ビジネス誌「プレジデント」の編集者を経て独立。書籍・雑誌の編集や執筆、プロデュースなどを幅広く行っている。現在は、スポーツマネジメントの総合誌「Sport Management Review」(データスタジアム刊)の編集人も兼務。過去に関わった作品に、「KOSHIRO MATSUMOTO」(プレジデント社刊・十文字美信撮影)、「勝利のチームメイク」(日本経済新聞社刊・岡田武史、平尾誠二、古田敦也との共著)、「SWITCH ON BUSINESS」(スイッチ・パブリッシング刊・編集人)、「男前経営論」(東洋経済新報社刊)などがある。
神山町の一角に今年1月、突如出現した1軒の書店。店に入ると、その奥にはガラス越しに出版社のオフィスが見える。本づくりの現場と店が一体になったユニークな展開で注目を集めるシブヤパブリッシングの福井さんに、このビジネススタイルの考え方、そして渋谷への思いをうかがいました。
--最初から、この辺りで書店を出そうと考えていたのですか?
音楽とファッションは非常に近いところでリンクしているのですが、そこに「本」というのがなかなか参加させてもらえないという現状が、個人的にずっと心にひっかかっていました。音楽とファッションが同居しているようなエリア、そうしたものを好む人たちが多いようなエリアに本屋を出したいという思いがありましたね。そこで、「ベタ」に原宿とか代官山周辺でいいんじゃないかなと思って探しに行ったのですが、当然家賃が高いわけですよ(笑)。坪単価が5万、6万、7万と…。いきなり不動産屋に行って「本屋が入居できる物件を探している」と言ったら、「採算取れないからやめときなよ」って。これは厳しいなと正直思いました。
--当初は全部、路面で探していた?
そうですね。前に南青山で事務所を構えていた時があって、ちょうど骨董通りの「KENZO」がなくなって、空いたから「チャンスだ」と思って試しに聞いてみたら、家賃が1千何百万で…(笑)。もうとにかくやめようと、おしゃれな感じのところは…。その次に考えたエリアが、原宿よりもっと千駄ヶ谷寄りのエリア。それと池尻界隈、東急本店通りでした。その理由は明確で、比較的クリエイターが多かったり、夜遅くまでいろんな人たちが活動していたりというのが重要なポイントで、何となく3つのエリアを頭の中に思い描きました。現在も小田急線沿線に自宅がありますし、その前は代々木八幡に住んでいたりして、神山町のこの通りはしょっちゅう歩いていて非常になじみがありました。友人であるサッカー日本代表の岡田武史監督とBunkamuraで「コクーン歌舞伎」を見た帰り道、ふらっと東急本店通りを歩いていたところ、たまたま今の場所が「募集中」となっていて、ここで出会ったのも何かの“縁”と思ってすぐに電話をすると、そのままトントンと…。とにかく「はずれた感」がいい感じだなと思いました。渋谷のど真ん中じゃなくて、ニューヨークのダウンタウンを彷彿とさせる立地というか…。SOHOからさらに下のエリアって、結構閑散としているんですが、ポツポツと情報発信地になるような本屋だとかブティックだとかがありますよね。街が造られたから人が集まったのではなくて、元来土地の備える魅力が磁力となって人や店が集まったみたいな…。そういう空気を渋谷の街中よりも、この神山町に感じました。「これから何かをやるには、いいのかもしれない」と思ったのです。
--「シブヤパブリッシング」のブランドはどの段階で決まったのですか?
そもそも僕の考えていたコンセプトは、「そこで作ってそこで売る」ということ。ですからショップは、そのSPBS(SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS)のショップコンセプトを体現するものでなければならないと考えていました。具体的に言うと、表通りからショップと編集部の両方が見え、ショップから編集部が見え、編集部からショップが見える建築だということ。ただ、これらのことを具現化するための“手法”は、物件の形状に左右されます。細長い物件ならそれようのデザインが、横に長ければそれようのデザインが求められるからです。その意味で、物件が決まらないと何にもはじまらない……それが、SPBSプロジェクトの特徴だったのですね。そのような中で契約できた物件は、神山町にある細長い物件でした。で、まずはネーミングをどうしようかと考えたわけです。何と言ってもブランディングをする上で、もっとも大切なことですから。自分の中では、めちゃくちゃローカルに行動して、だけどやっていることはグローバルで通用しちゃう……つまり「ACT LOCAL,THINK GROBAL」というスタンスこそが、実は一番新しいのではないかという気がして、そのスタンスをネーミングで伝えることが、ブランディングの第一歩になるのではないかという思いがありました。そこで、地域名を付けようと思ったのですが、「神山町パッブリッシング」だと地方から来られた方に伝わらないから、どうしようかと…(笑)。結果、「シブヤパブリッシング」に決めました。
--店とオフィスが一体化する空間のイメージは最初からありましたか?
