本当の「渋谷系」はボク!−原宿育ちで、初ステージはクアトロ
_その一方、子どものころ、隣のまちの渋谷にはどんな印象を持っていましたか?
渋谷は怖かったですね。いわゆるセンター街に行くとカツ上げされるみたいなイメージがあって。今思えば、原宿もセンター街もさほど変わらないですけど、子どもの頃は「ここは中学生になってから」というような場所でした。
_実際に渋谷に足を運ぶようになったのは、中学生ごろですか?
いや、高校生ぐらいになってからですね。今は事務所が渋谷にあるので、原宿よりも渋谷にいる時間のほうが長くなっていますけど。当時は洋服とか。あと、やっぱりレコードとかCDかな。ボクが高校生の頃は、割とCD全盛期だったので、HMV、WAVE、タワーレコード、あと中古を扱うレコファンなど、「音楽」を目的に渋谷に来ることが多かったです。
_そもそもキーボードを始めたのはいつ頃からですか?
小学校の頃からピアノは習っていまして、バンドを組んだのは高校生からですね。それで思い出しましたけど、キーボードは道玄坂のヤマハで習っていました。今はもうヤマハは無くなっちゃいましたけど。
_じゃあ、バンドを組んで渋谷界隈のライブハウスでもやったりしていたのですか?
最初はどちらかというと、高校生なんで、いわゆる文化祭でやったりとか。ライブハウスでやるようになったのは、大学生の頃にホフディランを結成してから。忘れもしない、1994年の、最初のライブは「渋谷クワトロ」だったんですよ。
_ホフディランのデビューライブですか?
デビューじゃなくて、本当に一番最初のステージなんですが、TOKYO No.1 SOUL SETの前座でした。
_一番始めにTOKYO No.1 SOUL SETの前座って、すごいですね。
その次に出演したのは、渋谷WAVEのサテライトスタジオから、スペースシャワーTVが毎日夕方に放送していた「渋谷派パンチ」という番組で。司会はちはるさんだったと思いますが、そこで、まだデビューもしていない、インディーズですらない、何も出していないホフディランが「こんなヤツらがいるよ」みたいな形で紹介されたのが、テレビ初出演。その後、1996年にCDリリースしデビューライブは、渋谷eggmanでやりました。そういう意味では、ほとんどの「初めて」を渋谷で経験してきたという感じです。
_原宿で育ったけれども、音楽をきっかけに拠点が渋谷にシフトしてきたということですね。特にホフディランさんがデビューした当時は、「渋谷系」と言われて、日本の音楽シーンが渋谷を中心に動いていた時でした。当事者としては、どう感じていらっしゃいましたか?
ボクらは「一番最後の渋谷系」と言われるんですけども、たぶん、いわゆる渋谷系がものすごく流行っていた頃って、ボクは大学生だったと思うんです。でも、その頃の「渋谷系」と言われていたミュージシャンの人たちって、全く渋谷の人じゃなくて。
_本当の渋谷系はボクだと(笑)
だって、この人は神奈川で、あの人は宇都宮みたいな感じで。渋谷の人じゃないのになと思ってみていましたけど(笑)。まぁー、「渋谷系」というのは、その当時、HMVのバイヤーだった太田(浩)さんが、渋谷のレコード屋さんとして「こいつら面白い」って押し出したアーティストたちで。今で言う、本屋大賞みたいなもんです。いわゆる大手のレコード会社がじゃなくて、渋谷のバイヤーが自分の趣味で「これいい!」ってプッシュしたものが、どんどん売れていくみたいな文化。どちらかというと、アーティストよりもレコード屋さんに注目が集まった時代でした。
_ある意味、その流れの中でホフディランさんも出てきたわけですね。学生時代に結成した当時から、プロ志向だったのですか?
