1966年三重県生まれ。高校・大学時代は音楽浸けの日々を過ごす。1990年、タワーレコードに入社し、渋谷店に配属。その後、札幌プリウィ店、心斎橋店、梅田大阪マルビル店など大型店舗の店長を経て、2003年に渋谷店の店長兼スーパーバイザーに就任。2005年、タワー・リテール・オペレーション・カンパニーのヴァイスプレジデントに着任し、2008年から再び渋谷店店長兼統括部長を務める。
--栢森さんと渋谷との出合いは?
わたしは三重県津市の出身で、学生時代はバンドをやっていて音楽浸けの毎日を過ごしていました。はじめて渋谷に来たのは16歳の時、1982年だったと思います。もちろん、目的はレコード屋めぐり。憧れのタワレコ渋谷店にも初めて足を踏み入れました。タワレコに入社したのは、1990年。今でこそタワレコはメジャーといえるようになりましたが、当時はまだまだアンダーグラウンドな存在。趣味人しか来店しないような店でした。その数年後、「シブヤ系」の登場とともに、「音楽の街」としての渋谷が急にプロモーションされるようになり、ヴァージン・メガストアーズさんやHMVさんなどと一緒にタワレコも知名度を増したというイメージを持っています。
--「シブヤ系」が盛り上がっていた当時の渋谷は、どのような状況でしたか。
その頃は、渋谷からたくさんの情報が発信されていました。ただ私にとって音楽を聴くことは生活の一部でしたから、「この音楽を聴くのがおしゃれ」と過剰に取り上げられるのは、ちょっとだけ違和感もありましたね。それでも、いま振り返ると、渋谷の音楽にとって最も活気のある時代だったと言って間違いはありません。その頃宇田川町にたくさんあったレコードショップがなくなったり、HMVさんが閉店されたことは、正直、寂しい限りです。ただ、渋谷店のPOSデータを見ていると、近年、40代以上の来店シェアがグングンと伸びています。これは、若い頃に「シブヤ系」を聴いていた世代です。そういう人々が購買力を持った40代以上になって、渋谷に戻ってきてくださっているとしたらとても有難いですし心強いことです。
--栢森さんが考える渋谷の魅力とは?
百貨店、個人商店、ライブハウス、映画館など、とにかく多様なものがひしめいているのが最大の魅力と感じています。新宿、池袋、さらに銀座が顕著ですが、街を歩く人の多くがいくつものショッピングバッグを持っていて、いかにも「買い物しました!」という感じですよね。渋谷では、ショッピングバッグを持って歩いている人が少ないというのが、私の持っているイメージ。おそらくですが、目的がなく、ぶらぶらと歩くことが楽しい街だからでしょう。気が向いたら、買い物をしたり、CDを見たり、映画を観たり、好きなように過ごせますよね。私自身は、歳をとるにつれて、青山や神泉など渋谷の外縁部が好きになってきましたが、そのようにエリアによって性格が異なり、どの世代でも楽しめる要素がある街だと思います。
--これからの渋谷に求めることは?
若者だけの街であってほしくはありませんが、若者をひきつける街である必要はあると思います。特に、ベンチャーやインディペンデントを志す若者を受け入れる環境が損なわれないでほしいですね。そういう有望な若者が他の街に流れてしまうのは、渋谷にとって大きな損失でしょう。そしてこれからも音楽や映画をはじめとしたカルチャーの発信地であり続けてほしいです。そのためにも今回のリニューアルは必ず成功させて、渋谷の街に新たな勢いをもたらしたいと考えています。