宇野常寛さん
(評論家/ PLANETS編集長)
ネット以降の若い感性を持つ社会人と、渋谷の「セカンドステージ」を創造したい。
1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『セロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)ほか多数。
ネット以降の若い感性を持つ社会人と、渋谷の「セカンドステージ」を創造したい。
1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『セロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)ほか多数。
_トークセッションや、PLANETSの最新号でも「東京オリンピック」をテーマにしています。宇野さんが、オリンピックについて考えようと思ったのはどうしてですか?
PLANETS vol.9/ 特集「東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。東京オリンピック計画と、それを契機にした日本の未来像を、プロジェクトチームを結成し、徹底的に考える提言特集。
僕がオリンピック嫌いだからです。はっきり言って(東京に)来てほしくなかった。日本がいろんな意味で行き詰っている中、それを誤魔化すようにオリンピックでから騒ぎしてみようという動きがあるじゃないですか。誘致に熱心な人であればあるほど、1964年にいい思い出があって、「これで、もう一回日本が元気になるんだ!」という文脈を強く感じる。一方、僕はといえば、戦後のことは一回忘れて、もう一回別の思想で日本を建て直せばいいとずっと考えている人間なので。あともう一つ、ビジョンがないんですよね。オリンピックの誘致が決まった瞬間に、知識人や文化人が何を言ったかというと、「開会式は秋元康がやると嫌だ」ぐらいなことしか言えなかったんですよね。これって要は、今シャシャってるやつが、(招致決定の2013年から)7年後シャシャっていると嫌だなぐらいなことしか言えることがない、日本人は7年後にビジョンを持っていないということなんですよね。そうじゃないだろうと。「何々ではない」じゃなくて「何々である」ということが、たった7年後の未来に言えないんだったら、本当にこの国は終わると思う。オリンピックはすごく嫌いだけれど、オリンピックに対して、とりあえず駄目出しをすればいいという左翼根性も大嫌いなんですよ。だったら僕たちが、もっと面白くて、もっと建設的なオリンピックの案をぶつけてやろうじゃないか、というのがきっかけです。
_開会式やパラリンピック、都市開発から裏五輪、オリンピック破壊計画に至るまで、かなり刺激的で具体的なプランを練っていますね。
とにかく総合性のあるものをやりたかったんですよ。とりあえず開会式だけとか、都市開発だけ出していけばいいというでは意味がないと思い、総合的な2020年の日本のビジョンを描こうと思ったんですね。例えば、開会式や中継プランは、やはりこの男しかないだろうということで、チームラボの猪子さんにいろいろプランを出してもらって。パラリンピックは、どうしてもサイボーグ技術とかテクノロジーと絡んでくるので、慶應義塾大学メディアデザインの稲見昌彦さんとか、また観客の参加意識を高める仕掛けとして、ゲーミフィケーションの研究やテクノロジーと社会の関係についてずっと考えている、ゲーム研究者の井上明人君だったり…。今まで僕が仕事をしてきた中で、個人的にリスペクトしている第一線の研究者や、作家たちをプロジェクト・メンバーとして集めています。その中で都市開発から文化プログラムまで、いろいろアイデアを出してもらいました。
_特に強烈なのは「オリンピック破壊計画」ですが、一般的になかなかプランの中に入れくいものだと思うんですけど。
それは、僕がオリンピック嫌いだからでしょうね(笑)。これはチームメンバーとのブレストの中から出てきたアイデアなんですけど、それを聞いた瞬間にこれは面白いと思って、心のどこかではやはり破壊したいという気持ちが抑えきれずにあるのでしょう。あと、僕はフィクションの評論家なので、「ポリティカル・フィクション(政治的な想像力)」がどう成立するのか考えてみたいと思ったんですね。人間というのは文化的な装置(アニメや小説などのフィクション)がないと、政治的な想像力を手に入れることができないんですよ。もちろん、村の自治会とか一族の中での人間関係は調整できるかもしれないですけど、見ず知らずの人間と一緒にシステムを営んでいく近代国家のようなレベルでは、何か象徴的なものとか、文化的なものが作用しないとできないんです。政治の問題は常に文化とセットなんですよね。「個人」と「社会」をつなぐ回路という、それが僕は「文化」だと思うんですけど、そこがうまく機能しない今の日本の中で、あくまで文化や創造力の問題としてオリンピックを扱ってみたかった。今、想像できるセキュリティー・ホールを5年後までに潰せないんだったら、日本は国家として麻痺している、どっちみち滅びるでしょう。
_今後、トークセッションのテーマとして取り上げていきたいものは何ですか?
