1955年大阪生まれ。大阪府立池田高校卒業後上京。1974年演劇実験室天井桟敷に入団し舞台監督を務める。1987年アップリンクを設立。デレク・ジャーマン監督作品を日本に紹介。「アカルイミライ」「I.K.U.」「ストロベリーショートケイクス」などの映画をプロデュース。現在、宇田川町で映画館、イベントスペース、ギャラリー、カフェレストランが集まったスペースを運営。「webDICE」の編集長も務める。
--例えば、どのようなスペースが理想なのですか。
僕がやりたいのは、プロセミアムの付いた劇場ではなく、昔のパルコ・スペースパート3やシードホールのような多用途に対応できるスペース。そこでダンスから演劇、ライブまで行いたいですね。それからミニシアター・シネコンが欲しい。シネコンと言っても小さなサイズのスクリーンばかりが集まっているもの。40〜80人位のキャパで3スクリーンとか、4スクリーンのシネコン。結局、多様性を追求するって、サイズを小さくすることなんです。小さいものが、幾つも集まるっていうのが多様性の原則だと思います。だから、文化的多様性を考えると、巨大なスペースは必要ない。大きなスペースは劇団側にしても、あるいは上映する配給会社にしても、レンタルするリスクがどんどん高くなる。そうすると、小劇場とか、ダンスカンパニーは使えない。僕らのような配給会社やあるいは個人の自己資金でドキュメンタリーを作っている人たちとか、そういう作品の上映を、そこに行けば常にやっているというスペースが欲しいですね。
--逆に小さくすることによって、採算性は上がっていくということでしょうか。
株式の投資と同じで、どういうスペースのポートフォリオ組むかということ。キャパ1,000人の劇場が毎日365日稼動してればオーケーです。そっちのほうが効率いいですよね、イベントの大小に関わらず手間は同じなんだから。365日集客率の高いイベントで埋まるなら、そっちの方がいいと思う。ただ、スケジュールが空いているときがあるんだったらというところですよね。イベント系のスペースは結構稼働率は高いらしいですけど、映画館は365日稼働していても時間帯別の客席占有率はどうなのかというと午前中はよくない。今のシネコンはすごく入るエンターテインメント作品を基準にしていて、客席数がヒットした時のサイズになっている。僕が考えるミニシアター・シネコンの1スクリーンあたりの客席数は新宿のバルト9やピカデリーと違い1スクリーンあたり40〜80人とずっと小さい規模の映画館が集まったシネコン。例えば、30人の動員だと普通のシネコンだと少ないけど、キャパが40人の映画館だと経営的にも悪くない数字となる。小さなスペースが集まった、ローリスク、ローリターンのポートフォリオですね。今、デジタルビデオで撮影し、パソコンで編集して映画ができる時代になり、作り手もすごく増えてきたので、その受け皿が必要だと思うんですよ。それと、パフォーマンス系の人たちの施設が表現の幅に追いついてない。例えば映像とダンスを組み合わせたいとか、ライブの音楽とダンスを組み合わせたいとかプロセニアムがある劇場は必要ない。客席のスペースが可変で、自由にレイアウトできるような空間があればいい。既にそういうスペースはラフォーレとかスパイラルにありますよね。ただそういうところは、何しろ使用料が高い、現実的には企業ベースでないとレンタルできない。僕の考える理想は、一カ所にスーパー・デラックスとアップリンク・ファクトリーがあって、そこにさっき言ったミニシアター・シネコンがあり、ギャラリーとカフェがついているようなスペースのイメージかな。ロンドンのICAのイメージなんですけどね。
--そういうことを企画したり、作品を選ぶ人材の教育はどういう風にお考えですか。
