丸の内でも秋葉原でもなく、TEDxの多様性を考えれば、
渋谷がベストフィットだと思う。
左:パトリック・ニューウェル(Patrick Newell)
アメリカ出身。1991年より日本に在住し、教育活動家として20年にわたり世界各国の学習環境の変革と向上を目指した活動を行う。東京インターナショナルスクールの共同創設者をはじめ、児童養護施設の子供達への支援活動「Living Dreams」や21世紀にふさわしい教育法を開発する「21 Foundation」の創設、さらに日本における起業活動の支援と育成を提供する環境づくりを推進する非営利団体「インパクトジャパン」の共同創設者として運営に携わる。
右:トッド・ポーター(Todd Porter)
1989年にアメリカ・デューク大学を卒業後、戦略コンサルタントならびに社会起業支援などの活動を経て、スタンフォード・ビジネススクールに入学。教育関連会社の起業やTEDカンファレンス代表のクリス・アンダーソンの元でベンチャー・キャピタリストとして働いたのち、2004年より日本在住。イノベーターズ・エコシステムの原型となる「イノベーターズ・グリーンハウス」やTED×Tokyoの創立に関わり、現在「インパクトジャパン」の共同設立者を務める。
2012年春からNHK「スーパープレゼンテーション」の放送が始まり、アメリカ発のアイデアスピーチ・イベント「TED(テッド)」の存在を知る日本人が徐々に増え始めています。そもそもTED(テッド)の名称はテクノロジー(Technology)、エンターテインメント(Entertainment)、デザイン(Design)の頭文字で、1つの業界に偏らず、多種多様な人びとのアイデアがミックスされる場(カンファレンス)を提供し、未来を形づくるという考えがもと。1984年にアメリカで始まったTEDは、世界各地で生まれているTEDx(テデックス)というTED精神を受け継ぐローカル・コミュニティーを通じて発信され、現在その数は140以上の国と地域にまで広がっています。2009年、本家アメリカに次いで2番目に誕生したTEDxTokyo(テデックス・トーキョー)は、いわば、海外コミュニティーの先駆け的な存在。今回のキーパーソンでは、TEDxTokyoを仕掛けた共同設立者であるパトリック・ニューウェルさん、トッド・ポーターさんのお二人を迎え、TEDxTokyo設立に至るまでの経緯から渋谷を新拠点に選んだ理由、さらに2013年5月11日に開催を控える「TEDxTokyo2013」の見どころまで、日本に対する愛情たっぷりに熱く語っていただきました。
_初めて日本にやってきたのは、いつですか?それは何を目的に来日されたのですか?
パトリック:今から21年前に日本にやってきました。僕の出身地であるカリフォルニアでは、多くの投資家はビバリーヒルズに住んでいます。常に「マネー、マネー、マネー…」といって日々を送っていて、決して生活を楽しんでいない。僕はそんな生活に疑問を感じ、25歳のときにアジアに行こうと決意しました。
_なぜ、アジアだったのですか?
パトリック:アジアは、アメリカとは全然違う文化や思想を持っています。僕はそれを少しでも理解したいと思い、少なくとも5年間はアジアに住んでみようと考えました。まず、インドやタイを訪れ、そして東京にも行ってみようと。東京はビッグカルチャーを持っていて、グッドシティーだって聞いていたし、何よりも日本人の友だちがとてもラブリーだったので(笑)。
_初めて来日したときの印象はいかがでしたか?
パトリック:街は清潔で、人びとは本当に親切で上品で驚きました。食べ物はすべて美味しかったのですが、ダメだったのは納豆、それからイクラ。学生時代にイクラを釣りの餌に使っていたので、「えっ、これ食べるの?」って。
トッド:でも今、彼はイクラが好きですよ(笑)。
パトリック:そう、最初はダメだったけど、今は大好きです。
_トッドは、いつ日本に来たのですか?
