参拝は「挨拶」なので、「お元気ですか?」と必ず声を掛けてください
_金王八幡宮の鎮座は923年の歴史があるそうですが、社殿はどのくらい前に建てられたものですか?
社殿は確かに渋谷で一番古くて403年前に建てられたもの。江戸の火事や関東大震災、空襲も無事だったそうです。じゃ、何が923年なのか? 建物は403年前のもので、目に見えるのは923年前のものが何一つも残っていない。昔から何が変わっていないかといえば、それは神様をここの場所で大切にする想いだと思います。神様がその辺りでお祀りされて、人びとが神様をここにお鎮まりになりますようにという想いは、昔から変わっていない。建物は関係なく、あくまでも社殿は神様のためのお住まいだったり、儀式をするための専用施設であるだけ。たとえば、変な話ですけど仮に社殿が燃えてしまって、新しく建て直しをしたとしても、神社の歴史はずっと続いていくわけです。神社は地域の一部であって、建物がある無しに関わらず、なくなることは考えられません。だから大都会の真ん中ながら、金王八幡宮が残っているのです。
_都会における神社の役割をどう考えていますか?
その土地に住んでいる人を護って下さる氏神様(うじがみさま)です。たとえ、その人が引っ越しても産土神(うぶすながみ)、生まれたところの神様は変わらない。また、渋谷で仕事をしている人も土地の神様との関わりがあります。そもそも金王八幡宮の歴史を紐解けば、今から900年以上前、この地に渋谷氏がお城を構えると同時に、自分の守り神として八幡様をお祀りしたのが始まりです。いつ地震が遭ってもおかしくないし、いつ津波が来てもおかしくない。人間は何か拠り所が欲しいわけですよ。神様をそこにお祀りし、お鎮まりになっていただいて護っていただこうというのは、日本独特の考え方だと思う。ある種、怖い力をお祀りすることで、自分の身を護ってくれる力に転換するというユニ−クなもの。分かりやすい例を挙げれば、天神様ですよ。平安貴族の藤原家との争いで、敗れた菅原道真公は九州に左遷されて亡くなる。その道真公の恨みから干魃(かんばつ)や落雷などの色々な事件が起こり、みんなが怖くなってしまう。そこでお祀りすれば、もしかしたら本人の恨みも晴れるのではないかと思い、敵であるはずの藤原家が道真公を守り神にしてしまう。海外の場合、敵は最後までぶっ潰さないと再び出てくるかもしれないと考えます。あえて優しくして、「どうぞ何でも召し上がって下さい。高い階級を差し上げますので、これでどうにかお鎮まり下さい」と怖い力を受け入れるというのは、とても面白い信仰だと思います。その土地の神様をお祀りして、ひとり一人が神様に感謝の気持ちを述べることで、全体的に安全な世の中が出来るという考え。住んでいる人も、働いている人にも関わる氏神様です。
_昼時にこちらに来ると、境内には昼ご飯を食べたり、タバコを吸ったり、とても多くの人びとがいます。ある意味、大都会のオアシスのような場ですよね。
緑が多く落ち着いた静かな場所ですから、そういう意味では大都会の中の魅力的なスポットでしょう。ただ一つ忘れてはならないのは、この神社は渋谷区が提供している公園や、誰かが作った休憩場ではないということ。あくまでも、ここは八幡様がメイン。神様がいらっしゃらなければ、ここは絶対に今とは違う場所になっていたはずです。だから、ここに来る人は八幡様をないがしろにしてはいけません。ただ昼ご飯を食べるだけ、タバコを吸うためだけに利用するのは、とても残念な事です。無視されたり、誰も相手にしてくれなければ、人間でも寂しくて悲しい思いをするでしょう。朝から晩までいろんな人が来て、「お元気ですか?」「いやどうも」「お会いできて良かった」などと挨拶されれば、とても気持ちがいいし、今日も良い一日になったと感じます。おそらく神様も似たような存在なんじゃないかと思います。「渋谷の八幡様、いつも守ってくれてありがとう」という気持ちが一人でも増えれば、神様の力もますます大きくなります。
_そう考えると、神社に来たら必ず参拝をしなければいけませんか?
