BUNKA X PERSON

■インタビュー・若き画家たちが試行錯誤する姿をありありと思い描くことができた
・ロシア・アヴァンギャルドはアートとグラフィックデザインの境界
・「ビジュアル誌イコール大判」という常識に反し小サイズのビジュアルブックを刊行
・カルチャーへの素養が弱まる若者が書籍に向かいたくなる企画を考えている

■プロフィール伊藤 高(いとう・こう)
プチグラパブリッシング代表。1969年福岡県生まれ。94年大阪芸術大学卒業。『マックプレス』編集者を経て、96年『プチグラ』を創刊。97年独立してプチグラパブリッシングを設立。書籍出版を中心に映画配給や宣伝、雑貨制作などを幅広く手がける。

「ビジュアル誌イコール大判」という常識に反し小サイズのビジュアルブックを刊行

--伊藤さんがプチグラパブリッシングを設立するまでの経緯は?

大学時代、テクノロジーとアートの融合に興味があり、ビデオアートを専攻していました。先ほど、高校時代から未来派が好きだったと話しましたが、未来派にはテクノロジーの中に、どのように美を見出すかを追求する側面があるのです。そのような興味のもと、大学卒業後、カルチャー的なコンピュータ情報誌をつくりたいと思い、アップルコンピュータのユーザ向けのタブロイド誌である『マックプレス』の編集者になりました。1995年頃にはインターネットの登場により、DTP、DTVの先、メディアテクノロジーがどのように進化するのかが、ある程度見えてきて、産業としてどのように発展するかという段階に入りました。それで一旦、興味が薄らぎ、デジタルを利用しつつアナログなコンテンツを楽しむ、カルチャー誌の創刊を思い立ったのです。当時は世界的にミニコミ誌が流行っており、参考になったのはニューヨークで見かけたポストカードサイズの『go magazine』。バブルの頃は「ビジュアル誌イコール大判」というイメージがありましたが、まず制作費がなかったですし、広告が豊富に入ってくるわけでもない。それなら、逆に小さいサイズでも良いという価値観をつくらなければ勝負できないと考え、「プチ(小さい)」と、「グラムール(魅力的)」という言葉を合わせて、1996年、ファッションや音楽、映画などを紹介する『プチグラ』を創刊しました。創刊号は380円でA6サイズでしたが、書店の方のアドバイスを受け、次号以降は1,500円で少し大きいB6サイズに変えました。最初は会社勤めの空いた時間に制作していましたが、翌97年に独立し、プチグラパブリッシングを設立。しばらくは神戸や大阪で活動していましたが、取次ぎ会社に直接口座を開くにあたって、東京での拠点が必要になったため、2000年に上京しました。

--プチグラ、イコール「チェブラーシカ」というイメージが強いのですが、そもそも「チェブラーシカ」との出会いは…

大阪で活動していた頃、吉本興業のうめだ花月という寄席で、夜間に映画を上映する企画を手伝っていました。その中でロシアアニメ映画祭をした際、このチェブラーシカのパペットアニメだけは尻上がりに観客が増えていったのです。「これはすごい」というのがきっかけで、当時吉本興業にいたプロデューサーの女性が独立してもチェブをやるというので、クロックワークスさんらと共に、共同事業としてプロジェクトを立ち上げました。以来、チェブラーシカに関する書籍の出版やグッズの販売などを手がけています。ロシアの国民的アニメであるチェブラーシカは、40歳代以下の人なら、誰もが子どもの頃に見ているという、ロシア人にとってのドラえもんといった位置付け。今回の上映は僕は直接かかわってはいませんが、7月19日より、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供作品として、渋谷では渋谷シネマ・アンジェリカで上映()されますね。

カルチャーへの素養が弱まる若者が書籍に向かいたくなる企画を考えている

--チェコアニメの「クルテク」など東欧圏のアニメの紹介にも力を入れていますね。

ロシア、またチェコなどの旧社会主義国では、質の高いアニメが生み出されてきた経緯があります。これは社会主義国であったことが明確に関係しています。典型的なのが、時間や労力を非常に要するパペットアニメーション。生産性や効率性を無視し、コツコツと制作していかなければ、芸術性の高い作品は生まれませんが、それは資本主義下ではなかなか難しいことです。実際、ロシアアニメーションの黄金期は1950年代から70年代で、ペレストロイカ以降は優れたアニメ作品は非常に少なくなりました。

--そのほか、現在、力を入れている事業について話していただけますか。

『眠れる美女』出版元 プチグラパブリッシング
詳細はコチラまで

これまでにシリーズで15冊を出版しているのが、『あたらしい教科書』。若者の文化的なものに対する素養が明らかに弱まっている現状を痛感する中で、何かできないかと考えてスタートした企画で、「ことば」「広告」「音楽」「コンピュータ」など、一つのテーマについて一冊を通してわかりやすく説明しています。以前、イラストレーターを目指す方々への講義を行った時に、「『新書』を表すアイコンを描いてください」という課題を出したら、あまり本を読まないとはっきり言う方がかなり多く、さらには「新書って何?」という生徒が複数いたのには本当に驚きました。本を読まない若者が、これから何かを学ぶ上での土台を身につけられるようにするきっかけになりたい、というのがこのシリーズの狙いです。また文芸にも力を入れていまして、今年6月、川端康成の『眠れる美女』に、新津保建秀さんが撮った多部未華子さんの写真とコラボレートした書籍を発行しました。これも、若者に名作が読まれなくなっていることを踏まえての企画です。若者たちの間に、どのように出版という“古い”メディアの存在を根付かせていくか。これからも試行錯誤を続けるつもりです。

渋谷に対するイメージは?昔から「東京イコール渋谷が発信するカルチャー」というイメージがあり、とても憧れていたから、今、自分が渋谷エリアでカルチャーを発信する側に回っているのは感慨深いですね。関西で活動していた頃から、月一回ほどは撮影や打ち合わせのために渋谷周辺に来ていました。ある時、撮影で碑文谷公園を訪れたら、池のそばで子どもがポニーに乗っていて、「東京のど真ん中で、こんなことが!」と驚くと共に気に入って、上京以来、今に至るまで碑文谷に住んでいます。目黒ですけどね。ちなみに、今でも子どもさんならポニーに乗れますよ(笑)。今、事務所は千駄ヶ谷にあるのですが、以前は代官山にいたんですよ。どちらにも共通するのですが、東京は意外にも緑が多いということ。そこに気が付いて、東京暮らしが楽しくなりました。それと、渋谷や碑文谷と共通するのは、いづれも地形的には「谷」だということ。起伏があるとストーリーが生まれやすい。アップダウンのある街を歩くと、いろんなものに出合い、たくさんの新しい情報が入ってくるから、「谷」が好きなんですね。僕にとっての渋谷は、そんなイメージでしょうか。

今後の渋谷に望むことは?街並みや文化をはじめ、古いものが次々に消えていくように見えるのを残念に感じるときがあります。もちろん都市にはスクラップ&ビルドが大切なのはわかりますが、新しさの中に古さが共存できる街になるといい。そんな渋谷に少しでも近づけるために、出版という文化が大切な存在として受け止めてもらえるような本を出し続けていくことが、自分の使命だと思っています。

プチグラパブリッシング

1997年設立。デザインや写真、映画などカルチャー関連の書籍を中心に、絵本や実用書まで多彩なジャンルの書籍を発行する出版社。映画配給や雑貨制作なども手がける。
住所:渋谷区千駄ヶ谷5-2-18
TEL:03-5366-2401
http://www.petit.org/

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