■インタビュー・能楽師の叫びにprimitive(原始的な)なものを感じて心が震えた
・能の「間」はいろいろなアイデアを与えてくれる
・ダンスは自分の体の中に分け入っていく旅
・国や街によって漂うリズムが違い、体の感覚が変化する
■プロフィール1973年生まれ、イタリア・ヴィチェンツァ市出身。8歳から地元でバレエを習い、モンテカルロ市グレース王妃ダンスクラシック・アカデミーやスイス・ローザンヌのルードラ・ベジャール学校、さらにモンテカルロ市アカデミー音楽学校ラニエールⅢなどで学ぶ。その後、ベジャール・バレエ・ローザンヌ、リヨンオペラ座バレエ団などでダンサーおよび振付家として活躍。2001年には、「11322プロジェクト」で金森譲や井関佐和子らとともに篠山紀信スタジオにて作品を発表した。2003年9月より、東京を拠点にフリーランスアーティストとして活動を開始。渋谷区在住。
セルリアンタワー能楽堂では、日本の古典芸能を代表する能と狂言の公演が行われています。この能楽堂での能と狂言の公演を、イタリア出身で現在は東京を拠点として活動するダンサー・振付家のアレッシオ・シルヴェストリンさんが観覧しました。アレッシオさんは、クラシックダンスをバックボーンとしたコンテンポラリーダンスの分野で活躍しており、2009年2月28日、3月1日にはセルリアンタワー能楽堂において、能とクラシックダンスをミックスした公演『トリプル・ビル』」の振付・出演を予定しています。そのアレッシオさんの目に、能や狂言は、どのように映ったのでしょうか。
--能と狂言の感想を聞かせてください。
事前にあらすじを読んでいたので、大体のストーリーは分かりました。密漁していた阿漕という猟師が海に沈められたという能「阿漕」のストーリーは、アダムとイブがリンゴを食べてしまう旧約聖書の中の話に重なりました。すべての日本語を理解できたわけではありませんが、古典ですから日本人にも聞き取れない個所があるそうですね。ただ、オペラの観劇でも、言葉を聞き取るよりも、音楽やストーリーの関係性に重点を置きますから、その辺りにはあまり問題を感じていません。実際、自分が音楽制作に携わっていることもあり、笛や太鼓、さらに掛け合いの叫びなどに非常に興味をひかれました。とくに、能楽師の叫びには、非常にprimitive(原始的な)なものを感じて心が震えるようでした。
--能や狂言といった日本の古典芸能については、どのような印象を持っていますか。
言葉に直そうとすると、どうしても、心の中で感じていることとのズレが生じてしまいますから難しい質問ですね。ただ、能や狂言が現代に伝わる最も貴重な古典芸能の一つであることは間違いないと思います。幾世紀も前の生活様式がそのまま受け継がれている点では、日本の歴史の一部といえるのではないでしょうか。世界的な遺産としてさまざまな国籍の人々が興味を持つと思いますし、日本をより理解する良い機会にもなると思います。
--クラシックバレエの演出に能の要素を取り入れたことがあると聞きましたが。
ブラジルのバレエ・カンパニーの振り付けをした際、ソフトな流れの中に、能の「間」を意識した緊張感のある時間を織り交ぜました。能は、あらゆる演劇の中でも、時間の使い方が特徴的だと思います。時間を足すのではなく、引くことに価値を置いていると言いますか。きわめて抽象的ですから、なかなか言葉では表現できませんが、能の「間」はいろいろなアイデアを与えてくれますし、ときには想像していなかった効果をもたらしてくれることもあります。
--初めて能を見たときのことを覚えていますか。
来日前から能には強い興味を持っており、実際に観ることができたのは、7年前の東京旅行の際でした。そのとき、まるで大昔から伝わる偉大なモニュメントを前にしたような強い感動を受けた記憶が、今も鮮やかに蘇ります。私だけに限らず、ヨーロッパ人が本物の能楽堂で能を観る機会があれば、きっと強烈かつ純粋な衝撃を受けるだろうと確信しています。
--能を観たことのない日本人が多いことには、どのように感じますか。
たしかに、能を観たことがない、あるいは外国人のような気持ちで1度きりしか観ていないという日本人に会うことがあります。しかし、一定の観客がいるからこそ、現代でも能は演じられつづけているのは事実ですから、すべての日本人が能楽堂に足を運ぶかどうかは、あまり大きな問題ではないのでは。実際、私が能楽堂を訪れたときは、いつでも満席ですし。ただ、能に興味を持つ若者が少ないのはたしかなようですね。
■アレッシオさんが観覧した公演
「セルリアンタワー能楽堂 定期能10月公演―観世流―」(2008年10月18日)
狂言「呂蓮(ろれん)」 宿主が旅僧に心服して頭を剃って出家し、「呂蓮」という法名まで決める。ところが、帰宅した妻が相談なしに出家したことに激怒。問い詰められた宿主が旅僧にそそのかされたと言い訳すると、怒りの矛先を向けられた旅僧は妻から追いかけられる羽目に――。
能「阿漕(あこぎ)」 伊勢神宮へと向かう旅僧は、阿漕が浦で一人の老人に出会う。話を聞くと、阿漕が浦は伊勢神宮に供える魚を獲るための猟場で禁猟区だったが、たびたび密漁をした阿漕という名の猟師が捕まり、見せしめとして沈められたのだという。この伝説から、悪事を重ねることが「阿漕」と言われるようになったといわれる。