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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

渋谷をピカデリーサーカスのような街に大人も歩けるような場所がほしい

サザンオールスターズや福山雅治さんなど多くのアーティストを抱える大手プロダクション、アミューズの社長を務める松崎澄夫さん。富ヶ谷で生まれ育ち、幼い頃を目の前のワシントンハイツと共に過ごし、早くからアメリカに憧れを抱いていた。メディアが多様化する中、「ライブ」に対するニーズはますます高まるという松崎さんが渋谷の街に期待するものとは。

とにかく楽しむ環境が渋谷にはいっぱいありましたね。

--松?さんと渋谷の初めての関わりを教えてください。

渋谷は僕が生まれた場所です。58年間、ずっとここにいるんですよ(笑)。生まれ育ったのは富ヶ谷です。終戦後、今の代々木公園はワシントンハイツといって、そこにはアメリカがあった。映画館から消防署まで・・・何から何まで。僕たちが遊んでいる道との間には鉄条網があって、こちらは砂利道、鉄条網の向こうは芝生で、ちゃんとバスケットゴールもありました。車ももちろん全部外車です。一方で僕は、今のNHKの西門前付近にあったワシントンハイツの裏の川で魚を捕っていました。川はもちろんきれいで「春の小川」のイメージのままでした。がらくたがあったり小さな森があったりする隣には、アメリカがあったんですね。

特に、富ヶ谷の周りは、アメリカ人が住んでいる一軒家がいっぱいあり、3〜4軒先のアメリカ人の子どもがすぐに日本語をマスターしていました。彼らは仲間に入って遊ぶためには日本語を覚えなくちゃいけませんからね。彼らが帰国する時に家に招待してすきやきパーティを開くと、縁側の石段で靴を脱がないで、廊下で脱ぐんですよね(笑)。さすがに畳は裸足なんだけど。

--アメリカ文化への憧れが芽生えるのもその頃でしたか?

戦後、アメリカのカルチャーが日本でも流行ったのですが、白い車に、白い冷蔵庫、靴で家に入れて、ポニーテールがいて、ステレオがあって、らせん状の階段があって・・・そうしたものは僕の場合、小さいころからすぐ近くにありましたね。その頃、山手通りは、駐留場所に移動する戦車が走っていて、憧れていましたね。格好良くて。プレスリーのGIブルースなどの映画でも、自分が見たイメージと近いものがあり、映画とか音楽とか、とにかくアメリカの文化にはかなり早くから憧れていました。小学5年生くらいで洋楽の歌を英語で覚えていたりもしました。

--当時、渋谷で映画もよく観ましたか?

とにかく、渋谷で映画ばかり観ていました。当時、渋谷には渋谷東映、渋谷東宝、百軒店のテアトル系が3館あって、それに松竹、洋画で東急系がありました。洋画はちょっと値段が高かったので、安く観られる下北沢に行きましたが、やはり、渋谷が多かったですね。今の東急本店の隣に、ラーメンが当時20円だった「ニコニコラーメン」にもよく通いました。恋文横町にも焼きそばを食べにいったりしましたし、とにかく楽しむ環境が渋谷にはいっぱいありましたね。

当時、新宿にはスケート場があったり、映画館があったり、洋服屋が多く、そうしたものに興味を持ち始めた中学生後半になると新宿に行く機会が多くなりました。高校に入った時は「原宿族」が流行っていた頃で、僕も表参道でローラースケートをやったりしました。当時は本当にアメリカングラフィティの世界でしたね。みんなスバル360とかフェアレディのオープンカーで原宿の交差点に集まったりしていましたよ。

--そして今も渋谷で働いていらっしゃる訳ですね。

ずっと渋谷で育って、すぐ近くにアメリカがあって、音楽を好きになって、バンドをやって、そのうち音楽を作る世界に入って、未だに渋谷で働いています。思えば、音楽を感じるものが全部渋谷、新宿にありましたね。アミューズはもともと、当時、東急アパートくらいしかなかった代官山で創業し、その後、恵比寿を経て、今は渋谷の真ん中にいます。きっと、このまま渋谷に居続けるんだろうなと(笑)。そうした意味で思い出はすべて渋谷にありますね。

--渋谷の「根っこ」は変化していないのでしょうか?

