BUNKA X PERSON

映画「ルナシー」×手塚眞さん(ヴィジュアリスト)

シュールレアリストとして既存の表現方法や社会体制を鋭く批判する映画を撮り続けてきたチェコの鬼才、ヤン・シュヴァンクマイエル監督。シアター・イメージフォーラムで公開中の最新作『ルナシー』では精神病院を舞台に、自由や権力、狂気といった人間の本質に迫るテーマが挑発的に描かれています。「ヴィジュアリスト」として映画をはじめとした映像作品を制作する手塚眞さんに、この映画の感想や、ヤン・シュヴァンクマイエル監督への思い、さらにご自身のお仕事について伺いました。
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人間の本質に迫る問題提起がストレートに伝わってきた

--映画「ルナシー」を観た感想はいかがでしたか。

ヤン・シュヴァンクマイエル監督の最高傑作と言えるでしょうね。それくらい完成度の高い作品です。とくにアートとしての表現性と、ストーリーを通じたメッセージ性のバランスが絶妙でした。アート系の映画には「これがアートだ」と言わんばかりに難解な表現を取り入れる監督が多いのですが、それではメッセージが伝わって来ない。その点、彼は表現性にこだわりながらも、メッセージをストレートに伝える努力をしていますよね。この作品からも、人間の本質に迫るさまざまな問題提起を受け取りました。なかでも、狂気とは何かを考えさせる手法は見事だと思いましたね。途中までは「この人は狂っているのだろうか」と“犯人捜し”の気分で観ていましたが、あの強烈なラストによって「どこにも犯人などいないのだ」と突き放された気分になる。狂気とは相対的なものであると改めて思わされました。誰もが自由を求めるけど、過度に自由を与えられた人の振る舞いは、ときに狂気に見えることがある。そんな作中で描かれていたテーマは、現代社会にも通じるものだと思います。

--映像表現については、どのようにご覧になりましたか。

映画は“時間の芸術”なのですね。2時間であれば、その枠の中で、いかに観客の心を動かすかを考える。彼はそれを熟知したうえで実に巧みに作品を構成していますね。たとえば作中にはグロテスクな肉片のアニメーションが頻繁に差し挟まれます。はじめは“脅し”の意味合いを持つ装飾かと思いましたが、それが作品のメインテーマになっていることを最後に知らされる。そういうさりげない表現を過剰にならない程度に挿入して全体の物語を支えているところは本当に上手いと思いました。その肉片のアニメーションにも、精巧なCGと見まがうほどの高度なテクニックが使われています。彼は80年代から肉片を作品に用いているのですが、段々と腕を上げて、今や「肉アニメーション」の極致に達したと言えるほどの仕上がりでしたね(笑)。

映画『ルナシー』より

商業主義になびかない姿勢には感服

--手塚さんがヤン・シュヴァンクマイエル監督の作品を最初に観た時期は?

80年代半ばに短編集のビデオを観たのが最初でした。はじめは趣味的に実験映画を撮る監督かと思いましたが、しだいに真正面から取り組む姿勢を理解して惹かれるようになった。1934年生まれの彼は“最後のシュールレアリスト”といえる世代です。もともとシュールレアリスム(※)は批判精神が強いため、彼の作品にも従来の表現方法などへの強烈な批判が込められているのですね。その批判の矛先は自己の内面にも向けられていて、商業主義に擦り寄ることを良しとしない。僕も含めて、映画監督には多少なりとも商業主義になびく傾向があります。しかし、彼のスタンスを目の当たりにすると、自分のイマジネーションの原点に立ち戻ろうという勇気を与えられる。そういう意味では、彼のような映画人が存在すること自体が励みになっていますね。もっとも、彼の作品は昔から一貫してグロテスクなので、長い間、本国では“変わり者”といったイメージで見られていたはずですが、最近、ようやく国を代表する映画作家の一人として評価され始めているようですね。

--手塚さんが映像作品に興味を持ち始めた時期は?

