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渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

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澁谷光重さん
(澁谷本嫡宗家)

500年ぶりの古式弓術神事「御的」の復活で、渋谷に溢れる人の妬み、嫉み、恨みなどの悪縁を祓う

プロフィール

神奈川県横浜市出身。澁谷光重(秩父光重)。村岡秩父家 41世家督で、澁谷本嫡宗家(澁谷屋形)36代屋形。平安時代末期の1092年(寛治6年)、「澁谷」を初めて名乗った河崎基家(澁谷基家)により、「渋谷城」(本丸は現在の金王八幡宮)を築城。戦国時代に落城するまで、渋谷の地を治める。澁谷家の跡継ぎである光重さんは、澁谷流弓馬礼相伝 (弓術・馬術・諸礼)、武田流/大坪流馬術など、武道や武家教育を幼少期から学ぶ。現在は、武家文化などを伝える「澁谷流奉崇会(ほうすうかい)」を立ち上げ、講座や体験教室、神事などを通して「日本の伝統文化」や「日本人らしさ」を現代に伝えている。澁谷流奉崇会会長。

全てのものに命がある。伝統や流派もいつかは途絶えてしまう

_光重さんが、弓などの武道を始めたのは何歳の時からですか?

武道は6歳から始めました。普通の弓道と違いますから弓道場ではできないものですから、稽古は庭で行っています。弓場(ゆば)と言うんですが、必ず狭い家であっても庭に弓場を作ります。とはいえ、あくまでも秘儀なので。昔から子どもが何人いても、全て教えるのは一人だけ。それが一子相伝という意味なんです。

_弟子を取ったり、道場を開いたりして継承していくという考えはないのですか?

現在はありません。中世の流派のほとんどが絶えてしまったのは、一子相伝も一因ですが本質は秘儀ですので、一子相伝ゆえに変わらず伝えられるという特徴があります。 

_流行廃れに関係なく、一子相伝だからこそ大事に継承されてきたというわけですね。そう考えると、後継ぎに伝えていかなければいけない、という責任を強く感じているのではないですか。

私自身は全くないですね。これは父も祖父も言っていましたけれども、全てのものに命があると。伝統とか流派にも命がありまして、続けようと思っても途絶えるときは途絶えてしまう。やる気がなくても続くときは続くし、それが命だという考えです。それを意図して続けようとか、もっと言えば社会に広めようとすると本質を欠いてしまう。ちょっと古い考えかもしれませんが、私はそう考えています。

_絶えるときには絶えてしまっても仕方がないと、立派です。

やせ我慢(笑)。

_光重さんが武家の家柄であると認識したのは、いつ頃からですか?

物心ついたころから、そういうものだと思っていたので、特別意識したという記憶はなかったです。学校時代の友だちには、武士の子孫だと一切伝えていないので、たぶんびっくりするでしょうね。私の父の育った時代はちょうど戦争が終わり、社会全体に左翼思想が広っていた時代。そういう影響から保守的なもの、伝統的なものをあえてアピールはしなかった。その父の影響を私も受けていて、特別隠していたわけではないのですが、あえて人に伝えることもして来ませんでした

_学生時代、渋谷に友達と遊びに来ることはあったと思うのですが、どんな気持ちで渋谷の街を歩いていたのですか?

中学生くらいになると、東横線に乗ってしょっちゅう来ていました。遊び場といえば、横浜か渋谷という感じでしたので。特別な思いはなかったですが、ただ、ふとしたときに「渋谷は故郷なんだな」と思うことはあります。そういう気持ちが強く芽生え始めたのは、本当に30歳を越えてからです。

引目式で使用した矢。鏑(かぶら)づくりは、澁谷家に代々継承される秘儀。写真の鏑も澁谷さんご自身が手づくりしたもの。

体内に眠る感覚を呼び起こし、日本人であることを自覚する

_現在、武家文化を伝える「奉崇会(ほうすいかい)」という会を作っていらっしゃいますが、この会を発足されたのはいつ頃ですか。

会の活動は2、3年前から。20年ぐらい前から古式弓術神事「御的」を八幡様(旧渋谷城)に奉納したい、という父と私の願いがありまして。その夢の実現が見えてきたときに、その話を聞きつけた方々が手伝いたいと集まってくれまして、ある程度の人数になったので会を立ち上げたという経緯です。本格的な活動はこれからなのですが、講座や体験教室などを中心に行っていきたい。最近、日本人らしさが希薄になりつつありますが、結局、日本の製造業だとか、サービス業などの根底に「日本人らしさ」があると思うんです。武家文化は日本文化の礎ですので、きっと皆さんの心に響くと思います。だから、講座では伝統文化をなぞって、自分が日本人であることを確認してもらえればいいなというのがコンセプトです

_自分が日本人だなと感じるスイッチとは、具体的にどんなことでしょうか?

