1952年,出生於靜岡縣南伊豆町。日本大學學生,樂器部門雅馬哈澀,繼續在紀錄部門兼職。畢業後,他加入了各大唱片批發“公司光盤中心”。他離開了公司79年,80年裡,打開絕版店“曼哈頓記錄”的澀谷警察局回來。轉移到Udagawacho與目前店內於93年。 91年,他建立了“公司列剋星敦”。並與“搜索我們總公司”在2007年管理的集成。
--広さはどのくらいでしたか?
8畳ぐらい、4坪ぐらいですね。最初は、お客さんが来ないだろうっていう頭があって…。オープン日の4月7日は月曜日なんですよ。月曜日にオープンするぐらいですから、お客さんがそんなには来ないだろうっていう頭がものすごく強かったんですよね。ただ独りの時間が持てて、好きなレコードをいつでも聴けるみたいな気持ちもありしたね。最初、畳敷いたんですよ、レコード屋の中に。靴を脱いで上がってもらうようなシチュエーションにして。だからみんな玄関入口で靴を脱いで、畳の上にひざまずいてレコードを探すみたいな…。什器を造るのもすごくお金がかかるので、段ボールの箱とカラーボックスの底を抜いたもので代用しました。開業資金は、礼金、敷金、前家賃、手数料それから内装、全部合わせて70万円ぐらい(笑)。
--レコードは最初、何枚ぐらいでしたか?
最初は、たぶん3,000枚なかったと思います。3,000枚なかったのですが、廃盤専門店と銘打っているから、お客さんが「あれありませんか」「これありませんか」って聞いてくるわけですよね。そうするとノートを作っておいて、じゃ「ウォンツリストに残してください、入ったら連絡しますから」って。そうすると、ある特定数の人間が同じレコードを欲しがるわけじゃないですか。じゃこれ10人いるんだから、たぶん100枚は売れるんだろうな、みたいな感じでやりました。とにかくみんながその1枚のレコードを欲しいわけだから、それが新品であろうが中古盤であろうが、音楽を聴きたいんだからっていう頭で値段を統一しました。その代わり、きれいな順に出してきましたけどね。10年ぐらいそれをやりましたね、廃盤専門で。
--その後、今の場所に移ったのですね。
移ったのは15年ぐらい前でしょうか。92年か93年くらい。宇田川町にタワーレコードがあって、そこの前の場所がずっと空いていました。懇意にしている不動産屋さんに頼んだら、1階だけ貸してもいいって言って、その代わり1年更新だから、大家さんが嫌いだって言ったら、もう出ていきなさいみたいな。だから気を使いましたね(笑)。近くにシスコさんもあったので、近ければお客さんは流れてくると思いました。今の場所に移った当初は廃盤をメインにやっていましたが、少しずつ陰りが出てきました。そのころ、ミドルスクールと皆さん言っていましたが、ヒップホップがほんとにポピュラーになって、ヒット曲も生まれるような時代でした。ただ、既存の新譜を扱うレコード屋さん売っている値段がすごく高かったんですね。音楽業界にいる端くれとしては、だったら自分たちも新譜を扱って安く売った方が文化的にも貢献できるんじゃないかと。当然若い子たちがレコード買ってくれるわけだから、たくさん買えたほうが絶対うれしいじゃないですか。そのあたりから新譜の商売にどんどんどんどん移行していったという感じですね。ただ、あれもこれもやるわけにいかないから、ダンスミュージックやハウスミュージック、ブラックミュージック、ヒップホップに特化したものにモデルチェンジしていきました。
--その頃は、DJがたくさんレコードを買う時代はまだ訪れていなかったのですか?
来始めたころですね。95年ぐらいだったね。DJ hondaさんがニュース番組に出たりしてた頃だったような気がするな。だけどそういうヒップホップの文化が日本に広まった時に、突然ブレイクしたから、やっぱりそこで廃盤ブームがまた起きちゃったんですよ。DJブームはすごかったですね。廃盤セールなんてやると、NHKの方まで並びましたからね。そのうちに、日本のヒップホップのブームもきたでしょう。ミーシャがデビューしたりとか、宇多田ヒカルがデビューしたりとかって…。メーカーさんの方も日本盤のレコードを割と好意的に枚数を回してくれて、うちにたくさん入ったんですよ。当時、レコード会社はアナログなんて見切ってる頃だったから、そう多くはプレスしなかった。たぶん1,000枚、2,000枚ぐらい。それを割と好意的にうちに回してくれたので、お客さんがあそこに行けば手に入るっていうことで、ほんとに徹夜してまで買うっていう人が何人もいましたからね。クラブが道玄坂の上のほうにできて、うちと割と近かったでしょう。だからクラブに行く前に、店が閉まる前に買い物してくれるお客さんも多かったですね。熱い時代ですよ。今から考えると、すごく熱い時代でした。90年代後半ですね。
--DJブームが山を越えたのは、どのへんでしたか?