そうです、参拝というのは「挨拶」ですから。私は宗教が違うから参拝しないというのは、ちょっと違う。たとえば、宗教が違えば、人に挨拶をしないのかということでもないでしょう。神社の鳥居は出入口ですが、でもゲートを閉じることは出来ません。国籍や宗教を問わず、誰でも入ることが出来きます。
初詣は賽銭箱の前でなくても、社殿のまわりどこでも構わない
_これから年末年始を迎えますが、神社の行事を教えてください。
半年ごとに「大祓(おおはらい)」と言い、ひとり一人の身に付いた邪気や罪穢れ、悪いものをすべてきれいに祓って、新しい半年を清々しい気持ちで迎えるという儀式があります。1100年くらい前の書物にも出てくる古い行事の一つで、夏を迎える前と新年を迎える前に行います。12月1日から社頭(神殿の前)に「人形(ひとがた)」といって、小さな人形にした紙を置いています。その人形に自分の体の中と外に付いている悪いもの、罪穢れをすべて移し、それを儀式の中でお祓いします。要するに自分の身代わりになってもらうわけです。大みそか当日参加出来ない方も事前に記入して、体をなでたり、息を吹き掛けたりしてもらえば、それを集めて儀式の中で全部お祓いさせてもらっています。31日の大晦日、最後の最後まで溜まりに溜まった罪穢れを全部祓って、清々しく明るい、一番正常な気持ちで新年を迎えるという大事な行事です。せひご参加ください。
_また年始の行事といえば、初詣も欠かせません、正しい初詣の仕方を改めて教えてください。
皆さんの初詣を見てみると、賽銭箱の真ん中で参拝したいという気持ちが強いですね。もともとはそんなことはなく、真ん中に限らず、社殿のまわり四方どこで拝んでも構わなかった。「神様にお会いできて良かった」という挨拶は、どこでもいいわけですよ。参拝方法は門を入って、まず手水を取ります。私たち神主はお祀りの前にシャワーや水を被って、身を清めますが、手水は誰でもできるように簡易化したものです。昔の文献をみると、海に入ったり、川に入って禊ぎをしていたわけですが、現在、サラリーマンが昼休みにお参りしたいという時にわざわざ海に行くわけにはいきませんから。簡易的に手水で身を清めてから前に進み、「ニ礼ニ拍手一礼」の作法でご挨拶するというのが、一般的なお参りの仕方です。
_最近、金王八番宮では秋の例大祭でビギンのライブをやったり、参道でファッションショーを催すなど、積極的に様々なイベントに取り組んでいます。これには何か考えがありますか?
基本的に神社に縁(ゆかり)のあるイベントを開催していますが、新しいものを受け入れることが、神社にふさわしくないと考えている人がいるとしたら、私はそう思いません。神社は新しいものを受け入れ、「神様がお喜びになるもの」「人間の役に立つようなもの」「元気を与えてくれるようなもの」を催すことは、昔から一切変わっていません。日本の伝統的な音楽や舞踊も、千年以上前に伝来してきた当時は最新流行のもので、「これはいいでしょう」と神様への最高のおもてなしだったわけです。常に最新のもの、何でもいいわけではないですが、良い物は神様に見せてお喜びいただく、また人びとが喜んでいる姿を神様がご覧いただくことも、一つの奉納になります。土地柄もありますが、渋谷はファッションや文化、いろいろな活動をされている人がたくさんいます。そういう方が神社にいらっしゃいますし、コミュニティも出来上がっていますので、それを大事にしています。渋谷の神社としては一番適したやり方だと思います。全国の神社は8万社ありますが、同じ系列でもチェーンでもありません。神社それぞれがどんな催しをするか、そこでしか出来ないことを神社一社一社が個性的にすれば良いこと。全国すべて同じだったら面白くないですよね。
_最後に今後の夢を教えてください。
神主になりたいという夢があって、有り難い御縁があってそれが叶い、やりたかったことをさせていただいています。これからの抱負は、これを続けてその腕を磨いていくだけ。出世云々とか、昇給とかは別にどうでもいい。長くやることによっては、いろいろな方に出会えるし、いろいろな経験が積めるのも面白い。これから長く神主を続けていく中で、いろいろな壁にぶつかると思いますが、生活を貫き強く生きていきたいと思っています。
>>金王八幡宮公式ホームページ