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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1950年神奈川県横浜生まれ。1976年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、同大学大学院で吉阪隆正に師事、1976年修士課程修了。同年よりフェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(スペイン)勤務。1979年より菊竹清訓建築設計事務所に勤務。1981年に独立、内藤廣建築設計事務所を設立。2001年より東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授。2003年より現職。代表作の「海の博物館」(三重県鳥羽市)で日本建築学会賞、第18回吉田五十八賞などを受賞。みなとみらい線・馬車道駅でグッドデザイン賞など受賞。そのほか受賞多数。

大事な決断は今年とか来年。5年後じゃ、ちょっと危い。10年後じゃ、絶対遅い。

--それを活性化するにはどういうことが一番大事なんでしょうか。

難しいですね。みんなでやろうというのをどこまでできるかですよね。大きいのと小さいのみたいなのではなくて、それは共存共栄で、そういう風に持っていけるかどうか。まだ本当の意味で危機が来ていないから、その必要性がみんな分かっていないのかもしれませんね。都市間競争の危機が露骨に渋谷に訪れていないので、まだ、そうなっていないんですよ。恐らく、この10年ぐらいの間に、そういうことが割と顕著に現れてきて、やっぱりみんなで一緒にやらなきゃ、と言ったときは手遅れなんです。客足が落ちるとか、今度、下町地区が頑張るとか…東京にも都市再生のいろいろなプロジェクトがあるわけで、ただでさえ六本木に持っていかれて…。今はどちらかと言えば退潮が見え始めたところ。東京国際映画祭も出ちゃうし。そういう中で、徐々に危機は訪れつつあるんですよ。でも、まだ飯は食えると。だから真剣にならないんですね。みんな一緒にやらないと滅びる…とみんなが気付いたときは遅い。だから賢い人たちを募って、どのぐらい先手を打てるかというのが今の状態。大事な決断は今年とか来年の話じゃないですかね。

--今なら、まだ先手の部類に入るということですね。

まだ渋谷のブランドは落ちていないと思います、特に若者に対して。それをどうできるかというのは、本当に必死の思いでみんなやらないと、うまくいかないと思います。そういうときにやっぱり強力なリーダーシップが要りますよね。それと、渋谷がどのぐらいブレーンを抱えられるかということが大切。そういう文化的なブレーンだとか、行政的なブレーンだとかが必要ですね。街で足の引っ張り合いをやってもしょうがない。そういう人たちが5人から10人のブレーンをいつも抱えていて、何かと言うと、その人たちと相談をしながら作っていく——そういう感じが欲しいですね。

--立ち上がるなら今というとこですね。

そうです、僕はそう思いますね。5年後じゃ、ちょっと危い。10年後じゃ、絶対遅い。これは委員会でも言いましたが、立派できれいな街が出来て、街が衰退するということもあるんですよ。それじゃあ、本末転倒でしょうと。だから行政的、政策的に投下されたものを最大限利用して、最大限の繁栄を勝ち得て、それをどうやったら自分たちのものにできるか、というのが基本なんじゃないですか。それをみんなでやりましょうよというのが、今の段階。ちょっと心配なのは、若者文化、若者文化と言いながら、例えばビルのオーナーかの会などに呼ばれると、みんなそこそこもうお年ですよね。だいたい60代。要するに、バブルの成功体験がまだあるんですよね。本当は、若者の街と言うんだったら、もっと若い人がそういう場に出てこなきゃいけない。経営者でも何でも。それが問題かなという気がします。もっと若い人が、ああいう何か重要なことを決めるところになんで出てこないんだろうと。彼らだって、かつては若かったわけですから、だから、もっと代替わりを早めに積極的にするというのは、ビルのオーナーの人たちの見識でもあるんじゃないかと思います。例えば、息子を出してくるとか。やはり30代とか、いっても40代とか、JC(日本青年会議所)のレベルでやるような、そういう活動がいいんじゃないかなと思います、街づくりは。おじさんたちは一歩引いて、彼らがうまく活躍できるような仕掛けをしたり、ガードしたり、横やりが入ったら守ってあげる、というようなことなんじゃないかなと思います。

--渋谷の未来を考えなきゃいけない時期に来ているという訳ですね。

そうです。恵まれたものをたくさん持っているわけですから、素地としての地形というのは、これはもう変えようがないような一つの基盤を持っているわけです。その良さ、あるいはそれが故に出来てきた良さみたいなものを、もうちょっと皆さんが気付くべきです。その土地が作った癖というようなものをもっと気付いて、いい方向に持っていってもらいたいですね。自分の癖ってなかなか気が付かないものですよね。そういうのは僕らみたいな、ちょっと外部の人間を混ぜて、あなたの癖はこれですよ、みたいに言ったほうがいい。

渋谷の未来??自由な気分でいられる街になってほしいなぁ。

--話は変わりますが、「shibuya1000」はどういうところから立ち上がったのですか?

渋谷では僕は基盤委員会やガイドライン委員会とかにかかわっていて、その計画全体の工程表を見ると最低20年間工事現場になるわけです。ただでさえ、今、あそこの明治通りはもうずっと工事中で、みんなうんざりしているところに、まだ続きがあるのかみたいな(笑)。そうなると、この20年間の過し方がありますよね。20年は長い。だから、その過程でもう少し人のパワーが街に出てくるということをイベント化できないかと考えました。今回の「shibuya1000」は、そうしたことのきっかけ、第一歩になり得るもの目指しました。仮設的で、ちょっとゲリラ的で、なおかつ街のいろいろな空気が、あるいは温度がそこから出てくるみたいなことはできないかと考え、若者が中心になって作り上げています。

--通路を使ったイベントは珍しいと思いますが、やはりパブリックでやる面白さがあるのでしょうか?