小学生の頃、怪獣やお化けに惹かれたことが原点になっています。子どもとはいえ実存するとは思っていませんでしたが、そういう存在を想像するのが楽しかったのでしょうね。オリジナルのお化け図鑑も作っていて、父が『どろろ』を描いていた当時、忙しさのあまりに僕のお化けをアレンジして使ったこともありますよ(笑)。異形なものへの関心は学生になっても弱まりませんでしたが、一方では、このままでは今で言う「おたく」になってしまうという危機感があって(笑)。そこから脱却したいという思いもあって、アートの世界に足を踏み入れて映画を撮り始めました。そして、あるときにサルバドール・ダリが撮った『アンダルシアの犬』を観て衝撃を受けて、シュールレアリスムに傾倒するようになったのです。

※シュールレアリスム=20世紀の芸術運動の1つで、超現実主義ともいう。1924年発刊された文学者・ブルトンによる「シュールレアリスム宣言」によって創始した。自動記述やコラージュなど、意識と無意識の中間の理性の介在しない偶然的な方法により生まれたものや、あり得ないものを組み合わせる手法によって文学・美術界に大きな影響を与えた。主なシュールレアリストは、画家のサルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、日本では北園克衛、滝口修造ほか。

安吾の魅力を“映画祭”で紹介したかった

--坂口安吾の『白痴』を映画化した経緯は?

学生時代から、オーソドックスな劇映画と、実験的な短編という2タイプの映画を撮り続けてきました。それらを高度なレベルで融合することが最高のアートだと考え、ずっと目標にしていたのです。長い間、それにふさわしい題材を見つけられずにいたのですが、たまたま『白痴』を読んだときに自分の中ですべてが結び付きました。そして準備を進めたのですが、内心では「これほど坂口安吾に惹かれるのはなぜだろう」という疑問もあったのですね。しばらく経って、坂口安吾が青年時代にフランス文学者で、シュールレアリストであるアンドレ・ブルトンの作品を原文で読んでいたことを知って、安吾作品に通低するシュールレアリスムの要素に惹かれていたのかと納得しました。考えてみれば、「押入れの中に白痴の女がいる」という非現実的な設定も、そうした影響を多分に受けていたものでしょう。

--今年、新潟市と渋谷で「坂口安吾映画祭」を企画されましたね。

新潟市は安吾の故郷ですからね。『白痴』を撮影したのも新潟市です。最初、安吾の映画を撮ると言えば地元の人に歓迎されると思い込んでいましたが、意外にも怪訝そうな顔をされた。じつは郷土の名士であった坂口家のなかでも安吾はかなりの問題児というイメージだったのですね(笑)。撮影後には、しだいに安吾に対するイメージは好転し、新潟市は「安吾賞」を創設しましたし、安吾の生誕100年である今年は地元を挙げてお祝いしている。僕は安吾原作の映画を集めて上映したら面白いのではないかと、ずっと思っていました。そして生誕100年の今年が最適だと思い、新潟市と渋谷で「坂口安吾映画祭」を開催することにしたのです。シュールレアリスムの影響が色濃い『白痴』に加え、推理モノやコメディなど趣向の異なる映画がそろいますから、さまざまな観点で楽しんでもらえると思います。

--手塚さんはいつ頃から「ヴィジュアリスト」と名乗られているのでしょうか?

1985年から「ヴィジュアリスト」を名乗り始めました。映画監督という肩書きに縛られずに、映画以外の作品も作りたいという思いに加え、そこには従来の邦画に対するアンチテーゼもありました。正直言って、当時の邦画は面白くなく、映像も美しくなかった。さらに実際に会った映画人の中にもネガティブな発言をする人が多くて、日本の映画界に幻滅してしまったのですね。その半分は思い込みだったのかもしれませんが、とにかく僕はヴィジュアリストとして日本の映画監督とは別の道を歩もうと決意したのです。ですからヴィジュアリストは職種ではなく、姿勢の表明なのですね。あえて日本語に直すなら“夢想家”が合っていると思う。自分のイマジネーションを映像化したものが僕の作品ですから。今、振り返ると、その言葉にふさわしい活動をしてきましたし、今後も同じ方向性に突き進みたいですね。次は原作のないオリジナル作品を完成させるのが目標で、今、構想を練っている段階です。

ヤン・シュヴァンクマイエルとは?

『ユモレスク〜逆さまの蝶〜』
1934年、チェコのプラハに生まれる。若い頃からシュールレアリスムに傾倒して創作活動を開始。1964年に短編『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』で映画監督としてデビューした。以来、アニメーションを用いた独自の世界観を打ち出して、数多くの短編映画や、『アリス』『ファウスト』といった長編映画を制作し、カンヌやヴェネチアなどの世界中の映画祭で賞を獲得。映画界のみならず、多分野の芸術に影響を及ぼしている。

 

