When away from Shibuya, why and Kyun - Shibuya the city,
It gave me a lot given that kind of inspiration to me.
1960 born. Debut as a singer-songwriter in 1983. It announced the 45 singles and 18 sheets of the original album by the end of 2007. In addition to music activities, she appeared in many movies and dramas as an actor, host of the television program, the radio program personality, such as essays, have continued the success in a wide range of fields. 2008, pickled people separated in the country of music activity, over to New York aimed at jazz pianist. 2012, launched a new label in New York, the United States released debut as a jazz pianist to "Boys Mature Slow" in the same July. Japanese edition has just released on September 6, according to the own 52-year-old birthday.
--ズバリですが、渋谷は好きですか?
好きです。渋谷は時間によっても、メディアによっても、いろんな表情を持っている、可能性の塊ですよね。人の表情にもいろいろあって、待ち合わせをしている間に、タクシーから降りてくる人のやり取りとか表情をウォッチングしているだけでも楽しい。なんか渋谷の街に乗り込んでくるぞという、エネルギーが溢れていて。あの山手通りを越えたところぐらいから、「ヨイショッ!」って、なんか渋谷モードになっていく。それがどこか嬉しいです。悪びれずに言うと、渋谷はアミューズメントパーク的な楽しさが常にある街だなと思います。どこかでテレビの撮影をやっているかもしれないし、何かに出合うかもしれない。そういう単純なときめきみたいなものが、「渋谷」という響きにはあるなと思います。
--上京したのは、いつごろですか?
本籍は東京なのですが、実は生まれは関西圏。大阪の藤井寺市で生まれ、育ちも関西です。東京にやってきたのはデビューして1年ぐらいたったとき。住まいは自由が丘、厳密に言えば奥沢です(笑)。はじめて東京に来たときは怖かったですね。奥沢のアパートに移り住んだ時、朝、子どもの東京弁で目覚めたんですよ。「何やってんだよ、てめえ!」「バカ言ってんじゃねえぞ!」って。ドラマが始まったみたいで、そのとき「あー大阪じゃないんだ」と思いましたね。いまだに鮮明に覚えています。
--当時、渋谷にもよく行きましたか?
自由が丘で電車を乗り換えて渋谷に行って、取材を受けるのも、レコード録りも、すべて渋谷を経由していました。僕の曲は当時のマンウォッチング、ウーマンウォッチングに由来することが多いんです。いつも、電車に乗りながら人を観察したり、人の流れをぼーっと眺めながら、詞の中のドラマを書き込み、絞り込んでいく作業をしています。たとえば、87年に発表した『Olympic』というアルバムの中の『夏渡し』という曲。この歌詞は渋谷から東急バスに乗って、自由が丘方面に帰るときの情景を書いたものです。「政治の真似事のようなビラをまいた…」という曲だしで「渋谷の改札で声を上げる人の群れたちよ あれから新聞も活字が増えたと目を細めてる この国に夏が来る 変わらずの夏が来る…」と続く。少し政治色の強いセンチメンタルな曲なんですけど。僕、バスの後部座席で揺られながら渋谷から遠ざかると、なぜかキュンとするんですよね。僕は東京人じゃなくて、今たまたま東京に住んでいて渋谷に何時間かいて、タワレコ(TOWER RECORDS)、シスコ(CISCO RECORDS)に行って、うどんを食べて、じゃそれから、どうしようかって。やっぱり家に帰ろうって、バスに乗って去っていく時に、ふと出てきた歌詞が『夏渡し』という作品だった。渋谷という街は、そういうインスピレーションを僕にいっぱい与えてくれました。
--渋谷では、レコード屋巡りをすることが多かったのですか?
当時は、まだレコードでしたね。タワレコが宇田川町にあったころで、輸入盤を求めて行ったり、ジャケ買いしたり、なんかサブカルチャーの匂いがプンプンして楽しかった。そのあと役者の仕事をするようになって、宇田川町にあった「渋谷スタジオ」にもよく行きました。同じ街の風景なのに、仕事の目線のときはちょっとピリッと引き締まったような気持ちで、あそこら辺の景色を眺めたり…。あと、ニューヨークに行く前の2年ほどですが、渋谷公会堂の隣にあるマンションの10階、11階あたりに住んでいたこともあるんです。渋公でコンサートをやる時は、家から楽屋に入るまでに8秒ぐらいでシュッて入れちゃう。玄関開けたら5分で仕事みたいな(笑)。当時、2匹の犬と一緒に暮らしていたんですが、もっぱら散歩コースはNHKのところを下りて行って、元タワレコの前を通り抜け、東急ハンズのところを曲がり、ミスタードーナツのところからびゅーっと入って小学校の裏を通っていくという…。ジョギングのときは、富ヶ谷のほうにぐるっと回っていって。そう考えると、ほんとに思い出深い街ですよ。
--1年10カ月ぶりの帰国ということですが、何か変わったなと感じることはありますか。
あります、精神的な部分で何かが変わったと。それはたぶん震災も大きいと思うんですけど、目に見える街の建物がどうのこうのではなくて、人が限りなく優しく思い合って、支え合っている。何かそういう気持ちを投げかけ合っているような、そういうものを感じるんですよね。たとえば、エアコンの設定が高くても、誰も文句言わないで、ちゃんとそういう感覚を共有しているし。タクシー乗ってもそう、どこに行ってもみんな不平とか言わないでしょう。我慢強くて、自分より相手のことを考えるという、そういう日本人がここにいるな、と。改めて日本人魂というものに気付き、再認識させられるような気持ちになっています。きっと海外に住んだからこそ、感じることが多いのかもしれません。
--ニューヨークにあって渋谷とか日本に無いもの、一方で、渋谷や日本にあってニューヨークに無いものは何ですか?