例えば、先日行った「御的(おまと)」神事のときには、参列者のお客様へのもてなしとして、お土産の御神酒にのし紙を折って、一つ一つ悪戦苦闘しながら30分くらいかけて包みましたが、これが武家礼法なんです。包んでいるうちに、なぜこんなことをやるんだろうとか、夢中になっている自分がいたりして…。その包むという過程を通して、もてなしの意味や、自分が日本人であることをどこかで自覚するんです。要するに理屈じゃなくてDNAに訴えるという。私がよく言うのが、日本文化に馴染みない若者でも、日本人のDNAがフリーズドライのように体の中に眠っていると思うんです。それがそういう伝統文化に触れたり見たりした瞬間にすっと出てくる。奉崇会を通じ、そういう体験してもらいたいと考えています。まぁ、あまり畏まらず、楽しんでいただければなお良しですが。

_夢叶って金王八幡宮で「御的(おまと)」を実現させましたが、そもそも「御的」「引目(ひきめ)」にはどういう意味があるのですか。

神事に使用する約五尺二寸(約1.5メートル)の「大的」も澁谷さんの手作り。

日本では災いの多く、ことに不条理による悲しみや苦しみは魔縁と化生の仕業と考えてきたんです。化生とは何かと言うと妖怪と物の怪。ただそれ以上に日本人が恐れたのは魔縁です。魔縁というのは人の負の感情。妬み、嫉み、恨み。こういう魂が魔物となって人に災いを与え、災害を起こすという考えです。じゃあ、どうするかと言うと祓うんです。その祓い方が京都の祇園祭の鉾(ほこ)なんかもそうですけど、武器によって祓う。その最たるものが弓矢の儀式です。御的(おまと)や引目(ひきめ)は、例えば建物を建てたときや、造営など慶事のときなど、あと子どもが誕生したときなどにも何か災いを避けるために引目で祓います。違いは引目がピンポイント。例えば、天皇陛下があそこに化け物が出たぞと言うと近くに仕えている侍がすっと来て、引目でぱっと射て祓うとか。一方、御的(おまと)は街とか、広い地域にいる魔物全部に向けて祓います。ただ、威力は引目のほうがピンポイントだけに相当強いです。また大事なのは、日本人が音で魔を祓うという発想があること。例えば、鈴なんかもそうですね。この間の御的の儀式を見ていただければ分かるんですけど、御的も引目も音が印象深かったと思うんです。あの音が魔物を祓うという考えなんです。

_その音が鳴る矢先の鏑(かぶら)も澁谷流の秘儀で、今回の神事に向けて澁谷さんご自身がお造りになったと聞いています。言える範囲で結構なのですが、どんな工程で制作したのですか。

材料は朴(ほおの木)、あとは桐とか色々あるのですが、その中をくり抜いて空洞にして、穴を開けます。その穴を目というのですが、そこから空気が入って音が鳴る仕掛けです。大正時代までは、澁谷家専属の引目や矢を作る専門の職人さんがいたんです。その後、杉並区堀ノ内の館を離れて、私の祖父からは自分たちでこしらえています。父も私も上手じゃありませんけど、一生懸命に作っています。

_500年ぶりの神事復活に向け、当時の儀式をどのように勉強されたのですか。

戦国時代の落城以来、500年ぶりの復活と言われていますが、それは金王八幡宮で行うのがという意味です。実際は自宅で年中行事として、略式ながら年10回以上も行っています。皆さんから500年以上も昔の儀式をどうやって復活できたのかとよく聞かれるのですが、公にやるのが初めてというだけで、自宅の庭ではずっとやっていることなので。ちょっと近所迷惑ですけど、ピューとかパーンとか音を立てながらやっています(笑)。

_神事を無事に終えた率直な気持ちを教えてください。

神事としては純粋に魔を祓えたか否か、それだけです。ただ一般公開のお客さんが見ている行事として考えた場合、良かった点というのが「自分が日本人であることを自覚した」など…、皆さんが想像以上に喜んでいただけたということ。あれだけの人数がいるのに1時間近く誰もしゃべらず、クラシックコンサートのような静けさが保たれたのはとても良かったです。また一方で、反省点というより課題ですが、お客様から「解説と司会進行をもっと充実してほしい」と。せっかく珍しい儀式を見ているので、一つ一つの動作に一体どんな意味が込められているのかなど、もっと知りたいという要望が多かったです。今後はそういう声にも配慮していきたいと思っています。