文化的なことを仕事としてやりたいという人は多いので働くスタッフは問題ないと思う。問題はトップだと思う。大企業の文化事業はビジネスとしてはサブで、あくまで社会貢献という位置づけになっている。僕は、カルチャーをビジネスとして継続して成り立つようにやっていきたい。そうでないと景気が悪くなるとまず本業でない文化がカットされるので活動を継続できない。僕は、「天井桟敷」に在籍中、70年代から海外公演に頻繁に行っていたので、海外のカルチャー・スペースの面白さを知っているし、それに西武文化の洗礼を受けただけでなく、実際にスタジオ200、シードホール、西武劇場、パート3、シネヴィヴァンといった西武系のスペースを使ってイベントや上映を行ってきた。それらの多様な文化発信する場でイベントを作り経験したことが僕の中に刷り込まれている。まず、組織のトップがそういうDNAを持っているということが重要だと思います。だからスタッフよりも、逆に僕のほうがラジカルでアクティブですよ。いつも僕が「こうやろう」「ああやろう」と新しい提案をスタッフにしていますね。
--空間は必要ですか。
死ぬまでに、自分の考えているスペースは実現させたい。そうでないと渋谷が消費するだけの街になってしまう。文化に重要なのはリアルな「場」。ウェブとか、バーチャルなものだけでは文化は育たない。それは、渋谷にかつてジァン・ジァンがあったからいろんなカルチャーが生まれた、パルコのスペース・パート3があったから、いろんな劇団がパルコ劇場とは違う演劇をすることができた。だから場所がないと駄目なんだよね。
--「DICE」をウェブで復活させましたね。
「webDICE」は人を実際の場に誘導し集めるための装置で、ウェブの中で完結させようとは考えていません。寺山さんが「書を捨てよ、街へ出よう」と言っていたけど、「ウェブを見よ、街へ出よう」ということですかね。今は街で体験したことを、ウェブのブログに書けるという仕組みができている。一人一人の観客が情報の発信者にもなれる時代なので、それはすごく面白いこと。
--「骰子/ダイス」創刊号の後ろ方の個人広告とかは、今見ても面白いですね。
そうですね。松尾スズキさんが文通相手募集していたり、スチャダラパーの個人広告はワープロ手打ちじゃんとか(笑)。「クラシファイド」というのが海外の情報誌にはあるけど、日本ではなかなかそれが根付かない。3,000円とか5,000円を払って小さい個人広告を出すというスタイルでした。それが、web2.0の時代になり、個人が情報を発信できるようになったので紙の雑誌でやりたかったことを今できるようになった。「骰子」が発行できたのは当時の技術の進歩があったんですよ。Macintoshが僕らの手の届く価格になり写植を打たなくてもコンピュータのフォントを使って、DTPができるということだった。それは本当にもう革命的だった。PostScriptのプリンター、NTX-Jだったかな、それは100万円ぐらいしたけど、沖電気のマイクロラインが出て、それがたぶん、50、60万円で買えるようになったのかな。その頃インディーズ雑誌がダーッと出てきた。でも流通の問題でほとんどが消えていった。「骰子」も同じように休刊したけど。
--最近のアップリンクのお客さんはどんなイメージですか。
アップリンクのお客さんは、若い人に支持されていると思っていらっしゃる人が多いけど、実際映画に来ているお客さんは、実はシニア層前後も多いです。今上映している「レス・ポールの伝説」は50代前後。この世代って、美術館などのエスタブリッシュなところにもいくし、いわゆるサブカルチャー的なところにも抵抗なく移動してくれるお客さん。だから、シニア前後の世代にも満足してもらえる場所を提供したいです。結局、70年代とか80年代を経験した人は、今50代前後でしょう。そういう人がカルチャーに触れる場が、意外と世の中には少ないんじゃないかな。渋谷は、子供相手の商売が多すぎるので、WAVEとかスタジオ200とかといったような西武文化を通過して来た人の受け皿にアップリンクがちょっとなっているのかもしれないですね。ただ、中小企業ができる規模はここまでなので、なんとかしてもっとスペースが欲しいですね。
--渋谷の今後については、どのようにご覧になりますか。
渋谷の街の今後を考えると、ヤマダ電機ができ、H&Mの旗艦店がブックファーストの後にでき消費の街の様相がますます強くなる。東急文化会館の後に建つ劇場が入るビルや、東横線の地下化に伴う現在の東横線の渋谷駅の開発、そして残った東横線の高架をどうするかなどという話を聞くと、これまで西武が渋谷の文化を作った時代から、今後東急がどう渋谷の文化施設を作るのかは気になります。東横線の電車が通らなくなった跡の高架橋とかは場所としてとても興味がありますね。