「流通」がやりたいんですね。今、コンビニはすごいじゃないですか、ファストフードを叩き潰そうとしている。これは笑い話ではなくて、たぶん日本人のライフスタイルの問題だと思うんですよね。70、80年代、ファストフードは消費社会の象徴だった。90年代、ゼロ年代に隆盛を誇ったメガモールも陰りが見えてきて、たぶん今はコンビニの一人勝ちみたいになってきている。本当にインフラ化していて、おじいちゃん、おばあちゃんがスーパー代わりに使うだけじゃなくて、郵便局や公民館の代わりにすらなろうとしている。コンビニのコーヒーとか、やばいじゃないですか。あれで虚しくなる喫茶店とかチェーンとかがいっぱいあると思う。だから、小売りや流通について切り込んでみたいなと思っています。例えば、流通コンサルタントの坂口孝則さんとか、ローソンチケットをつくった野林徳行さんとかを呼んで。王者セブンイレブンの偉い人などが来てくれるといいですね。
_コンビニ以外ではいかがですか。
あとは「車」ですかね。僕はミニカーがすごく好きでいっぱい持っていますが、運転免許を持っていないし、移動手段としての車に全く価値を感じてない。東京に住んでいるというのが、一番大きな理由なんだけど、あと文化的な車を運転することに対して、「これで立派な大人の男になった」みたいなマッチョな憧れがゼロなんですよ。ある自動車メーカーの社長が「立派な車を買ったら女の子にもてる」とか言っているのだけど、時代錯誤も甚だしいと思う。これって車をつくっている側が、車と文化という問題に関してアップデートできていない証拠ですよね。その一方で、モータリゼーションというのはもう定着していて、地方ではコンパクトシティにするよりも、実は車社会を再設計するほうが現実的だと考えている人間も多いわけです。さっき話題に出た日本交通の川鍋一朗さんが、その代表選手ですよね。もし、自動運転が早いスピードで実現するんだったら、コンパクトシティをつくるよりも、一人に1台軽自動車を渡したほうが早いと国も考えるでしょう。なので、「車文化と車社会の未来」というのもテーマの一つになりますね。
_前半で「インターネット以降、地理と文化の結び付きはなくなった」という話がありましたが、渋谷のストリート文化は完全に失われたとお考えですか?
僕が東京にやって来たのは2006年で、90年代に神話化されていたストリートなんていうものは、既に存在しませんでしたね。そんなものはインターネットにすべて取って代わられてしまったので。かつて、90年代に「裏原」のストリート文化がありましたが、現在のそういう若者たちはストリートではなく、自宅でBASE(ネットショップの作成、運営サービス)とかでショップを持つだろうし。僕だったら、自宅の一部をリノベーションして、そこを工房にします。つまり、家賃の安い渋谷周辺部にオフィスを構えるかといえば、むしろそのお金があったら、もうちょっとコンテンツや商品にお金を注いで、それをBASEとアマゾンで売ることを考えるだろうなと思うわけですね。だって、インターネットとGPSというのは、一言でいうと建物をピンポイントに指定してそこに連れていく技術じゃないですか、ストリートはもう関係ないですよ。食べログで3.5の店がタクシーで10分のところにあるとすれば、「さあ乗ろう!」とタクシーでパッと行って、そこで食べて帰ってくる。この体験の中にそのお店が並ぶストリートの文化はほとんど作用しないし、そこに存在したコミュニティの文化なんてもっと関係ない。でも、そのことによって、今まではその店に絶対行かなかった人間がいっぱい行くわけで、それはそれでいいと思う。そこから、いろいろな文化が生まれると思うんですよね。
_渋谷のストリート性が失われる中で、今後、渋谷はどんなポジションで生き残るべきでしょうか?
放っておけば、渋谷、新宿、池袋という戦後の消費社会を支えたターミナル駅は衰退していくでしょう。今までずっと渋谷は新しい日本の象徴だった。大丸有(大手町・丸の内・有楽町)が古い昭和の日本の象徴であったの対し、都心からみて戦後の新しいベッドタウンへの出入り口だった渋谷は平成の日本の象徴だったわけです。でも、オリンピックに向けて、もう一回、南東の大丸有や、あるいは湾岸に重心が戻っていきます。こうした中で渋谷は、これまでとは違う意味で、古い日本と新しい日本との結節点になっていくべきだと思います。
_具体的にいうとどのような意味ですか?
