名は受け付けません」と言われたこともあります。アメリカでは署名はオンラインが常識ですが、今は日本も首相がFacebookを使う時代ですから、徐々に変わっていくだろうとは思っています。
_日本のユーザーには、どのような層が多いのでしょうか。
社会や政治への関心が高い40〜60歳代が多く、やや男性に偏っています。アンケートでは、ユーザーの6割以上は、特定の政党を支持していない、また特定のNPOやNGOに寄付していないと答えていますから、組織ではなく、個人を主体とした集まりといえるでしょう。ただ、やはり若い人や女性の発信力が欠けているのは、少しアンバランスですね。これは、日本が抱える社会的な課題を映し出していると言えるかもしれません。こうした層も含めて、いろんな人が気軽に発言できるようなサポートに努めるつもりです。
昨年からコワーキングスペース「みどり荘」に入居。撮影はライブラリーを併設するリビングスペースにて。