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Shibuya of future talks about the KEY PERSON key person

Long interview of [key personnel] to be active mainly in the Shibuya. Place a "Shibuya of appeal" through their words.

Interview icon

Kenzo Horikoshi
(Euro Space / Euro live representative)

Shibuya of the city to be transformed in the redevelopment,
We continue to place a counter-culture from Maruyama-cho.

profile

1945, Tokyo Suginami born. After graduating from college, entrepreneurship the travel agency "Europe-Japan Society" during their stay in Germany, Mainz. For the first time held the "German New Film Festival" in January 1977, to introduce Wenders and Fassbinder, et al. New German Cinema in Japan. 1982, opened a mini theater "euro space" in Shibuya Sakuragaoka-cho, a pioneering presence of the mini-theater boom. It moved in January 2006 to Maruyama-cho · KINOHAUS Bill (original · Q-AX building), reopened. Along with the film distribution, the box office at the center of the European Film are also working actively to filmmaking. Representative director of the Film School. November 2014, just opened a live hall "Euro Live".

円山町がオフ・ブロードウェイになれば、面白いエリアになる。

_映画産業が衰退して若者の興味が薄れている中で、今度は「ユーロライブ」をオープンされました。きっかけは何ですか?

渋谷の再開発計画が「ユーロライブ」を始めようと思った動機の一つです。渋谷の歴史と文化の灯が消えないようにしないといけないから。かつての西武のような企業は、もう二度と出てこないと思う。あれだけメジャーな企業が、カウンターカルチャーにあれだけ積極的に関与していくというのは、少なくとも株式を公開している会社じゃできない。あれは堤さんのパーソナリティーだから。やっぱり再開発をすると、どうしてもオーソドックスになってしまう。でも、一方でオーソドックスなものがないと、アンチも生まれないわけだから、その組み合わせが必要なわけでしょう。文化村やヒカリエの近くにオフ・ブロードウェイがあれば理想なわけで。そういう意味ではメジャーが東急、その一方、マイナーとして頑張るのが我々です。円山町は昔から独特の歴史をもち、路地文化が息づくエリア。かつては宮益坂にもありましたが、今は青山に吸収されているでしょう。キャットストリートだってもともと渋谷と言っていたのに、いつの間にか原宿ってことになっちゃったし。東だって恵比寿でしょ。どんどん渋谷が狭くなっているんですよ。いまだに渋谷を濃厚に維持しているのは円山町と桜丘町、あとはお屋敷街の松濤、南平台くらいでしょう。それしか選択肢がないですよ。

_円山町からカウンターカルチャーを発信していくと?

移転当初は、経営面では厳しいとは思ったけどね。でも、ここには百軒店も含めてストーリーがいっぱいあるから、ここをオフ・ブロードウェイにすれば日本で一番面白い地域になるんじゃいかと思っています。我々のようなマイナーな劇場を踏み台にして、いつかオーチャード、シアターコクーンを目指せばいい。ここにそういう人たちがたむろしてくれれば、百軒店も少しは栄えるだろうしね。最近、円山町には若い人たちがバーを始めたりしているけど、ああいうのがどんどん広がっていけば、ここに渋谷っぽさが残っていくと思う。再開発のときには「渋谷らしさは何か?」ということが必ず問われてくるから、そういうときこそ戦わないと。平時に何を言っても駄目でね、やっぱり戦時に言わないとね。

もう映画は十分やったから、ユーロライブで好き勝手やりたい。

_ユーロライブは、どんな劇場にしようと考えているのですか?

もともと僕らは、「ジァンジァン」のような多目的スペースへの憧れがあったんです。ユーロスペースをオープンした当時も、現代音楽のカリスマ、ピアニストの高橋悠治さん、アキさんが80席の劇場でエリック・サティの全曲演奏をやってくれたり、ギリシャのヤニス・クセナキスさんを呼んできたりなど、身の丈に合わないことを散々やってきたわけで。僕は来年70歳になりますが、もう映画は十分やったから、そろそろ好き勝手やりたいなと思っています。

_映画の世界からだんだん身を引いていこうと?

いつまでも映画の世界でうろうろするのは良くないでしょう。だって70歳の人間が新しい才能を見つけたって、それはまずいですよ。やっぱり30代、40代の人間が見つけるべきものだと思う。教え子に藝大の卒業生がいるけど、我々がビジネススキームを作ってプロデュースすることも出来るけど、それじゃ面白いものは出来ない。本来は同じぐらいの年とか、せいぜい10歳ぐらい上の人が才能を見込んで、その情熱で実現させるべきもの。我々がそれを作っちゃうと、ものが違ってくる。だから『サウダーヂ』が最近騒がれたけど、あの手の作品を僕らがやったら普通の映画になってしまう。映画というのは普通の商品と違って、中身を見せずに売るものだからね。本だって立ち読みできるでしょう。でも映画って、1,800円を事前に払わせる商売。今回当たっても次はゼロから出発だから、一切蓄積が出来ないビジネスなんです。今日はルイ・ヴィトンを売っているけど、明日からユニクロを売らなきゃいけないという、そういう話なんですよ。

_でも、お客様との間に「ユーロなら間違いがない」という信頼感は出来上がっているのでは?