トッド:8年前です。シリコンバレーに9年住んでいたのですが、同じ場所にいるのはつまらないと思い、ブラジルに引っ越そうと考えていました。そんなときに、たまたまサンフランシスコのブラジルイベントに行ったら、今の妻と偶然出会ったんです。結果、ブラジルではなく、日本へやってきました(笑)
_学生時代から海外を飛び回っていたと聞きましたが…
トッド:3歳のときから「ナショナルジオグラフィック(National Geographic)」のファンで、世界中の写真を見ては「世界を冒険したい!」って思っていました。初めての海外は、12歳のときにフランスにホームスティ。夏休みの3か月間をそこで過ごしましたが、その経験が僕に良い刺激を与えましたね。その後、学生時代には「4年間、どこでも好きな国へ行っていい」というスカラーシップ(奨学金)を得て、数多くの世界各国を巡ったり…。こうした外国への興味が日本に転住するキッカケにもなっているし、また将来を考えれば、イノベーション、カルチャーのレイヤーから、アジアがキーになることは明らかだったので。
_日本の印象はいかがですか?
トッド:アジア全体はとても面白いけど、やっぱり、勉強するなら日本が一番かな。特に日本のデザインセンスが好き。旅館や日本庭園など、日本のセンスはすごい。先ほど、パトリックも言っていましたが、世界の中で日本の料理が一番美味しいと思う。僕の別腹は「寿司」。何を食べた後でも、ウニ、イクラは入りますよ。ちなみに我が家のネコの名前は「サシミちゃん」です(笑)。
_さて、2人が出会ったのはいつ、どこで?
トッド:僕が企業団体のアドバイザーをしていたとき、アントレプレナー・アソシエーション・オブ・トーキョー(Entrepreneur Association of Tokyo)創始者だったパトリックを講演会のスピーカーとして招いたのが、初めての出会い。
パトリック:その後、偶然に自由が丘のバーで会ったんだ(笑)
トッド:当時、2人とも自由が丘に住んでいたので、それからは自由が丘の街のベンチを僕らのミーティングの場にして、街行く人びとを眺めながらいろいろ話し合うようになりました。
パトリック:僕らの共通した興味は2つ。一つは「これからの日本をどうすれば良いか?」。そして、もう一つは「エコシステム(※)を作りたい」ということ。
トッド:日本が作る材料や品質は世界一。でも、日本は従来の縦社会を維持する企業が多く、ちょっと時代に合わない。少し新しいスタイルを取り入れることで、将来も今の日本のポジションを守ることが出来るんじゃないかと…。
パトリック:それまで日本にはアイデアのエコシステム、プラットフォームがなかったんです。以前、トッドがTED代表のクリス・アンダーソンのもとで働いていたことがあって、それを日本でもそれをやったら面白いんじゃないか、みんな一緒に参加できるエコシステムが作れるんじゃないかって話になったんですよ。
トッド:アメリカではTEDブランドはよく知られています。でも5年前、それを日本で知っている人はほとんどいませんでした。そこで最初のチャレンジとして、アメリカのTEDに了解をもらって、2008年に自由が丘の僕の自宅でパブリックビューイングを実施したんです。これが日本版TEDの始まり。アメリカと同じく様々なイベントに参加をしている一番面白い人など、なるべく様々な分野の人びとを招待したのですが、とにかくすごいエネルギーでした。
パトリック:そこで、次のステップではライブビューイングだけではなく、ライブスピーカーが欲しいと思いました。そして、実際にプログラムを立ち上げたのが、お台場・日本科学未来館で開催した「TEDxTokyo 2009」で、本家アメリカ以外では世界で最初のTEDxとなりました。
※エコシステムとは直訳すると「生態系」で、現在は自然界の食物連鎖のように様々な業界や企業、人、モノ、アイデアが有機的に結びついて、好循環を生み出す仕組みを意味する用語としても使われています。
左:パリトック・ニューウェルさん 右:トッド・ポーターさん
_第一回目のTEDxはいかがでしたか?