やっぱりジャズクラブかな。日本だと6〜8千円とかするものが、例えば10ドルとかね、もっと安い5ドルとかで、ほんとにクオリティーの高いジャズの演奏を気軽に聴くことができます。ふらっと入ってみた小さいジャズバーで、一般的には無名でも、知る人ぞ知る素晴らしい演奏者と出会ったり、ほんとにうまい人がいっぱいいます。そういう層の厚さをすごく感じますね。
一方、日本の良さは、とにかく食べ物がおいしいこと。もちろん、ニューヨークにも手が届かないぐらいの値段を出せば、そういう場所もあるんですけど。日本食、ラーメン、洋食に限らず、ジャパニーズイタリアンとか、フレンチ、中華料理も含めて、全てにおいて日本のものはほんとに繊細でおいしいと思います。それから日本で驚くのはコンビニのレベルの高さ。僕は帰国すると、まずはコンビニに行って「オムライスおにぎり」を買います。もう待てなくて店の前で、ほぐほぐほぐってラッコがハマグリをコンコンと叩くみたいな勢いで食べちゃいます。それが何よりも楽しみですね(笑)。
--ニューヨークではジャズが手軽に聴けるというお話ですが、かつて日本にも「ジャズ喫茶」が流行した時代がありましたが、現在の若者たちはジャズを聴く機会が少ないですよね。今の日本の状況を見て、どう感じていますか?
昔、村上春樹さんがマスターをしていたような…、エッセーの中にも書かれている、ああいう雰囲気の店が無くなっているのはほんとに寂しいですよね。文化っていろんな層が重なっていて、いろんな味わいがあって、人ぞれぞれ全部趣味が違って、それが多彩に影響を与え合っているというところが魅力だと思うんです。だから、そのジャズの灯がリッチな場所だけになってしまって、それこそ気軽な場所で、コーヒー一杯でジャズを味わうような場所が減ってきているというのは寂しいです。
--大江さんが考えるジャズ魅力と楽しみ方を教えてください。
ジャズである前に、音楽ですよね。音楽力、音楽を作っている人の人間力の反射だと思うんです。ジャズは演奏している人の魅力が反映されるものだし、喜怒哀楽が共存してる。コメディーとか、悲しい物語というだけではなくて、悲しいんだけど救いがあったり、クスッと笑えたり、笑い泣きとか。特に泣き笑いみたいなフレーズがジャズの中にはいっぱいあって、具体的に言えば、マイナーなのに、マイナーメジャーセブンスなんてコードがあって「どっちやねん」っていうような味わい深いコードがある。本当に噛めば噛むほど味わい深くて、ドアをノックすると、その先にドアがいくつかある。その中の一つを開けると、またドアが増えていて、どんどんどんどん楽しみが増えていくような。僕もまだ、ジャズのマウンテンのふもとに立ったばっかりですけど、今までジャズを聴いたことがなくても、いま話題になっている「女子ジャズ」でもいいし、いろんな入口から入って来てもらって、いろんな聴き方を楽しんでもらえればいいと思います。「これはジャズじゃないよ」なんて誰にも決められなくて、「これがジャズだな」と自分にとってのジャズと思えるものを見つけたら、どんどん貪欲につまみ食いして欲しい。あんまり難しいと考えず、ジャズを楽しんで聴けばいいんじゃないかなと思います。
知識をひけらかしたりするだけなら、もうウィキペディア(Wikipedia)しちゃえば済んじゃうんだから(笑)。いかに自分のハートでキャッチして、どういうふうにそれを表現できるかというね。ビル・エヴァンスを聴いて、田舎の景色を思い出して泣きたくなるというのでもいいと思うし、自分にしかないジャズの聴き方というのをしてもらえばいい。あとジャズを聴いていればオーケーみたいな、そういう薄っぺらい聴き方じゃなくて、もっとオーガニックに人間力で聴いてほしいなと思いますね。
--現在、大江さんは音楽にどのような気持ちで向き合っていますか?
ジャズを学んだことによって、曲を書くにしても、ピアノを弾くにしても、引き出しは増えたし、よりロジカルに理論的に考えるようになりました。一方で理論を学んだからこそ、やっぱり音楽はなんだかんだ言っても理論じゃない、心が創るものなんだということを改めて実感しています。今まで自分が無意識に感じていたエモーションや、音楽を心で楽しむこと、それは絶対に捨てちゃいけないって思っています。
--今後の目標、夢を教えてください。
近い夢で言うと、技量をもっともっと上げて、様になるトリオができるようになりたいです。それができるようになったら、今度はソロでバリエーションを増やして、シンプルで、心に染みるジャズができるような、そういうピアノが弾けるようになりたい。ジャズはシンプルであればあるほど技量が問われるので、今はそれが目標です。あとは作曲家、編曲者として、ビッグバンドのアレンジを手掛けてみたいですね。時間がかかるものなので、まだもう少し先にはなると思いますけど、一つ一つですね。でも、始めないと何も始まらないので、ちょっとずつですけど一歩ずつ踏み出していきたいですね。
今年で7年目を迎える「第7回渋谷音楽祭」は、「こんにちは」・「ありがとう」・「ごめんなさい」をキーワードに音楽を通して生きていることの大切さ、未来への希望を発信する渋谷発の音楽イベントとして恒例化。今年は11月10日、11日の両日、渋谷公会堂をはじめ、マルイシティ渋谷・1Fプラザ、SHIBUYA109前、道玄坂通り、文化村通りなどをメイン会場として「渋谷の街」全体を音楽一色に染める。大江千里さんは11月10日(土)の渋谷公会堂のライブに出演します。
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