BUNKA X PERSON

映画『チョムスキーとメディア』×森摂さん(雑誌『オルタナ』編集長・ジャーナリスト)

今年3月に創刊するビジネス情報誌「オルタナ」編集長・森摂さんのオフィスは、渋谷・神宮前・表参道エリアのまん中にある築45年という古い洋館の3階にあります。社員が4人と小さな編集部ですが、世界各地で活躍する仲間のジャーナリストたちの協力を得て、環境や社会貢献に特化した世界発・日本発の情報を発信しています。今回取り上げる映画は、2月17日よりユーロスペースで上映される長編ドキュメンタリー『チョムスキーとメディア』。公平中立を信じてメディアと接する私たちへの警鐘とも言えるこの作品について、大手マスメディアで活躍した経験もある森さんにお話を伺いました。
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「都合のいい神話」には「不都合な真実」が隠れている

--チョムスキーの名前は昔からご存知でしたか?

僕がチョムスキーの名前を初めて知ったのは大学生の時でした。生成文法理論などを授業で学び、言語学者としての側面は知っていましたが、その後どんな経緯で政治の世界とかかわりを持ったのか、この映画で良く分かりました。この作品はノーム・チョムスキーという人間を忠実に追いかけたドキュメンタリーとして非常に興味深い作品です。1992年に製作され、世界中の映画賞を受賞し、喝采を浴びた傑作が、15年後の今、彼が9.11同時多発テロの責任を問うブッシュ政権の末期に日本で劇場公開されるというのも、不思議な巡り合わせです。

--映画の中で印象に残った言葉は?

映画の終盤、チョムスキーが講演の中で強調した「コンビニエント・ミス(都合のいい神話)」ですね。いま話題のアル・ゴア元米副大統領が出演する映画『インコンビニエント・トゥルース(不都合な真実)』と、まさに表裏一体のキーワード。つまり「都合のいい神話」の裏には「不都合な真実」が隠れているということです。そしてもう一つ、マスメディアは、『チョムスキーとメディア』の原題でもある「マニュファクチャリング・コンセント(合意の捏造)」のために事実を正しく報道しにくくなるという、映画全体のテーマについて、マスメディアで働いた自分の経験と照らし合わせながらじっくりと考えました。

映画「チョムスキーとメディア」より

映画「チョムスキーとメディア」より

ノーム・チョムスキーとは?

1928年アメリカ生まれ。言語学者、思想家、活動家、マサチューセッツ工科大学教授。1957年に「文法の構造」のなかで生成文法の理論を提唱し、それまでの文字の記述や表層的な観察による研究手法である構造主義から、人間の能力や思考のメカニズムに着目し、言語学だけでなく、認知科学や心理学、情報処理の分野にまで多大な影響を与えた。その一方でベトナム戦争を境に政治活動にも関わるようになり、人間の知性と政治思想の関連についての発言も多く、「現存する最も重要な知識人」「アメリカの良心」と呼ばれる。2001年の同時多発テロ以降、その発言がさらに注目されるようになり「9.11──アメリカに報復する資格はない!」(文芸春秋)なども邦訳され、アメリカの外交政策やグローバル資本主義を批判する発言で知られている。イギリスのロックバンド・U2のボーカル、ボノが「飽くなき反抗者」と呼ぶ。今年2月には「マニュファクチャリング・コンセント--マスメディアの政治経済学」(トランスビュー)が発売する予定。

捏造よりも恐ろしい無知と無関心

--やはり日本でも「合意の捏造」は行われていると思いますか?

ニューヨーク・タイムズ紙の編集主幹がインタビューの中で「ニュースは毎日時間がないところで取捨選択しており、ミスはいくらでも起きる」と発言している姿を見て、その開き直った態度に苦笑しました。チョムスキーは、エリート層やメディアによる「何らかの意思や目的を持って捏造された合意」によって一般大衆が「無関心」になることが恐ろしいと指摘しましたが、実はエリート層やメディア側自身が「無関心」になっているのです。現実は、チョムスキーの指摘よりさらに恐ろしくなっています。
例えばある記者クラブに所属すれば、記者発表とニュースリリースだけにしか関心がなくなり、狭い視野の中で記事を書くことになりがちです。自分たちが合意を捏造しているという意識すらなく、狭い世界だけを近視眼的に取材して報道するというシステムが構造的に存在し、その中で無意識に「合意を捏造してしまう」というメディア側の無関心こそが諸悪の根源ではないかと思いました。

--私たちが無知、無関心から脱却する方法は?

簡単に言えば「新しいものに進んで触れること」。一冊の本、一本の映画、一回の旅行、一人との出会いが人生を変えることもあります。僕自身も約20年間の経済記者時代に、何人かの印象的な企業経営者や知識人に出会って刺激を受けたことがきっかけで独立し、ジャーナリストのネットワークをつくり、雑誌『オルタナ』を創刊することになりました。大企業で働く人々が持つ共通の価値観だけを信じて生きていたら、今の自分は存在しなかったと思います。

「死んだ地球からはビジネスは生まれない」 新しい「モノサシ」は「環境や社会貢献」

--魅力的な企業経営者から受けた刺激とは?