手塚さんにとって渋谷はどんな街ですか? 僕の学生時代には西武を中心に“池袋文化”がありました。当時は練馬に住んでいたこともあって池袋に通っていましたが、80年代後半に池袋の文化施設がごっそりと渋谷に移る“事件”が起きたのですね。以来、渋谷は東京の文化のシンボル的な街になり、はじめは「池袋よりも少し遠くなったな」なんて思いながら、僕も足繁く通うようになりました。今でも新作を完成させると、まずは渋谷で上映したいという思いが強く、その周辺の映画館を回ります。それだけに、今年初めに「ブラックキス」を渋谷に新しく誕生したQ-AXシネマのこけら落としで上映できたのは嬉しかったですね。

渋谷の抱える課題は何でしょうか?渋谷には吸引力があるから、人がどんどん集まりますよね。しかし、もともと、多くの人を受け入れる構造の街ではないから人であふれかえってしまい、ちょっと無理があるなと感じるときもある。また、今のところ、渋谷から発信される情報を受信して集まった若者が、そのエネルギーを放出する手段がありませんよね。多くの若者にとっては「渋谷に行って途方にくれる」といった現状があるのではないでしょうか。そのわだかまりがセンター街に溜まっているように思えます。いかに若者がエネルギーを放出できる施設や場を創るかが、今後のポイントになるのではないでしょうか。

『坂口安吾映画祭』坂口安吾生誕100年を記念して開催。安吾の小説やエッセイを原作とした5作品を連続上映する。

会場 : シアター・イメージフォーラム
会期 : 2006年11月25日〜12月1日
入場料: 当日1,500円 / 前売1,300円 / フリーパス3,000円
>> 映画祭公式サイトはこちら

 

『白痴』

©手塚プロダクション

『白痴』<手塚眞監督・1999年>ひとりの青年と白痴の女の奇妙な愛を描いた短編に、手塚監督が自由奔放なイマジネーションを加えて映画化。圧倒的な映像美で安吾ワールドを再構築する。クライマックスの空襲シーンは、新潟市に巨大なオープンセットを建設し、実際に燃やし尽すようにして撮影された。浅野忠信主演。1999年ヴェネチア映画祭デジタル・アワード受賞。
『負ケラレマセン勝ツマデハ』

©東宝

『負ケラレマセン勝ツマデハ』<豊田四郎監督・1958年>国税局と闘争した安吾自身の体験をつづった同名エッセイを映画化。零細企業の社長が国税局に悪戦苦闘する騒動がコミカルに描かれている。
『桜の森の満開の下』

©東宝

『桜の森の満開の下』<篠田正浩監督・1975年>安吾の代表作を忠実に映画化。中世を舞台に、山賊と、人の首を欲しがる美しい妻の関係が満開の桜とともに妖しく描かれる。奈良・吉野でロケを敢行。
『不連続殺人事件』

©東宝

『不連続殺人事件』<曽根中生監督・1977年>山奥の豪邸に集まった客が次々に殺されるミステリー。「不連続」に見える殺人に仕掛けられたトリックとは?
『カンゾー先生』

©1998「カンゾー先生」製作委員会

『カンゾー先生』<今村昌平監督・1998年>『肝臓先生』に『堕落論』『行雲流水』などを織り込んだストーリー。終戦間近の瀬戸内海の村で孤軍奮闘する町医者と、そこに寄り添う少女の愛情をつづる。

■プロフィール
手塚眞(てづか・まこと)さん
1961年、手塚治虫氏の長男として生まれる。17歳で撮った映画が日本映像フェスティバルで特別賞を受賞。85年に『星くず兄弟の伝説』で商業デビューし、以後、「ヴィジュアリスト」の肩書きで、実験映画から商業作品、また小説の執筆まで幅広く活躍する。構想から10年を費やした『白痴』は99年のヴェネチア映画祭でデジタル・アワードを受賞。近年は『ブラックジャック』をはじめとしたアニメ作品の監督にも力を注ぐ。最新作『ブラックキス』Q-AXシネマのオープニング作品として上映された。
>> 手塚眞さんの公式サイトはこちら

映画「ルナシー」
ルナシー 『ファウスト』『悦楽共犯者』などで知られるチェコの鬼才、ヤン・シュヴァンクマイエルが放つ待望の最新作。オリジナルのストーリーに、エドガー・アラン・ポーの小説のアイデアを盛り込み、30年の構想を経ての完成。学者や作家、ミュージシャン、デザイナーなどさまざまな才能から広い支持を受けるシュヴァンクマイエルが新たに開く禁断の扉は、哲学的な匂いを漂わせるホラー。
会期 : 2006年11月18日〜終了日未定
時間 : 11:00/13:30/16:00/18:30
入場料: 一般 1,800円 / 学生1,500円 / シニア1,000円

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