根っこは変わっていないと思います。ただ、地方から来る人たちが渋谷に増えてきたことで渋谷らしさがなくなっていることも確か。渋谷という街は、本当はすごくいい街なんだけど、「シブヤ系」と呼ばれるような外からの人の言葉でひとつの文化が作られてきて、そこにみんなが向かっている。だから、本当に渋谷の人間が発するものが広がらないんですね。

やはり、あまりにも子どもが多すぎたと思うんですよね。例えばオーチャードホールの良さがもっと広まって、僕たちの年代がいい音楽を聴きに渋谷に戻れるといいなぁと思いますね。でもオーチャードホールへ行くのに、センター街は何だか歩きにくいですよね。109からオーチャードホールへの道を広くできないか、松濤の方からのアクセスが新たにできないか、あるいは神泉からの新たな道ができないかと考えたりします。Bunkamuraへの道をどう通せるかですよね。僕たちの世代は、渋谷ではBunkamuraで舞台やクラシックを観ることが楽しみですから。

それから、地下鉄13号線と東急東横線がつながると、渋谷の街が通過地点になり、人が降りなくなってしまうということが、今後渋谷にも起こり得る訳ですよね。多様化している分、文化の作り方はすごく難しいのではないでしょうか?渋谷の街は、いろいろな人が入り混じっている分、何か、基本になるものがひとつないと厳しいかなと思います。

世界の舞台とか文化が真っ先に入ってくる街になれば…

--渋谷と他の街とを比べてみるといかがですか?

最近再び銀ブラが増えてきたのは、若い子が少ないからではないでしょうか。落ち着くんだと思うんですよ。渋谷は若者が文化を発する場であるように感じますが、知的なものが少ないような気もします。渋谷の街は、あまりにも凝縮されすぎていて、ゆったりとした環境が無いというか、何だか殺伐としてしまうのではないでしょうか。

--そうした点を改善するとすれば何から手をつけるべきですか?

空間でしょうか。例えば、ロンドンのようにオックスフォードストリートからハイドパークを散歩しながらその周りのカフェに寄って帰るとか、そういうイメージがあるといいですね。それこそ宮下公園をきれいにすると良いのではないでしょうか。東京は緑が多いし、それがオシャレなイメージにつながると思うのです。大人も歩けるような場所があるといいと思いますね。また、お客さんにとっても、渋谷にロンドンのピカデリーサーカスのような環境があるといいですね。ライブの後でゆっくり食事ができて、大人がちゃんと夜10時、11時までいられて、世界の舞台とか文化が真っ先に入ってくる街になれば・・・そうなると渋谷の魅力がはっきりしますよね。

空間と言えば、アミューズは昨年新宿コマ劇場と提携しました。コマ劇場は歌の原点でもあり、周辺にジャズ喫茶があり、新しい歌が生まれた時期もあった場所ですが、劇場の中に入ってみて、その素晴らしさに改めて気付きました。本当に音が良くて、見やすくて、盆(円形状の舞台)を使える素晴らしい劇場なので、今後、演目次第で新たな観客を呼ぶことが出来ると思っています。今まで歌舞伎町に行く機会のなかった人たちがコマ劇場に来ることで、町の雰囲気もよくなればいいですね。

--文化のためには「ハコ」も大事ですね。

昨年、コマ劇場でロックミュージカル「WE WILL ROCK YOU」のロングラン公演を成功できたのも、やはり、コマ劇場があったからです。実際、アミューズはコマ劇場との提携を機に、より積極的に舞台製作・招聘事業に取り組むようになりました。今年の5月には岸谷五朗と寺脇康文のユニット「地球ゴージャス」による舞台も上演しましたし、10月には「冬のソナタ ザ・ミュージカル」、11月には「WE WILL ROCK YOU」の再演も決まっています。今後も国内・海外問わず良い舞台を上演していきたいと思っています。

一方、渋谷ではシネアミューズEAST&WESTやアミューズCQNという映画館を持っていますが、今後、千人くらい入るホールを作りたいですね。やはり、アミューズの「ライブイズム」として、ちゃんといいライブが出来て、少しずつお客さんが増えていって、その結果パッケージにつながっていくようなアーティストを育てていきたいと思っています。

--今後、ライブに対するニーズは高まると?

音楽配信などデジタルなものが増える一方で、ライブにはますます人が入るようになったんです。みんな「生」のものを求めているのでしょう。「生」のライブの価値は今後ますます高まっていくと考えています。最近では数万人規模の大型屋外ライブが増えていますが、アミューズでも、今年8月26日・27日の2日間、浜名湖ガーデンパークで、桑田佳祐の呼びかけでサザンオールスターズを中心にアミューズのアーティストをはじめ豪華ゲストアーティストが出演する「THE 夢人島Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション…に泊まろう!」という野外イベントを行います。このイベントには2日間で約12万人ものお客様にご来場いただく予定です。

--今後、渋谷にどのようなことを求めますか?

のんびりお茶が飲めて、映画を観ることができて、いろいろなものをゆっくり見ることができる街であってほしいと思います。一方で、自分たちもそうしてきたように、常に若い人たちに文化を創っていってほしいですね。

■プロフィール
松崎澄夫さん
1948年(昭和23年)生まれ。1965年、専属ミュージシャンとして渡辺プロダクションと契約。1971年、渡辺音楽出版入社。1988年、パブリッシャーズハウスアミューズ(後アミューズに合併)入社。アミューズ常務取締役(1991年)、専務取締役(1999年)を経て2005年4月、代表取締役社長に就任。

Amuseオフィシャルサイト

新宿コマ劇場オフィシャルサイト

シネ・アミューズ イースト&ウエスト

アミューズCQN

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