はい。この物件が決まる前から、条件は3つだけ考えていました。先ほどお話ししたように「編集部から書店が見える」「書店から編集部が見える」「表通りからすべてが見える」ということ。これを満たす空間にしてほしいということだけは絶対に譲れない一線でした。この条件を踏まえたデザインを、中村拓志さんが3種類の模型で見せてくれたのです。もう見た瞬間に「これ」(現在のSPBSの形状)でしたね。結局書店に陳列されている本だけが目立ってもいけないし、僕らが作っているオリジナルの出版物だけが目立ってもいけないし、建築デザインが前面に目立っちゃうのもいけないし…それらのバランスをうまく取っていくのが、今回のプロジェクトで一番大事なところだったんですね。それぞれが相互補完的に、絡み合ってないといけない。中村さんは、ほんとに僕の意図を理解してくれて、デザインに落とし込んでくれた。すごく難しい作業なはずなのですが、同じ物作りに関わる者同士、価値観がすごく近かったことが良かったのかもしれません。
--本づくりの現場と店が直結した業態は、ありそうでなかった業態ですね。
僕自身、10年ぐらい前から「本屋で出版したら面白いよね」って言っていたんです。本屋のオヤジがいて、めちゃくちゃいいものを作っていたりして…。「例えばある書店のためだけに村上春樹さんが小説を書き下ろす。で、そこでしか買えない。欲しい人なら10万でも買うよね」みたいな話を常々していたんですよ。その後、2002年から2003年にかけて、ニューヨークに滞在する機会があり、何度か書店巡りをしたんです。とにかく向こうは書店に元気がありましたね。夜まで開いているのも珍しくないし、そこ自体がいろんな人の交流の場になっている。人と情報と書物、そういうものがいろいろ複雑に絡み合って情報を発信している場所になっているんです。ちらほらと実際に出版物を出しているようなところもあったんですよ。翻って東京は、ニューヨークと同じ人口を抱える大都会なのに、あんまりピンと来る元気な本屋がないなと…。そして、カルチャーの発信基地になる本屋ができればいいなという思いだけを引きずりながら帰国しました。個人では編集プロダクションみたいなことをやっていたのですが、その中で投資会社の人と出会いがあり、「こういうのがあったら面白い」という話をペラペラしているうちに、「やりませんか」みたいな話になって…そこからですね、真剣にビジネスとして考えたのは…。それが昨年の3月ぐらいです。僕の場合は想いだけが先にあって、事業計画や資金繰りなど、具体的なものは後から付いてきたという感じでした。これはちょっと特別なケースですね。
--出版界の方の反応はいかがですか?
出版界の人はみんな一様に言いますね。「こういう場所っていいな」みたいなことを…。多くの方がここに来て元気になって帰って行く感じです(笑)。今、出版不況で本が売れないと言われていますよね。それは事実で、今後も、突然本が売れ出すということはないと思います。ただ、本という商品自体は絶対に無くならない。じゃあそのような現状を認識したとき、どういう本、どういう出版社が受け入れられていくのかという具体的な像は、今から持っておかないとダメだと思うんです。個人的には、大手出版社のように、たとえ本が売れなくてもそれ以外の事業で会社全体を回していける、資本の力でグイグイと押していけるようなところか、僕らのように2〜3人のスタッフだけで回していけるミニマムな出版社、そのどちらかしか生き残っていけないのでは、と考えています。具体的に業界全体を俯瞰(ふかん)した時に、ひとつの出版社の“あり方”としてこの店を機能させたいという思いもありますよ。そのためにも、僕たち自身がレベルアップして、ここに来れば本もあるけれど、それ以外にも「こんな情報もありますよ」ということを見せていくことが大事ですね。何か常にここでやっているなと…そういうイメージを発信し続けることが大事だと思います。
--地方の書店の方もお見えになりますか?
はい。この間も、突然大阪の書店の店主さんが、「話をしたい」と訪ねて来られました。渋谷駅から電話がかかってきて、「これからそちらを見学に行きたいんですけれど、いいですか?」みたいなこともありますね(笑)。なんか、書店運営のヒントみたいなものを探されているんでしょう。僕らも決してそんな楽をして経営しているわけではないんですよ、実際問題は。すごくコンサバなところはコンサバに行ってますし…。そのあたりの話をすることもあります。