それはちょっとしたマーケティングですが、ただ、それしか頼りになるものがない。要するにブランディングというのは、痩せ我慢だから。お客さんがいかにも入りそうな映画ばかりをやったら、ブランディングにはならないんですよ。ひたすら痩せ我慢をして、そのイメージをつくっていく。とはいえ、イメージが出来たら客が入るかといえば、そう簡単じゃない。中身の分からないものを売るというのは、とても荒っぽい賭け事なんです。競馬がおとなしい競技に見えるぐらい、映画のビジネスはそれを何千万単位でやっているわけだから。

_そういった意味では、映画館よりライブハウスのほうがリスクは少ない?

映画の場合、マイナーとは言っても最低1万人が来なきゃ話にならないのですが、でもライブだったら劇場の人数を埋めればいい。秋葉原のAKBがすごく見えるかもしれないけど、1年の動員数でいえば、おそらくうちの5分の1ぐらいでしょう。ライブハウスのほうが計算しやすい。

キャパシティ180席の「ユーロライブ」。

最後は先祖返り、子どもの頃に好きだった憧れの世界へ。

_ユーロライブの参加キュレーター陣を見ると、いとうせいこうさん、町山智浩さんとか、あとサンキュー・タツオさんとか、サブカルの臭いがプンプンする豪華なメンバーが集まりましたね。

そうですね、年齢がなせる技かな。結局、僕がユーロスペースを始めたのは、30歳半ばぐらい。今まで32年間続けてきて、そういう協力者が周りに自然に集まってくれたというわけですよ。僕は2、3年でここから姿を消そうと思っていまして、すでに山梨で田舎暮らしを始めています。だから、そういう人たちが継承していける形を、今作っているところ。多彩なメンバーでプログラムを組んでいく「キュレーターシステム」というのは、きれいな表現だけど、早い話が「あとよろしくね」ということ。

_具体的には何をしていくのですか?

もう時代をどうこうする年齢じゃないから、最終的に自分の好きな落語とかコントをやりたいと思っています。落語は毎月第2金曜日から5日間連続で公演をしていく。サンキュー・タツオさんがキュレーションをしているのですが、5日間で見せ方を変えています。例えば寄席へ行ったら、一人15分ぐらいなんですよ。それは教育の場だから。でも、ユーロライブでは必ず30分間、「渋谷らくご」として話を最初から最後までちゃんとやる。あとは一人の落語家が一席まるごと語る「ひとりらくご」や、落語前の「まくら」だけを演じる「まくら王」、新作ネタだけをやるとか、いろいろな見せ方を試みていきたいと思っています。

_コントのほうは、どうですか?

いとうせいこうさんや倉本美津留さん、大林素子さんがキュレーターになって、毎月、「渋谷コントセンター(CCC)」として色々なコントをやっていくんだけど。今コントは、テレビで大体3分しかやらせてもらえない。だから、ここでは一人30分の時間を与えて、芸人たちを呻吟(しんぎん)させようと思っています。そもそも、コントはフランス語で ”conte“、要するに寸劇や演劇を意味する言葉なんです。かつては座付きのコント作家がいたでしょう。たとえば、昔の「てんぷくトリオ」のネタは井上ひさしさんが書いたりとか…。映画も一緒なんだけど、監督がシナリオを書いちゃうじゃないですか。そうすると、やっぱり興味の範囲が狭いんですよ。良い悪いじゃなくてね。作家性は出しやすいけど、毎回テーマは何も変わらないということになっちゃう。だから「渋谷コントセンター」ではコント作家を再評価して、作家の登竜門のようなものになっていけばいいなと思っています。

_本当は映画より、落語やコントが好きだったのですね?

よく「好きな映画は何ですか?」とか、「影響を受けた作品は?」と聞かれるんだけど、正直なところ、小さいころは新派や落語の方が好きだったんですよ。小学校のころは、東横落語会のあった「東横ホール」(かつて東急東横店西館にあった劇場)に通い詰めていました。東横落語会は「ホール落語」のはしりで、とても人気があって。それから新宿の末廣にも通っていたんだけど、あそこは、木戸番のおっさんがタダで入れてくれたり…。落語というのは江戸の世界で、談志じゃないけど、そういう粋といなせの世界に憧れていたんです。その当時、文化放送に『素人寄席』って番組があって、とても出演したかったのだけど。CDもビデオもない時代だから寄席で覚えるしかなくて、一生懸命に覚えて予選に行くんだけど、やっぱりちゃんと教わっていないから、予選落ちしたりとか(笑)。要するに子どものころに夢見ていた世界で、最後は先祖返りみたいなもんだね。

EURO LIVE(ユーロライブ)

老舗ミニシアター「ユーロスペース」が渋谷・円山町にサブカルチャー震源地となるライブホール 「EURO LIVE(ユーロライブ)」をオープン。総合プロデューサーは堀越謙三さん、キュレーターにとうせいこうさん、倉本美津留さん サンキュー・タツオさんなど多彩なメンバーが参加し、定期的な落語会(シブラク)とコントライブ(渋谷コントセンター)のほか、音楽や一人芝居など自由なジャンルの公演やイベントを企画して新たなカルチャーの火種を起こしていく。

住所:
渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2階
座席:
180席
公式:
http://www.eurospace.co.jp/

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