2000年の「シブヤ経済新聞」創刊から現在に至るまで、国内外124媒体の「みんなの経済新聞ネットワーク」の代表を務める西樹(にし・たてき)さん。上京以来、30年以上にわたり、学校も仕事も生活も渋谷に密着して、この街の変遷をつぶさに見続けてきました。今回のキーパーソンでは、そんな渋谷の達人である西さんを迎え、渋谷に関するお話はもちろん、「みんなの経済新聞ネットワーク」の成り立ちや仕組み、今後のビジョンなどについてじっくりと語っていただきました。さて西さんは、再開発が進む渋谷の未来に何を望んでいるのでしょうか――。
人に伝えたくなる「街のネタ」をデジタル空間に流通させたい
_最初に西さんと渋谷との出合いについて教えてください。
僕は兵庫県尼崎市の出身です。親戚がいたので東京には少し土地勘があり、大学は場所でも選んで受けて、結果的に青学に進学しました。もし青学が渋谷じゃなかったら、そもそも受けていなかった可能性もあります(笑)。学生時代は自由が丘に住み、渋谷が身近な街となって、他大学の人たちとイベント関係のネットワークを作り、道玄坂にマンションを借りて事務所にするなど、あまり大学生らしくない生活を送りました。その後、外苑前にあるPR会社に就職して、28歳で独立して花形商品研究所を設立しました。それが1988年でしたから、まさにバブル真っ盛り。このまま日本は右肩上がりに成長し続けると、誰もが信じて疑わなかった時代です。
_それからシブヤ経済新聞を創刊するまでの経緯をお話しください。
90年代後半に渋谷マークシティの工事がスタートして、今ほどではありませんが、渋谷の街が大きく変わり始めました。渋谷のヘビーユーザーとして、どこで何が起きているのかを知りたい欲求がありましたが、なかなか知る術がない。当時はフリーペーパーが全盛でしたが、こうした媒体は基本的に広告を出した店などの情報が中心となります。僕自身が街の変化を「バイアス無し」で発信するメディアが欲しいと思ったことが、シブヤ経済新聞のアイデアにつながりました。そのアイデアはしばらく実現しませんでしたが、2000年、縁あってFMのラジオ番組と連携して僕が渋谷の街の新しい情報を発信することになり、それに合わせて「シブヤ経済新聞」のウェブサイトもオープンしました。
_今では「みんなの経済新聞ネットワーク(以下、みん経)」として124媒体まで拡大していますが、当初から全国展開するイメージをお持ちだったのでしょうか。
いえ、全く考えていませんでした。たまたま、シブヤ経済新聞を応援してくれていた人が、拠点を渋谷から横浜に移すことになり、その人との間で「横浜でも同じフォーマットでやってみよう」という話になり、2004年に「ヨコハマ経済新聞」が生まれました。その後も、興味や関係がある方との出会いの中で展開エリアが増えていき、気づいたら124媒体になっていました。
_みん経の記事はどのような方針で発信されているのでしょうか。
街の変化を中心に情報を発信するため、誰かが店を出すとか、イベントを考えたとか、新しいプロジェクトが立ち上がったとか、結果的に前向きなニュース=「ハッピーニュース」が多くなります。街の中にある、ちょっとクスッときたり、誰かに伝えたくなったりするネタをアナログの状態からデジタル空間に持ち込む役割でもあります。普段から街の中で生活や仕事をしている分、小さな発見をしやすいのが強みです。みん経のテーマとして、「街の記録係」というものもあります。みん経の記事は、日が浅いうちはニュースとして流通し、以後はアーカイブ化します。記事はフルオープンにしており、みん経全体ではネット上で数万本が閲覧できる状態です。街の記録はあせてしまいやすいので、みん経が記録するという視点でも取り組んでいます。
_日々、どのようにニュースのネタを探しているのでしょうか。
正攻法はありませんが、自分の関心のベクトルを変えると自然と情報は入ってくるものです。例えば、僕の場合はとにかく渋谷のことが気に掛かり、街を歩いていても、他のメディアで渋谷の話題が流れると即座に反応して、「これは書いたっけ」と、そんなことばかり考えてしまいます。完全に渋谷オタクです(笑)。それから、読者から「あのビルの1階の店が抜けたけど次は何が入るの?」なんて問い合わせがあることもあり、とても助かります。そういう情報さえキャッチできれば、すぐに調べに行けますからね。街を行き来する中で何らかの変化に気づいて「あれ?」と思っても、通り過ぎることが多いと思います。そういうことを皆さんに代わって調べて共有することが、私たちの役割の一つだと思っています。そして僕らの記事をきっかけとして、「面白そうだな」「行ってみようかな」と街に足を向けるなど、行動の起点になると嬉しい限りですね。そんな記事を書くためには、極論すると、やはり僕ら自身が面白がって記事を作ることが不可欠。地域の一員として、「今日、共有したい面白い記事はこれだ!」という気持ちで記事をアップしています。
自分たちが楽しめなければ、価値あるものは生み出せない
_シブヤ経済新聞が立ち上がってから16年目を迎えていますが、その間にSNSなども登場し、メディアの環境も大きく変わったのではないですか。
何より自分自身が読者として楽しめるメディアにしたいという思いが一義的にあり、それを読者の皆さんと共有することが価値につながると考えています。そうした記事作成の基本的な方針は創刊以来、全く変わっていませんが、SNSの出現に伴って「どうしたら拡散されやすいか」ということは念頭に置くようになりました。それから、読者の反応がリアルタイムに数字で分かりやすくなったという変化もあります。我々は日々記事をアップしていますので、タイムラインで動いているSNSとは相性がいいんです。SNSがアクセス数に貢献している側面は確かにあると思いますね。
_特に、どのような記事への反応が良いのでしょうか。
一生懸命に文章を書いている我々としては、ちょっと思うところもありますが、インスタグラムなどの影響もあり、やはり画像のインパクトの大きさを痛感することが多いです。一枚の写真で伝わるようなニュースは、拡散されやすい傾向がありますね。例えば、数年前、渋谷にドカ雪が降った夜に、誰かがハチ公の隣にハチ公そっくりの雪像を作って話題になりました。朝起きたらツイッターがざわついていたので、即、撮影して記事にすると、ヤフートピックスにも転載されて多くの人に読んでいただけました。確かに、これは誰もがちょっと幸せになれるような面白いニュースでしたね。
_みん経の今後のビジョンをお話しください。
これから力を入れていきたいことの一つは動画ニュースです。動画コンテンツに対するニーズが高まりを受け、みん経全体で「MINKEITV」という動画ニュースを試行的にスタートしました。これまではテキストと静止画でまちのニュースを伝えていますが、ここに動画という選択肢を加えることで、表現の幅を広げる試みです。とは言え、動画で伝えることに関しては、まだまだ経験が浅いので、みんなで試行錯誤を重ねながらニュース動画のあり方を探っているところです。1媒体だけでチャレンジするより、みんなで知恵を持ち寄って精度を高めていけるのも、みん経のいいところだと思っています。動画に限らずネットの中でニュースを伝える環境はどんどん変化しています。こうした変化に応じて、より多くの人に記事や動画が伝わる方法を探っていきたいと思います。