渋谷・井の頭通りの「和雑貨渋谷丸荒渡辺」は、外国人観光客が押し寄せる人気のお土産屋として知られる。「お土産自販機」や「顔ハメポストカード」など、斬新なアイデアで外国人観光客たちの心をギュッとつかむ。現在、「和雑貨」を中心に扱う同店だが、もともとは大正時代から続く老舗の呉服店だったという。20年前、創業者の孫にあたる渡辺欣嗣(わたなべ・よしつぐ)さんが3代目店主を引き継ぎ、若者や外国人向けの「和雑貨店」へと業態を一気に転換。思い切った海外での現地リサーチや、広告やSNSなどを一切使わない独自の手法で、多くの観光客を集客してきた。今回のキーパーソン・インタビューでは、渋谷のインバウンドをけん引する3代目店主の欣嗣さんを迎え、和雑貨への業態転換の経緯から、外国人観光客を魅了するユニークなアイデアの数々をじっくりとうかがいました。さて、2020年東京五輪以降のインバウンドは、どうなるのでしょうか ――。
お得意さん商売の呉服店から、ギャル、外国人に向けた和雑貨店へ
_「和雑貨渋谷丸荒渡辺」の歴史は、渡辺さんのお祖父さんが創業した呉服屋まで遡るそうですね。
創業者は、祖父の渡辺荒蔵(わたなべ・あらぞう)です。山梨県河口湖出身の祖父は、丁稚奉公として渋谷にやってきたそうです。関東大震災の後、大正14(1925)年に呉服商として独り立ちするのですが、初めはお店を持たず、渋谷駅周辺で担ぎの行商を行っていました。ようやく資金も貯まったのでしょう、昭和20(1945)年の終戦の年に、現在と同じ場所(井の頭通り沿い)に「丸荒渡辺呉服店」を開業しています。途中で業態転換はありましたが、祖父が担ぎの行商を始めてから、今年で創業92年目です。現在の店名「和雑貨渋谷丸荒渡辺」の「丸荒(まるあら)」は、荒蔵の名前から取った呉服屋時代の屋号です。
_欣嗣(よしつぐ)さんが3代目を継いだのは、いつからですか?
大学を卒業後、14年ほど電機メーカーに勤めていましたが、1997年に会社を退社して3代目を引き継ぎました。とはいえ、1984年に祖母が亡くなってからは、呉服屋の商売は上手くいかなくなり、立ち行かない状況になっていました。それはうちだけではく、お得意さんをつかまえて注文を得る呉服屋という商売そのものが難しくなっていて。昔は渋谷にも数多く呉服店がありましたが、今営業しているのは、道玄坂の玉川屋さんくらいでしょうか。冷静に考えれば、呉服屋の商売がダメになったのは、そもそもお得意さん商売だったから。じゃあ今、目の前を歩いているフリーのお客様、この人たちをつかむような商売に変えればいいんじゃないかと。ただし、売る物や業態を変えても、昔からお付き合いのある仕入れ先だけは、変えてはいけないと思っていました。だって、私がラーメン屋やアイスクリーム屋をやっても、たぶん潰すだけでしょ(笑)。呉服屋時代から付き合いのある卸元を変えず、「着物」とも縁の深い「和雑貨」に業態変化をさせたのは、そんな理由からです。
_商売を引き継いだ1997年当時、渋谷は「アムラー」ブームで10代のギャルが街にあふれていた頃ですね。
今でこそ、うちのお店は外国人比率がものすごく高くなっちゃったけれど、当初は、街を歩いている若い日本人の女の子たちをターゲットにしていました。あるとき、甚平を買いに来た若い男の子から「この前、クラブで女の子たちが甚平を着て踊っていたんだ」という話を聞いて、これはいけるんじゃないかと。若い人たちのファッションに和雑貨を取り入れた提案を積極的に行うようになりました。ですから、商売を変えてからしばらくは、渋谷の若い子たちがうちのお客さんでしたね。
_ギャルのほか、外国人にもターゲットを広げてみようと考えたのでは、なぜですか?
