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東横線・線路跡地に建設中の新商業施設「渋谷ブリッジ」、「R」を描くデザインの謎に迫る!

5月24日(木)、今秋に開業を予定する渋谷の再開発エリア「渋谷代官山Rプロジェクト」の施設名称が「渋谷ブリッジ」に決定し、報道向けに工事の進捗状況が公開された。

現在、渋谷駅周辺の再開発工事では「渋谷スクランブルスクエア」「渋谷ストリーム」「道玄坂一丁目駅前街区(東急プラザ跡地)」「渋谷駅桜丘口地区」「渋谷宮下町計画(都営宮下町アパート跡地)」など、様々な施設名称やプロジェクト名が飛び交うため、正直なところどこがどこの開発なのか分からないという人がきっと多いことだろう。

そこで、まずは「渋谷ブリッジ(渋谷代官山Rプロジェクト)」がどこにあるのか? その位置から確認しておきたいと思う。
▲「渋谷ブリッジ」の位置(画像提供=渋谷ブリッジ)
新たに新名称が発表された「渋谷ブリッジ」は、グーグル日本法人の入居が決まっている大規模商業施設「渋谷ストリーム」と同じく、東急東横線・渋谷駅から代官山駅間の地下化に伴い、新たに創出された地上線の線路跡地の再開発プロジェクトの一つである。

渋谷駅にほど近い「渋谷ストリーム」から、渋谷川沿いに新たに創出される遊歩道上を恵比寿・代官山方面に約600メートル進み、並木橋を越えた先にあるのが「渋谷ブリッジ」だ。 ちょうど大きな煙突が屹立する「渋谷清掃工場」に隣接するあたりといえば、分かりやすいかもしれない。
▲渋谷ブリッジB棟外観イメージ(画像提供=渋谷ブリッジ)
完成図のパースをみてもらいたい。外観はまるでローマ・コロッセオのようなカーブをなしている。非常に個性的なデザインであるが、実は建物がカーブしているのには、れっきとした理由がある。
代官山駅から東横線が出発して、ちょうどこの辺りから渋谷駅方面に進路を変えるために、大きく左にカーブを切る。鉄道ファンならご存知だろう。「R160(曲線半径160m)」の急カーブは東横線最大の難所として知られ、この手前辺りから「キー、キー……」とブレーキを掛け、速度を落としてからカーブに突入する。鳴り響くブレーキ音も、今となっては懐かしい記憶だ。同施設のカーブは、かつて地上を走っていた東横線を偲ばせる名残といえるだろう。

でもなぜ、東横線の代官山駅から渋谷駅までの区間は、こんなにも大きなカーブを描かなければならなかったのだろうか。

少し歴史を紐解いてみよう。そもそも東横線の計画はどう検討されていたのだろうか? 東急電鉄の前身である「武蔵電気鉄道」の社史によれば、1906年ごろに広尾・天現寺(現在の広尾病院あたり)から渋谷橋、恵比寿辺りを経て、横浜の平沼駅(現在の横浜駅のやや西側)までの区間の免許を取得したという記録が残る。おそらく東急・中目黒駅あたりから恵比寿、広尾方面へと進路を取り、現在の日比谷線に近いルートが計画されていたことがうかがえる。もともと東横線は「渋谷」をターミナル駅にするつもりはなかったのだろう。資金繰りや用地買収など、様々な問題が生じて建設が立ち行かず、結果的に東への延伸を諦めざるを得なかったのではないだろうか。そう考えると用地取得がしやすい渋谷川沿いで、山手線とも接続しやすい「渋谷」を終着地に選んだのも理解できる。

あくまでも推測の域を出るものではないが、代官山駅と渋谷駅間の「R160」の大カーブは、計画変更を余儀なくされた変遷を物語る証ではないか、と。その後、1927年に東京横浜鉄道(現・東京急行電鉄)は渋谷駅から神奈川駅間の直通運転を開始し、今日の渋谷の街が生まれている。西か、東か、まさに渋谷にとっては運命の分かれ道ともいうべきカーブと言えるだろう。