2009年、お台場・科学未来館で初開催したTEDxTokyo © TEDxTokyo
パトリック:アメリカのカンファレンスは5日間行われます。でも、日本ではイベントを5日間続けることは難しいし、お台場というアクセスを考えると1日イベントにするのがベストかなと。TEDではイベントのクオリティーを保つために完全招待制になっていて、事前に招待状を出して申込みのあった人に来てもらうルールになっています。立ち上げた当初はTEDを知らない人も結構多かったため、スタッフやキーパーソンとなる方々を通じて、お薦めの人を紹介してもらいながら招待者を募りましたが、最終的には定員を超す多くの人びとから申込みがありました。
トッド:メディアも含めて全体の招待者数が限定されていることもあり、コミュニティーを活性化するため常に新しい人たちを招待しようと努力しています。僕たちはオーディエンスを含めたコミュニティーづくりが一番重要だと考えていますので、質をキープするために魅力ある人をなるべく加えたいと思っています。
_当初、スピーカーは何人だったのですか?
パトリック:第一回目は23人ですね。そして、オープニングスピーカーは高円宮妃久子様でした。
トッド:皇室の方がイベントに出席される場合は名前だけという方もいらっしゃいますが、高円宮妃久子様は本当の意味での参加者でした。彼女の文化活動や、プロジェクトなどを見てもその志の高さがわかります。
パトリック:会場の警備もとても大変でしたが、TEDxTokyoの最初を飾るのにふさわしいスピーカーでした。
トッド:質という意味では、僕たちが求めるのは、先端的で、前向きで、才能があって、エコシステムづくりに対して貢献的であること。さらに社会へ積極的に関わろうとしている人たちです。
パトリック:つまり、チェンジメーカー。いくら頭で考えていても何もやらない人ではなく、実際に行動を起こし、何かを変えられる人たちです。
トッド:TEDxのユニークなところは、今年のオーディエンスが来年はスピーカーになったりするところ。さらに、いくら素晴らしい人たちでもアーティストだけ、社会起業家だけ、技術者だけといったように同じジャンルの人たちが集まるだけじゃダメなんです。TEDxの魅力は、すべてのジャンルがミックスされているところにあります。
_スピーカー一人の持ち時間は12分までだそうですが、なぜ、12分間なのですか?
© TEDxTokyo
パトリック:実は明確にルールがあるわけではないんです。
トッド:たとえば、3分間で理解できる完璧な話を6分間に引き伸ばしてしまったら意味が伝わらなくなる場合があります。複雑でも素晴らしいアイデアなら、むしろ長く説明するより時間を凝縮したほうがよく伝わる。さらに一つのセッションでは複数のスピーカーが様々なテーマで次々話すので、そこから12分以内でとなったのかも。
パトリック:短い時間であっても、アイデアは出せます。時間の長さよりも、アイデアが一番重要なんです。
_TEDxTokyoとして他に何か行っている活動はありますか?
パトリック:現在、アメリカのTEDカンファレンスの精神である「広める価値のあるアイデア(ideas worth spreading)」のもと発足しているコミュニティーは、東京だけではなく、日本国内で24ライセンスに達し、アイデアのエコシステムが徐々に拡大してきています。たとえば、TEDx Tohoku、TEDx Fukuoka、Sapporo、Kyotoなどの地域や、さらにTEDx WasedaU、TEDxKeio SFCなど多くの大学でも運営しています。僕たちは、新しいコミュニティーを作りたいという人たちへのアドバイスやサポートをしています。
トッド:TEDxTokyoが良いチャンスとなって、僕たちの夢だったエコシステムづくりが実現しつつあります。
パトリック:本当にエキサイティングな流れになってますよ。前よりも、さらに進化したものを見せたいから、とにかく良いアイデアがあって、コントリビューション(貢献)を惜しまない人たちにどんどん集まってほしいですね。
ライブスピーカーとオーディエンスの垣根なく、会場覆う高揚感と一体感もTEDxTokyoの魅力。 © TEDxTokyo