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映画「ダーウィンの悪夢」×水木雄太さん(「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」代表)

大型外来魚のナイルパーチによって生態系が破壊されたアフリカのヴィクトリア湖。湖畔の街にはナイルパーチの輸出産業が発達したものの、その裏では貧富の差の拡大をはじめとした深刻な問題が進行していた——。グローバリゼーションの弊害を暴き出したドキュメンタリー「ダーウィンの悪夢」が12月23日からシネマライズで公開されます。この映画を「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」代表の水木雄太さんにご覧になっていただき、その感想や、同じくアフリカを舞台にした映画『ホテル・ルワンダ』への思いなどを語ってもらいました。
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一見、遠い国のできごとのようで実は僕らの生活につながっている

--映画を観た感想をお聞かせください。

とてもショッキングな映画でした。「こんなことが起こっているのか…」と、あ然としているうちに2時間が過ぎてしまった感じです。ナイルパーチの加工や輸出によって一部の人々が儲かっている裏では、環境破壊や貧富の差の拡大が急速に進んでいる。とくに、ストリートチルドレンが一杯のご飯を巡って殴り合ったり、空腹感から逃れるために、梱包用の発泡スチロールを溶かした有機溶剤を麻薬代わりに吸引したりするシーンは痛々しくて目を覆いたくなりました。そして非常に驚いたことに、ヴィクトリア湖から輸出されたナイルパーチという魚を日本人の僕らも食べていたなんて…。その一方で、現地では、輸出した後に残る、ウジ虫の湧いた魚の皮や、骨を必死に集めて食料にする貧困者がいる。そんな現状を映像でまざまざと見せ付けられて、いたたまれない気持ちになりました。

--日本人とも決して無関係ではない問題なのですね。

「ホテル・ルワンダ」でも感じましたが、一見、遠い国のできごとでも、どこかで自分たちとつながっている。日本の湖沼でもブラックバスなどが在来種を駆逐していることが問題になっていますよね。その点でも、この映画が投げかける問題は他人事ではないと感じました。でも、「今日からナイルパーチを食べないぞ」と誓ったところで何かが解決するとも思えない。では、一体、僕らに何ができるのか。簡単に答えの出ることではありませんが、少なくとも、こういう現実があることだけは覚えておこうと強く思いました。心が痛む場面も多々ありましたが、それでも「観て良かった」と、心底、感じるのは、この映画の持つ力なのでしょうね。

--タンザニアについては何かご存じでしたか。

ルワンダとタンザニアは隣り合っていますが、恥ずかしながら、タンザニアについての知識は全くありませんでした。でも、映画では、ナイルパーチを空輸する帰りの便を利用し、大量の武器を密輸しているのではないか、という疑惑を問題提議していましたよね。それがルワンダの内戦に関係していた可能性もある、と思うと他人事ではいられません。今後は、テレビや新聞でタンザニアの話題を目にしたら、きっと身を乗り出すようになると思います。そういうきっかけになったことでも、この映画に出会えて良かったですね。

映画『ダーウィンの悪夢』より

何気なく読んだ新聞記事が人生の方向を決めた

--そもそも水木さんがルワンダに興味を持ったきっかけは?

高校1年生のときに、ルワンダ国内でフツ族とツチ族が対立し、小数派のツチ族が大虐殺されていることを新聞で読んで大きなショックを受けました。その後の報道にも注目していましたが、内戦が沈静化するにつれ、いつしか僕の中での記憶も薄れていったのですね。それでも、大学4年生で海外への一人旅を思い立ったときに、「行きたい」と思ったのはルワンダでした。あまりにも第一印象が強かったのでしょうね。ルワンダへは直行便がなかったのでオランダ経由でナイロビに入国して、そこから陸路でケニア、ウガンダ、そしてルワンダの順に訪れました。出発前にガイドブックなどで調べたのですが、当時、ルワンダの情報は少なくて、「まぁ、何とかなるか」という軽い気持ちで宿泊するホテルも決めずに出発しました。初めての海外旅行で英語も全く通じない場所でしたから、今、考えれば、かなり無謀でしたが、そこは無知の強みと言うのでしょうかね(笑)。

--ルワンダを旅した感想はいかがでしたか。

ルワンダでは首都のキガリに三泊滞在しました。内戦が落ち着いてから、まだ5、6年しか経たない時期でしたから、首都といえども荒廃しているだろうと思い込んで訪れたのですね。ところが、実際には街並みは整っているし、銀行にはATMもあるし、思いのほか内戦の傷跡は見当たりませんでした。驚いたと同時に、そのことにすごくホッとした記憶があります。それでも、街には地雷で片足を失ったと思われる子どもたちが少なくなく、内戦が身近にあったことを物語っていましたし、かなり貧しい生活を送っているだろう人々の姿もありました。滞在期間は短く、ルワンダのほんの一部を覗いたに過ぎませんが、実際に現地の光景を目の当たりにし、人々に接することができたのは、すごく貴重な体験でした。ルワンダ人はとてもフレンドリーで温かみがありましたよ。外国人と接するのも、あまり慣れていないようでした。危険に遭遇することもありませんでしたね。