若い日本人のスタンスは、外国人の人たちの目線と一緒なんです。電気メーカーの時代、頻繁に海外出張で出かけていたのですが、外国人が興味を持つ日本文化と、日本の若い人たちが持つ興味は、どこか共通点があるなと何となく感じていました。なら、日本人の若い子が興味を持つものなら、海外の人たちにも売れるはずだと思いまして。最初に手応えを感じたのは「履き物」。草履、下駄などの履き物は、現在でもうちの一番のロングセラー商品です。洋服文化になったとはいえ、スニーカーの代わりに下駄など、洋服と融合して日本独特の文化をアピールできるんじゃないかと考えて。そこで外国人の目線を確かめてみたいと思い立ち、ロンドンにリサーチへ行きました。なぜロンドンかといえば、単純にサラリーマン時代からよく出張に行っていた馴染みの場所であること、またパリやニューヨークと並ぶ大都市だったから。特につてがあったわけではなく、思い切って飛び込んでみようと。実際にロンドンの街をずっと下駄履きで歩いて、街行く人びとに”How is this wooden clogs?”と聞いたり、見せたりすると、「これ、あそこで売っているのを見たわよ」など、思いがけず街の人びとの反応が良くて。実際に扇子や下駄を売っているお店を見に行ってみたら、東京で3,000円相当の扇子が15,000円くらいで売られているなど、かなり高額な金額で売られていることに驚いたり…。ただ、思った以上に「日本に興味があるようだ」という手応えを感じました。この経験をきっかけに日本の文化で面白いと思うものを、海外の人たちに伝えてみたいという気持ちが強まりました。
取材中も外国人旅行者がひっきりなしに来店していました。
外国人比率9割、広告やSNSを使わずに口コミのみで集客
_外国人観光客が急増の一番のきっかけは何ですか?
興味を持ってくれた外国人の人気ブロガーがお店に来て、記事に書いてくれたりなど、外国人同士の口コミでなんとなく増えてきたという感じです。例えば、こんなエピソードもあります。たまたまアメリカの大使館の人たちがお店に来てくれて、「ここは面白いわね、大使館で販売しなさいよ」と言われて。それがご縁でアメリカ大使館内での出張販売が始まったこともありました。9.11以降はセキュリティが厳しくなってしまい、現在はもう入れなくなってしまいましたが…。あと、うちのお店の方針として広告・宣伝を一切していません。本当に小さなホームページは設けていますが、SNSやブログなどで自ら情報発信・更新するようなことはしません。仕事が忙しいのもあるのですが、うちを利用したお客様自身がyelpやYouTubeなどの媒体で、感じたことを発信してもらえれば良いと思っていて。自らではなく、お客様に評価してもらうのが先だと考えています。
_接客は英語で対応されていると思うのですが、学生時代から英語は得意だったのですか?
いえ、全然。サラリーマンになってから海外出張が多く、仕事で英語が必要になったのですが、初めは片言レベルで随分と苦労しました。この商売を始めてからは、よりフレンドリーに英語で対応するように努めてきました。ものを売るときは、数のカウントと、どんなのがいい? という好みが聞ければ、あとは「こんにちは」「ありがとう」だけ言えれば、コミュニケ―ションが取れます。あと、日本人はインバウンド対応というと、すぐに英語のほか、中国語や韓国語などマルチの言語を考えがちですが、どこの国の外国人でも基本的に英語対応で構わないと思う。そもそも英語もフランス語もイタリア語も…似ている言語ですが、日本語は全くかけ離れた言語なので、外国人には全く分からない。おそらく英語が通じるだけで、外国人たちはホッとしているはず。私だって、海外に行ったときに英語が通じないと不安になるし、英語があれば何とかなるので。
_今までに来店した外国人観光客の国の数は、どのくらいですか?
旅行者が記念に残していった母国のお札
当初はお店に世界地図を貼って、来店した外国人に画鋲でプロットしてもらっていました。それをやっているうちに、すぐに全米50州は制覇して120くらいまでは数えていました。トンガやコートジボワールなど珍しい国からの来店を含めると、私が記憶する限り、約130くらいだと思う。日本人と外国人のお客さんの比率は、10年前までは半々でしたが、現在は1:9くらい。そのうち外国人の国別構成比は、北米が一番で、次にユーロ圏、アジアと続きます。銀座あたりでは中国人などアジアの観光客が多いと思いますが、うちのお店は白人率がとても高いですね。
_国によって人気商品に違いはありますか?
大枠としてヨーロッパ人は衣類や履き物など、身に付けるものが多く、アジア・北米人は手頃なアクセサリーや、小さな雑貨類が多いというトレンドがなんとなくあります。その答えは、ヨーロッパのお土産屋を見るとよく分かります。ヨーロッパのお土産屋さんに行くと、北米、日本人、アジア人がたくさんいますが、売られているお土産をよく見てみると「本当にチープなもの」「文化をリーズナブルに楽しめるもの」「高級品」と、だいたい3つのカテゴリーに分かれています。うちのお店はといえば、「本当にチープなもの」と「文化をリーズナブルに楽しめるもの」の2つにターゲットを絞っています。高級品や伝統工芸品は、誰が見ても価値のあるもの。そういう商品は銀座とかに行って買ってもらえれば良い。うちはそうじゃないところを拾っています。だから履き物のバリエーションでいえば、1,000円台から5,000円台まで。チープだけでは「安かろうと悪かろう」になってしまいますが、少し良いものも含めて幅を持たせて展開しています。
創業者・荒蔵から引き継ぐ半纏を羽織る3代目・欣嗣さん