2016年5月3日、金王八幡宮の境内で引目、御的の神事が執り行われた。詳しい写真はこちら

50年、100年先の「渋谷の象徴」を再開発で創造してほしい

_現在、「100年に一度」の大規模な再開発が今進んでいますが、伝統文化を継承する澁谷さんの立場では、渋谷駅の際開発をどのように感じていますか。

武家の場合、伝統文化に限らず、文化そのもののバランスが取れていることが一番大事だという考えがあります。だから芸にしても、和歌だとか弓馬とか料理とかバランス良くできることが大事だと。そういうふうに考えると、ここ30年の渋谷は、若者文化に偏っていたと思うんです。だから今回の再開発で足りないところを補えば、バランスの取れた成熟したまちになると思います。

_特に再開発で期待していることは?

渋谷駅周辺の再開発の様子

新しい渋谷を象徴する、何かを創造して欲しい。つまり、それが渋谷の顔になる。今さらそんなことって思うかもしれませんが、これが50年、100年経たときに、本当の意味での「渋谷の象徴」になったら素敵なことだと思うんです。ご存知だと思いますが、明治神宮の森がそうです。昔はただの原っぱだった場所ですが、植林して今では見事なまでの鎮守の森になっていますよね。つまり、象徴がまちの財産になると思うんです。この再開発は新しい渋谷の将来の象徴というものをつくるまたとない機会だと思うので、できればそういうのをつくってもらいたい。

_一方で、渋谷の伝統とか引継ぐものとか、今の渋谷に残さなければいけないと思うものがありますか?

全くないですね。『平家物語』の諸行無常じゃないですけど、全てに終わりはあるし、変わっていくのが自然なこと。過去に未練を残さないという潔さというか。今日という日を生きているという考えなんです。だから明日のことは分からない、来年のことも一切考えないんです。今日という日を武士として恥ずかしくないように生きて死んでいくという。一番大事なのは人として武士として、今日というこの瞬間を生きるということなんです。だからもてなしも、全身全霊でもてなすのは、次にいつ逢えるか分からないから。

_中世武士はストイックですね。

一杯のお茶を飲むのも、何となくテレビを観ながらの「ながら飲み」じゃなくて、もしかすると1時間後に自分は戦って死ぬかもしれないから「このお茶が人生で最後のお茶かもしれない」と思ってお茶と向き合う。何ごともそうなんです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という一節がありますが、これが最後かもと常に考えながら「一期一会」で何事にも取り組むということ。人はあっけなく死ぬもので、昔の人はそれが分かっていたわけですね。だからこそ今というものを大事にできると。風邪をひいて健康のありがたみが分かるとか。旅行に行ったけど、帰ってきたら我が家が一番いいやと感じるなど…。つまり人間というのは、対極にあるものを感じることで、初めて本当の価値が分かる。結局、死というものが隣り合わせじゃないと、命の価値を実感できないもの。武士はそれを常に24時間実感していたんです。

_澁谷さんにとって「渋谷」は、ひとことで言うとどんな場所ですか?

魂の故郷です。横浜は心の故郷です。渋谷には先祖や家臣の魂も眠っているので。心そのものが人間であって、でも心の奥底にある霊(たま)が魂だと。自分の意思とは別として、生まれながらに持ったその魂の故郷が渋谷です。ピリッと緊張するというよりも、どちらかといえばリラックスするまちです。ただ、もう少しきれいになってもらいたい。再開発で渋谷川に水流を復活させる計画もあるようですが、ビオトープを作ったり、難しいかもしれませんがホタルを生育させたりなど、かつては「桃源郷」と呼ばれた渋谷を復活してほしいですね。

_最後に澁谷さんの夢や目標を教えてください。

金王八幡宮をはじめ、様々な神社、仏閣で「大的」や「引目」などの儀式を続けていきたいという気持ちがあります。私が弓を引くことによって、少しでも世の中の魔が祓えればと思っています。これは侍の本懐の一つですし、現代では滑稽だと思う人もいるかもしれませんが、それが日本の伝統であり、私の信念です。ただ神事を行うためには、手間と人手がかかりますので、こればっかりは分かりません。とにかく前向きに自分ができることを、やっていこうと思っています。

>>古式弓術神事の写真はこちら

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