「ホテル・ルワンダ」を通じて映画の持つ影響力を再認識した

--「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会(現在は『応援する会』に改称)」を立ち上げたのは、どのような経緯だったのでしょうか。

映画館の仕事を辞めて時間に余裕のあったときに、アカデミー賞の3部門にノミネートされたというニュースで「ホテル・ルワンダ」を知りました。ルワンダを描いた映画なんて他に知りませんでしたから、「絶対に観なきゃ!」と楽しみにしていたのですが、その後、日本における興行の不安から配給先が二の足を踏み公開が危ぶまれていることを知って…。とは言っても、特に政治的な意図や、ルワンダの惨状を伝えたいという思想的な思いは全くなく、映画ファンとして純粋に映画が観たいという気持ちから、mixiで「ホテル・ルワンダ」の公開を求めるコミュニティを立ち上げました。そうしたところ思いがけず、続々と賛同者が集まったので、2005年6月に正式に会を立ち上げて署名運動を始めたのです。さらに、メディアに取り上げられたこともあって予想以上に話題となり、最終的に4,595人もの署名が集まりました。そんな運動の様子を僕らのホームページを通して知った配給会社が権利元と金額の交渉をして、ついに2006年1月からの公開が決まったのです。

--「ホテル・ルワンダ」の魅力は、どのようなところでしょうか。

個人的には、これまでに観た中でも、屈指の名作だと思っています。とにかく、色々な要素を楽しめるのですね。内戦の様子を描いたドキュメンタリーとして優れているのはもちろん、サスペンスとしての緊迫感もある。そして、あまり好きな言葉ではないけど“泣ける映画”としての完成度も高いし、さらに役者の演技も見事で音楽も魅力的。これほど人の心を鷲づかみにする映画は、そうそうないと思いますよ。最近、レンタルビデオ店に行ったら、「ホテル・ルワンダ」のDVDが全て借りられていました。そんな作品が公開されなかったかもしれないなんて、今では信じられませんよね。最近でも、学校や地域のサークルで「ホテル・ルワンダ」の上映会があると、僕もときどき呼ばれて講演をすることもあります。そういう活動を通じ、つくづく映画の影響力を思い知らされますね。現在、仕事も含めて将来の道を模索中ですが、今後も映画に深く関わる生活を送ることは間違いなさそうです。

ナイルパーチとは?

ナイルパーチ

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全長2m、重さ100kgにまで成長する大型の肉食魚。切り身に加工されてヨーロッパや日本に輸出されている。日本では2003年まで「白スズキ」として流通していたが、現在は表示に関する法規制の強化によって「ナイルパーチ」と表示されている。今も、レストランや給食、お弁当などの“白身魚のフライ”に広く使われている。(写真:「すずき白しょうゆ漬」として市販されているナイルパーチの切り身)

渋谷で好きな映画館は? 映画は映画館で観る主義なんですね。昔から月10本以上のペースで観ていますから、おそらく渋谷の映画館も制覇しているはずです。なかでもお気に入りはシネ・アミューズ。とにかく館内の居心地が良くて自然と足を運びたくなるんですよね。もちろん、会員になっています。それから、最近はシネマヴェーラにも頻繁に足を運びますね。今の時代に名画座は貴重ですよ。映画好きの友人とお酒を飲むたびに「オレたちでシネマヴェーラを支えていこうな」なんて話しています(笑)。あとはユーロスペースや、それから「ホテル・ルワンダ」が初めて国内で上映されたシアターN渋谷も忘れてはいけませんね

水木さんにとって渋谷とは?人ごみは苦手という人が多いのですが、僕は大好きなんです。行き交う人々を眺めていると元気になるのですね。だから渋谷駅前のスクランブル交差点はお気に入りの場所の一つです。渋谷は僕にとって「自分が好きなもの」が全て揃う街です。映画館はもちろん、外資系のレコードショップも充実しているし、大型書店もある。最近は暇さえあれば、映画・音楽・本を求めて、渋谷をグルグルと回っていますね。それから友人と飲むのも渋谷が多いですね。最近、気に入っているのがセンター街にある「八月の鯨」というバー。ここは「戦艦ポチョムキン」とか「フォレストガンプ」とか、すべてのカクテルメニューが映画のタイトルになっているんです。映画好きにはおすすめですよ(笑)。

■プロフィール
水木雄太(みずき・ゆうた)さん
1979年富山県生まれ。同志社大学在学中に初めての海外旅行としてルワンダに一人旅を敢行。卒業後、上京し、アルバイトや契約社員として映画館で働く。退職後の2005年6月、「ホテル・ルワンダ」が日本で公開されないことを知り、ネットで仲間を集めて「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会(現在は『応援する会』に改称)」を結成。2006年1月からの公開にこぎつけた。
>> 「ホテル・ルワンダ」日本公開を応援する会のHPはこちら

映画「ダーウィンの悪夢」
ルナシー 「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたヴィクトリア湖に放たれたナイルパーチがもたらしたものとは…。監督のフーベルト・ザウパーは、オーストリア出身のドキュメンタリー作家。ヨーロッパ公開時には、その衝撃的な内容に賛否を含む論争までも巻き起こした。世界中の映画祭でグランプリを総ナメし、社会論争まで巻き起こした超話題作。

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