いやいや、全然思っていないですね。その時はただ、本当に音楽が楽しくて。
_じゃ、なんとなくデビューが決まってしまったというのが、正直なところなんでしょうか。
そうですね。でも、変な話ですけど、デビューが決まったときには、すごく自信があったんですよ。デビュー曲『スマイル』は、オリコンで絶対1位になるだろうと思っていたくらいで(笑)。
_『スマイル』はオリコンの順位以上に、記憶に残っている名曲ですよ。本当に。
本当ですか、ありがとうございます。
今の渋谷は戦後みたいなもの、手を挙げればチャンスがある!
_今、渋谷駅周辺は100年に一度と言われている再開発が行われていますが、長く渋谷区に住んでいる住人の本音として、再開発をどう感じていらっしゃいますか?
面白いと思いますね。渋谷って、戦後の闇市から始まったところって多いじゃないですか。ボクは、そういう闇市的なところから生まれる文化が割と好きで。ある種、再開発って、一旦壊して、また新たにどーんと建物を造るときで、それは戦後の闇市にも似ている気がするんですね。良くも悪くも、完璧に出来上がっちゃっているまちって、新しいものを受け容れる余地がないじゃないですか。これからどんどん大きな建物が出来ていくと思いますが、今って、そこに手を挙げれば入れなくもないというタイミングだと思う。
_古いものが無くなることに対するノスタルジックな、郷愁感みたいなものはないですか?
ありますけど、そんなに強くはないです。どちらかというと、新しいものができるときに、新しいクリエイティビティーみたいなものを活用できることのほうが、期待が大きいので。古くて、ずっと変わらないまちは、古い利権を持つ老舗しか生き残れない。そうじゃなくて、どんどん新しいものや若い人たちが入れるほうが、個人的には健全な気がします。
_もし予算や条件などがなく、雄飛さんの好きな事が出来るとすれば、再開発でどんなものを造りたいですか?
何でもできるなら、ありがちなものではなくて、渋谷らしくて、それが若者のカルチャーなのか、あるいは住人の憩いの場というようなもの。大きな商業施設も好きなんですけど、そこに「生活」があるともっとキュンとくる。だから、何か共同生活ができるような、シェアハウスなのかな。いろいろなものが複合していて、生活していないまでもそこで寝泊まりができるとか。みんなが来て、夜になると帰っちゃうじゃなくて、そこにずっと居られるようなところ。たとえば、東京駅のホテルとか、ディズニーランド内のホテルにすごくキュンとするんです。ディズニーランドの営業は終わっているんだけど、宿泊客はその先の夜も見られたりするような。純粋にホテルという意味ではなく、もう少し施設と結びついた宿泊なのか、オールナイトできる施設みたいなものかな…。
_シェアハウスや、コワーキングスペースに近いものかもしれませんね。一方で、住人として渋谷に抱いている問題はありませんか?
原宿の水無橋のところなんですが…。
_水無橋ってどの辺ですか?
水無橋というのは、原宿駅すぐ近くで山手線の上を跨ぐ「五輪橋」がありますが、その一つ渋谷寄りの小さな橋です。ちょうど代々木第一体育館の向かいあたりで、小さい車がようやく通れるぐらい。その橋には「スケボー禁止」って書いてあるのに、ずっとスケボーやっている若いヤツらがいるんですよ。何なんだっていうね。
_結構、おじさん目線ですね(笑)
ボクはどちらかというと、ストリートサイドの人間なんですけど、駄目って言ってるんだから、やるなという事だと思うんですよ。今、深夜のクラブ営業が云々みたいな話もあるじゃないですか。あの問題に真剣に取り組んでいるKダブシャインさんや、須永辰緒さんとか、DJの方々は「禁止されてもやっちゃえ!」じゃなくて、本気でどうしようかって考えています。確かに80年代ぐらいの渋谷は「禁止されてもやっちゃえ」で良かったと思うんです。今よりも、もっともっと禁止が多くて、いろいろなことが全然出来なかったから。その反発で壁などに落書きをするグラフィティーにしろ、スケボーにしろ、ストリート文化が生まれきたと思う。これは良かったんですけど、でも、今の時代はすごく自由じゃないですか。みやしたこうえんにもスケボーパークがあったりするし、それだけ、いろいろ用意されているのに何でここでという。やっていることが、全然しょぼいんですよ。やるんならアメリカの本場に行って勝負してくるとか、野球だって大リーグとか行っているわけじゃないですか。どなたかに言ってほしいんですね。
_自分では言わないんですか?