山を越えたのねぇ…3年ぐらい前じゃないかな。実際、店も減りましたね。最盛期の40%あるかないかぐらいじゃないですか。たぶん、2004年ぐらいが最盛期。ビルの中に入っていた小さい店がなくなりました。といって、ネットで売れているとも思いません。単純に、今アメリカの音楽業界ってもうガタガタでしょう。例えばキャピタルレコード、EMIとかから黒人音楽部門なくしちゃったんですよ。ユニバーサルでもそうなんだけど。日本もそうだと思いますが、いいディレクターがいなくなったんじゃないかな。でもそれは、僕にとってのチャンスだとも思っています。注目を集めてない、集めることができないアーティストを自分が見つけてきて、自分の持っている琴線と同じような琴線を持っている方だったら、ある程度売れると思うんですよ。東京の昼間人口は3,000万人と言われます。だから0.01%の確率でその音楽が好きだったら、商売的にも成功すると思っています。
--渋谷の街の良さや面白さは、どういうところにあると思いますか。
うーん、何だろうね。雑多な環境でしょうか。でも、品のある所から品のない所まで、うまく何かバランス取れているんじゃないかと思います。街全体の品がなくなっちゃったら、例えば東急本店さんにはお客さんは入らなくなると思います。東急さんも本店と東横店で明らかに色を分けているじゃないですか。ああいうところが僕は面白いと思う。学生時代から僕新宿って嫌いだったんです。新宿と比べると渋谷はあまりごみごみしてない。僕は日曜日とかはあまりもう渋谷に出なくなりましたが、平日もメチャクチャ人が多いなっていう環境でもないと思うんですよ。だから街を歩いていても疲れない。新宿を歩いていると疲れちゃう。六本木なんかでも、夜行くと人がもうどこから集まってきたんだろう…みたいな感じでしょ。だから雑多な中でも、僕はバランスが取れていると思いますね、渋谷は。
--逆に、渋谷で何か問題点のようなものは感じますか?
うちは音楽の商売やっているから、どうしても音が漏れますが、街の中にいろんな音が出すぎですね。それがなくなると、もっと品が上がると思うな、僕は。だから大きなビジョンを作ったからにはやはり広告はしなきゃいけないんだろうけども、あれ、キラキラ動いてれば黙っていても目がいくと思うので、音はもう少し抑えた方がいいんじゃないかと思います。まあアジアの人種だから、しょうがないかなって思ったりするけども(笑)。
--店のある井の頭通りの人の流れは、この10年ぐらいで変わりましたか?
ここやっぱり4、5年は減りましたね。ま、それは一にも二にも、やっぱりうちがあって、それからシスコさんがあって、ダンス(・ミュージック・レコード)さんがあって、三強があそこで商売やっていたじゃないですか。で、シスコさんがなくなられて、うちとダンスさんだけになっちゃったことも大きい。加えて、新しい音楽が出ないということもあり人が減りましたね。黒人音楽っていうのは、常に何かこう新しい音を作っていく音楽だと思っています。だけど今、ちょっと煮詰まってるっていうのかな…。インターネットの影響もあると思いますが、やはり海外と日本が近くなりすぎちゃいましたね。
--音楽と渋谷の関係っていうのは、これからもやっぱりずっと続きますか?
続くと思いますね、やはり、伝統があるじゃないですか。渋谷は、インフラとは言わないけど、ある程度の歴史と伝統があって、それは古いものと新しいものがうまい具合にこう混じっていますよね。だから僕は強いと思うんですよ。
--もし渋谷で何か店を出すとしたら、どういう店を出してみたいですか?
生活することを考えたら何だろうねえ。ちょっと前まではアメリカンスタイルのカフェ、というかレストラン。ダイナーですね。あれアメリカに行った人には受けると思うんだよね。薄いコーヒーとか目玉焼きとかハムだとか、カリカリに焼いたベーコンとかトーストとか、Tボーンステーキの店とか。アメリカに行ったことがある人をターゲットにしたみたいな。それから、中高年向けに、思いっきり音の出せる練習スタジオをやったら面白いかな。大きな鏡が張ってあって、全員がその鏡に入って、「ああ、俺たちかっこいいー!」って(笑)。絶対受けるよ。ちゃんとそのビデオも撮ってあげて、録音もしてあげて、1泊2日の合宿とか、1週間やるとか、それ絶対面白い。とにかくやっている姿は自分たちで見れないんだから、鏡でこうやってやる分には「かっこいいー!」ってなっちゃうと思いますね。
--ある程度ターゲットを絞るわけですね。
友達に服をやっている友達がたくさんいますが、彼らは10%の人間に売るなんて、そんなとてつもないこと考えるなと言います。0.01%だったら、もう十分やっていけるって。みんながドーンと来るっていうと、すぐやっぱりそれで絶えちゃうんですよ。だからじわじわじわじわ…そういった商売がいいですね。東急インの近くにある「グランドファーザー」という飲み屋にも、ある種の人間たちがいつでもいるよね。で、あそこのマスターがあれほどのレコードの中から1曲しかかけないのにすぐ替えるんですね。あれもすごいなと。例えば今はもう絶対に手に入らないフュージョンとかロックだとか、ソウルでもディスコでも何でもいいんですが、何かそれに特化した飲み屋も面白そうですね。
東京都渋谷区宇田川町10-1 木船ビル TEL:03-3477-7166
(取扱いジャンル)Hip Hop, R&B, Reggae