平たく言うと、明治以来、わが国はパブリックスペースというのを持ってなかったんです。だから、公の場所には本当は滞留しちゃいけないわけです。もともとは70年の安保のときの新宿駅の西口広場で、学生たちが集会をしようとしたときに追い払った。ここは、要するに人が通過する場所で、許可なくして滞留してはいけない。そんなのは都市か…という気分はあります。混雑時以外は別に多少滞留したって何の問題もないはずなんですが。ストリートでやるということは、そういう流れに対してちょっと棹をさすことになります。何かを展示するというのは滞留するわけですから、そういうゲリラ的な気分がいいと思うんですよ、渋谷らしくて。そういうの面白いよねとか、いいよねって皆さん言い始めてくれて、そういうことがあちらこちらで起きてきたら、それは楽しいと思います。やはり実際にやってみないと、一般の人は分からないでしょうね、どんなに図面とか模型を作ってもわからない。僕も分かんないな、これ。だから、今進んでいる企画が本当にうまくいくかどうかはまだ分かんない。一生懸命やっていますけど。ただ、そうやって少しずつ下から、草の根から崩していく第一歩だと思っています。

--「shibuya1000」というネーミングについては?

最初はいろいろな1000を集めようという、本当に単純な企画でした。1000という数字を言い出したのは、研究室の助教の川添君です。やればやるほどいろいろな人が集まってきて、今では映像作家もいっぱい集まって、デザイナーも活躍している人が参加してくれて、写真家も20組以上が参加してくれて…。最初は誰も1000集められるなんて、少し疑っていたところもありましたが、いろいろな人が「俺も写真撮ってくれ」「おれも撮ってくれ」という話になって、今本当に1000集まりそうなんです。誰かがその数字を言ってしまうと、そういう熱気が実現できる場所って、実は渋谷だけなんですね。丸の内で1000と言っても、「お前、勝手にやっていろよ」と言うし、新宿でも「1000も集まるの?」と見ているだけなんですが、渋谷の場合は1000と言うと、「じゃあ、俺も」「じゃあ、俺も」…それは写真家の人も、映像の人も、デザイナーの人も、もちろんそういうアーティストだけじゃなくて、住民の人とか、渋谷で働く人、渋谷で学ぶ子供たち、そういう人たちが集まって来られる、ある種のプラットホームを作った意味も1000に込めました。この渋谷という場所と、そういうある種の熱狂というか、熱意というか、その1000という大きさが、ちょうど今リンクし始めたころです。今は委員会のようなものが主導していますが、本来的には街の人が主体になるべき話だと思います。僕は勝手連みたいなので始めちゃいましたけど、これはなかなかしんどい。いきなりは無理かもしれないけど、徐々にやっぱり街の人主体で、街の人が中心になって立ち上げて、やっていただけたらと思います。そうなるとやった甲斐もあったと思うんだよね。目下のところはしんどいことばかりですが(笑)。

--やはり商店会などの垣根を越えて、何か一つになってやることが必要になってくる?

と思いますけどね。僕はいろいろなところで街づくりをやっていますけど、最初は年寄りが出てくるんですよ。何々組合の会長とか、町内会長とかがわっと出てきて、会議というとそういう人たちとやるわけですよ。それだけで終わったところというのはだいたい駄目ですね。そのプロセスのどこかで若い人がどんどん出てきて、若い人の力が盛り上がってきた街というのは、まあ、何か起きてきます。渋谷もできるだけそうなってほしいなと。要するに、年配の方と若者の役割分担がちゃんとできるといいですね。年配の方はもうパワーないんだから、ちょっとサポートに回って、別にそれだって、街づくりなんだからいろいろあるはずですから…。それには、年配の方のキャパシティーというか、度量が必要ですね。いつまでも、俺が俺がという思いも非常に大事なことですが、でも未来を永久に生きられるわけじゃない。オリンピックのバトンじゃないけど、アメリカみたいに速い選手ばかりをそろえても、途中で落とすということもあるわけじゃない。受け渡しが大事なんですよ(笑)。

--渋谷の街、希望を言えばどういう街になっていってほしいと思われますか。

自由な気分でいられる街になってほしいなぁ。どんどん世の中きれいになって、そういう気分を許してくれる場所って少なくなってくるんですよ。要するに、自由というのはそういうことだと思います。もちろん完全な自由はない。だけど自由というのは、何者にも縛られないで未来を考えられる、そういう場所。当然そこには、ものすごく大きな希望と、ものすごく大きな不安があって、それは若者の特権ですよね、両方を持つのは。過剰な希望ととんでもない不安、そういうのを抱えた人が紛れ込む街としては、やっぱり丸の内じゃありませんね。渋谷のあの雑踏と、ごちゃごちゃした隙間の多い街なんじゃないかと思います。だから、そういう街であり続けてほしいですね。

「shibuya1000−シブヤアートプロジェクト−」

shibuya1000−シブヤアートプロジェクト−

開催期間:10月3日(金)〜10月13日(月)
開場時間:9時〜21時(予定)
入場:無料
会場:渋谷駅地下コンコース内
shibuya1000オフィシャルサイト

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