ボクは、へんに喧嘩とかに巻き込まれたくないんで、おとなしく(笑)。でも、真面目な話をすれば、渋谷は「出来ないことに立ち向かえるまち」だと思うんです。それは禁止されていることをやってみたいとか、ちょっと不良してみたいとかじゃなくて、もっと大きな問題や困難に対して、みんなで立ち向かっていく。それこそ、長谷部さんが条例を成立させた「同性パートナーシップ条例」じゃないけど、みんなで何かが変えられるまちだと思うので。そういう意味で「セコいところで反抗するな!」ということを伝えたい。「若者よ、おじさんからちょっとお金を取るとか、人が履いている靴を取るとか、そんなことをするな」と。
_たとえが古い(笑)
ちょっと古いですけど(笑)。もっと大きく生きろ、若者と。
_今後の仕事やプライベートで実現したい夢について教えてください。
一番初めの話に戻りますが、渋谷のお店を集めたフェスをやりたくて。代々木公園のタイフェスとかと同じように、食べ物だけに限らず、渋谷のものを集めたフェスです。要は外からも人が来るけど、渋谷の中からも常連が集まるという。たとえば、Aという店があるとして、そこの常連さんが来店したときに、ほかのBというお店を知る機会を得て、そっちにも行くようになるみたいな繋がりができたら、いいなと。フェスを一個作れたら、今度それを外に持っていきたいんです。たとえば、大阪で「渋谷フェス」をやるとか。場合によって、タイで行われてもいいかもしれないし、パリでもいいかもしれない。
_渋谷は他のエリアのPRの場で、常に受け身の状態だったけれども、もっと外に積極的に飛び出していくということですね。
それは本当に面白いと思うんですよね。たとえば、二子玉川にセントメリーズというインターナショナルスクールがありますが、そこの文化祭がボクは割と好きで。別にボクはそこの卒業生じゃないんだけど、そこに行くと、生徒たちの父兄さんがお店をやっているんです。インド人の父兄が集まってインド料理の屋台を出していたり。イギリス人の父兄が集まってパブみたいなものをやっていたり、それぞれの国の特色が出ているんですよ。ある種、「渋谷フェス」はそれに近いものじゃないかなと。渋谷に関連するそれぞれの人びとが集まり、一つの渋谷という縮図が作れたらいいなと考えています。
_雄飛さんは「音楽業界のグルメ番長」と言われるほどの食通で、渋谷のいいお店もたくさん知っていますから、すごいフェスが出来そうですね。
「渋谷フェス」のお店選びは、ボクに任せてください。名店からユニークなお店まで、セレクトさせてもらいますので(笑)。
>>ホフディラン公式ウェブサイト
ホフディランがハッピーな新曲を
「完全無料ダウンロード」で配信!
2015年9月26日(土)、ホフディランの新曲「愛しあって世界は回る」がリリース。CDが売れず、Apple Musicの定額配信サ−ビスがスタートするなど、音楽業界が大きく変わろうとする中で、ホフディランは音楽をはじめた頃の原点に回帰し、ファンはもちろん、ホフディランを知らない人びとにも新曲を届けるため、今回の新曲を「無料であげちゃう!」ことに。「完全無料ダウンロード」のため、個人でダウンロードするのはもちろん、コピーして友人へ配布するのも、YouTubeでシェアするのも、テレビ番組・CM等で使用するのもOK! 「聴かれてこそ音楽!」というホフディランの強い思いが込められている一曲。まずは、下記アドレスから楽曲をダウンロードして聴いてみてください。
愛しあって世界は回る/ホフディラン(作詞 作曲 小宮山雄飛)
>>ホフディラン公式ウェブサイト