もう一つ、大カーブに関連した話題に触れておきたい。かつて代官山間と渋谷駅間に「並木橋駅」が存在した(並木橋駅に関しては別記事を書いていますので、そちらを参考にして下さい)。
▲高架橋手前の出っ張っている部分が、かつての並木橋駅の名残(撮影日2014年3月ごろ)
並木橋駅があったのは、ちょうど「R160」のカーブを越えた並木橋に隣接する辺りで、現在、渋谷川沿いにある小池酒店の目の前に位置する場所である。なぜ、代官山と渋谷駅間の約1.4kmの短い区間内に、もう一つ駅を作る必要があったのだろうか。周辺には当時から青山学院や実践女子学園、常盤松女学院、國學院など数多くの学校が集積していたため、学生利用を前提としていたことも十分考えられる。が、実際には「R160」の大カーブを安全に走行するため、一つ駅を増やして一旦停車していたのではないかと推測される。並木橋駅の稼働期間は、東横線開業の1927年から東京大空襲で被害を受けた1945年まで、僅か18年であった。同エリアは再開発に伴い、遊歩道に生まれ変わるが、かつてこの場所に「並木橋駅」があったことを、街の記憶としてあえてここに書き記しておきたい。

<関連記事>
昔、渋谷と代官山と間に「並木橋駅」があった!幻の駅の記憶を残そう(2014年3月掲載)
https://www.shibuyabunka.com/special/201403/part4.html

さて、話を現在まで一気に戻そう。この「R160」に新たに生まれる新商業施設が「渋谷ブリッジ」だ。
▲渋谷ブリッジ用途構成イメージ(画像提供=渋谷ブリッジ)
3階建てのA棟と、7階建てのB棟の2棟の建物から構成される複合施設。A棟には保育所型認定こども園、B棟にはバックパッカーなどの外国人旅行者の宿泊施設となるホテル「MUSTARD HOTEL(マスタードホテル)」が開業するほか、オフィスやカフェなどが入居することが決まっている。
(上)5月24日(木)、報道陣に公開されたA棟の工事風景。
(下)渋谷ブリッジA棟。遊歩道から続く自由通路の完成イメージ。幅は約10メートル、かつて東横線の上下線が走っていた面影がうかがえる。(画像提供=渋谷ブリッジ)。

▲渋谷ブリッジ 認定こども園が開園するA棟外観イメージ(画像提供=渋谷ブリッジ)
(上)JRと交差するトラス橋を走る東横線(撮影2012年9月16日)
(中)工事中の「渋谷ブリッジ」(撮影2018年5月24日)
(下)代官山側から見た渋谷ブリッジB棟外観イメージ(画像提供=渋谷ブリッジ)

施設名称の「渋谷ブリッジ(SHIBUYA BRIDGE)」は、多世代・異文化への「橋渡し」と、渋谷と代官山という異なる顔を持つエリアの「橋渡し」の2つの意味を持つ。ロゴマークは「SHIBUYA BRIDGE」の頭文字の「S」と「B」を組み合わせて、鉄道標識をイメージした菱形に落とし込んだもの。さらに「R」にアンダーバーが付いているのは「Reborn(再生)」「Relay(継ぐ)」「Rail-Road(鉄道)」という言葉と、「R160」のカーブを継承するという意味を強調しているという。 ▲「渋谷ブリッジ」のルーフバルコニーから見た眺望。山手線の向こう側は代官山エリア。写真中央に見えるのは、2015年6月に開業した「ログロード代官山」(2015年6月開業)。
▲渋谷から代官山に新しい人の流れが生まれる。(画像提供=東京急行電鉄株式会社)
今まで渋谷の街は、ハチ公広場や公園通りのある側がメインとされる一方で、東口や南口方面は「渋谷の裏側」「渋谷のB面」としての印象を持つ人もきっと少なくなかったのではないか。今秋に開業する「渋谷ストリーム」「渋谷ブリッジ」の登場は、渋谷駅の南エリアの商圏をぐっと広げ、渋谷から代官山・恵比寿方面へと新たな人の流れをつくるハブになるのではないかと大いに期待されている。今秋の渋谷は南エリアから目が離せなくなりそうだ。

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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