イヴォン・シュイナード著「社員をサーフィンに行かせよう」

ロサンゼルス支局長時代、「企業は誰のものか」という神学論争的な質問の答えを探しているうちに、アメリカのアウトドア用品メーカー「パタゴニア」の創業者イヴォン・シュイナードさんをインタビューし、「ビジネスは株主でも経営者でもなく、地球に対してのみ責任がある」との見解に感銘を受けました。自然保護論者デイビッド・ブラウワー氏の「死んだ地球からビジネスは生まれない」に触発された言葉です。僕自身も多いに共感し、新しい価値基準で魅力的な企業をつくる「モノサシ」をつくりたいと思いました。売上高や利益などではない、「企業は地球のもの」という観点から経営を考えているかどうかを判断するための材料として、環境への貢献度、ブランド力、学生たちからの人気度、顧客の健康を守る仕組みなどがあります。『オルタナ』の創刊号では、世界中で活躍するジャーナリストたちが選んだモデル企業51社をリストアップします。これらのモデル企業の素晴らしい取り組みを紹介することで、大企業に良い影響を与えたり、新しい考え方の企業経営者が育ってくれたりすればと考えています。

--すでに多くの企業が社会貢献(CSR)について取り組んでいますが…

企業の社会貢献が叫ばれた2004年頃から「CSR室」とか「環境部」などの専門組織が大企業につくられ始めましたが、実情は「何をしようか?」ということが多いのでは。今後は経営者が自ら率先して血の通った社会貢献を考え、実行しなければなりません。前出のパタゴニア社では環境破壊に警鐘を鳴らし、売上高の1%を環境保護のために寄付しています。日本経団連の『1%クラブ』は同じ1%でも「利益の1%」であり、桁が2つくらい小さいのです。株主も顧客も社員も、地球資源なしには利益は創造できないということをもっと真剣に考え、それをベースに社会貢献プログラムを構築してほしいと思います。そして消費者側も企業を測る新しい「モノサシ」を持つことで、自分自身の価値基準を身につけ、それに従って行動できるようになれば、「捏造された合意」や既存の価値基準に惑わされることなく、自分自身で考え、行動できるようになるはずです。これが映画を通じてチョムスキーが私たちに伝えたかった一番のメッセージであり、僕が編集長を務める『オルタナ』のミッションのひとつと考えています。

渋谷をどのように楽しんでいますか? 自宅のある杉並から天気がよければ自転車で通勤しています。そのおかげか7kgも痩せました。渋谷は坂の多い街ですが、僕の自転車は21段変速なので、東急ハンズ横の急な坂でも立ち漕ぎせずに走れますよ(笑)。渋谷、神宮前、表参道の路地裏を自転車で散歩するのが楽しいですね。「裏原(宿)のさらに裏」を歩いていると、お洒落なカフェやバー、雑貨店を見つけ、入ったりします。特に、今のオフィスがある渋谷1丁目から表参道に行く道順は、何通りもあるので、毎回違う路地を通って、渋谷の新たな魅力を発見します。また、街のゴミ拾いをするNPO団体「グリーンバード」に積極的に参加しようとする若者もたくさんいます。私もボランティアで参加してみたのですが、意外にポイ捨てが少なくって、渋谷って実はきれいな街だと感じます。

他の街にはない「渋谷ならでは」のものは何ですか?渋谷に来てからはネクタイを締めることも少なくなって、毎日カジュアルな服装ばかりです。大手町の新聞社に勤めていた頃は、きちんとネクタイを締めて、スーツを着て、同じような行動パターンで仕事をして、みんな同じ方向を向いて、同じ視野に立って生きているような気がしていました。渋谷は既成概念にとらわれずに自由に生きている人々のエネルギーを感じさせてくれますね。私が翻訳を手がけたパタゴニアのイヴォン・シュイナード氏の著書『社員をサーフィンに行かせよう』のように、社員の自由な発想を会社経営に生かすような手法は、渋谷的だと思いますね。こんな渋谷のエネルギーやムーブメントを大手町や丸の内のビジネス・パーソンたちに情報発信して、影響を与えたいですね。

■プロフィール
森摂(もり・せつ)さん
1960年大阪生まれ。東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、日本経済新聞社に入社。流通経済部などを経て98年から01年までロサンゼルス支局長を務め、02年に退社。同年、世界で活躍するジャーナリストを組織化し、全国初の執筆・編集のNPO法人、ユナイテッド・フィーチャーズ・プレス(ufp)を設立。執筆ジャンルは産業・経済・企業論、マーケティング、ブランド論、日本企業研究など。今年3月には、自らが編集長を務めるヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌「オルタナ」を創刊する。主な著書に「ウェブ時代の英語術」(NHK出版)、「ブランドのDNA」(日経BP社)。アメリカのアウトドア用品メーカーパタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナードさんの自伝的経営書を翻訳した「社員をサーフィンに行かせよう」が東洋経済新報社から今年3月出版予定。

雑誌「オルタナ」について
雑誌『オルタナ』 「オルタナ」は、売上高や利益だけではない、環境や健康、企業の社会貢献(CSR)などの新たな価値を見出すために、企業やビジネスを育てる上で「新しいモノサシ」とは何かを探る情報誌。創刊号では「環境・健康・CSR 日米欧モデル企業51 社」を特集する。隔月発売で、ウェブで会員登録すれば無料で直接配送するほか、一部書店や小売店では350円/350r(アール=東京の地域通貨)で販売。
>>『オルタナ』のHPはこちら
映画「チョムスキーとメディア」
映画「チョムスキーとメディア」 アメリカの外交政策やグローバル資本主義を批判しながら「アメリカの良心」と呼ばれ続けるノーム・チョムスキーのインタビュー風景、講演、メディア出演など、25年間、実に120時間分の撮影フィルムをもとに製作したドキュメンタリー。メディアの中に入り込んで、日々発信されるニュースや情報がどのようにつくられるかを伝えながら、批判的な視点や懐疑的な見地を忘れないように警鐘を鳴らす作品になっている。監督はドキュメンタリーフィルムの実力者ピーター・ウィントニックと「ザ・コーポレーション」(2004年)のマーク・アクバー。

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