90年代から、(幻となった世界都市博覧会など)湾岸と大丸有に重心を戻そうとする都市計画がずっとあるじゃないですか。それが遂にオリンピックにかこつけて、20年遅れで実現されようとしている。その時に渋谷の役目は確実に変わっていくと思う。東京の西側が中心だったここ2、30年の「古い日本」の遺産を守るまちとして渋谷は機能していくし、むしろ、渋谷から恵比寿、目黒、五反田と移動していく中で、渋谷と銀座の間に新しい日本が生まれていくと思うんです。もっと言うと、渋谷と秋葉原の間と言ったほうがいいかもしれない。その中で、渋谷は今までと違った意味で古い日本と新しい日本の蝶つがいになっていくんじゃないかと。戦後の消費社会が育んだカルチャーをどうアップデートし、どう新しい日本に生かしていくのか。渋谷は、その機能を僕は担うべきだなと思っているんです。新しい世界には、文化というものがまだ全然育ってないわけですよ。それは湾岸を見たら明らかじゃないですか。スカスカの、人工的で味気のないショッピングモールと、今時恥ずかしいバブル時代のポストモダン建築と、あと原野。この三つの組み合わせでできている湾岸が象徴するポスト平成の新しい日本には、まだ何も文化がないんです。そこを渋谷が結節点になって、西から東に平成の日本の消費社会の文化というものを洗練して流し込んでいくべきだと思うんです。
_仕事がすごく忙しいと思いますが、何か気分転換となる趣味などはお持ちですか?
ウォーキングが趣味です。時間が取れる日は一日に7キロぐらい歩くようにしています。といっても、仕事が忙しいので、仕事の移動の行き帰りのうちどっちかを徒歩にするということが多いです。例えば、毎週月曜日にJ-WAVEでラジオ番組を持っているんですけど、基本的に歩いて行っています。家のある高田馬場から六本木のJ-WAVEまで、ちょうど7.5キロぐらい。1時間4、50分。帰りはさすがに、深夜番組なので疲れ果ててタクシーに揺られて帰らないと、人間性が損なわれてしまうので無理ですね。休みの日とかは10キロ以上歩くこともあります。湾岸まで歩いてダイバーシティのガンダムまで行くとか、そういうことをやっていますね。
_歩いている間に何かを見たりとか、寄り道したりはしますか?
もちろんしますよ。僕は歩くようになって、ようやく東京のまちが少し面白いと思うようになってきたんです。歴史のあるまちなので文脈も豊かだし、いろんな発見も。流動性も高くて気がついたら、こんなところにこんな店ができていたとか、こんなところにこんなものがあったという発見もある。それを僕に教えてくれたのは「Ingress(イングレス)」ですね。イングレスにハマって超歩き回って、この辺に入るとこんなのがありそうだとか、寄り道の仕方が分かるようになったんです。散歩のノウハウが分かったので、今はイングレスなしで歩いていますけど…。
Ingress(イングレス)…米グーグル社が開発したスマートフォンのGPSを利用した位置情報ゲームアプリ。青(レジスタンス)と緑(エンライテンド)の2陣営に分かれ、リアル(名所旧跡や建物など)とバーチャルが融合した地図上のフィールドで陣地を取り合う。全世界で1000万回以上ダウンロード、国内ユーザー数は世界2位。
_さらに今後、何かやってみたい仕事はありますか?
僕がやりたいことは一貫していて、自分の代表作をここ1、2年で書きたいなというのが一つです。それから、これは言わずもがなですが、もう一つのメディアをやりたいと思っています。現在、日刊でメールマガジンを出していたりとか、インターネット放送をやっていたりとか、もちろん『PLANETS』という本も出していて、手広くメディアをやっているほうだと思うんですけど、こうしたものを統合して、ヒカリエに集まるような、新しいホワイトカラーに向けたスタンダードな定期媒体をやりたいんですよ。政治から文化の話まで、総合的な媒体を手掛けてみたいという気持ちが強くあります。誰か、僕にお金を出してくれる人がいたら、明日にも実現しますけど(笑)。というか、うちは僕の個人事務所なので、組織力が未熟で資金力もマンパワーも少ないので、まずは組織に力をつけることが大事かなと思っています。
Hikarie+PLANETS 渋谷セカンドステージvol.7
プラットフォーム運営の最前線−日本的インターネットのゆくえ
iPhone、Google、Facebookなど、社会から私たちの生活のすべてを形づくるのはIT企業である。今回のトークセッションでは、プラットフォームやwebサービス運営の最前線で活躍するトップランナーを招き、「日本のインターネットのゆくえとは?」「IT企業は世界の何を変えるのか?」「私たちの生活はこれからどうなるのか?」など、激変する世界と未来のビジョンを本気で語り合う。