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渋谷を舞台にした映画その3
「凶気の桜」

円山町、センター街に文化村通り・・・と、渋谷を縦横無尽に走り回っていた作品として印象深いのが窪塚洋介主演の「凶気の桜」。2002年、東映の配給によってロードショー。渋谷の街を上から俯瞰したシーンも多く、これはどこのビルの屋上にカメラを置いて撮影したのだろう・・・と、ついつい想像してしまいます。ストーリーは、反社会的行動を行うネオナチならぬ、「ネオ・トージョー」と名乗る3人の若きナショナリストの暴走と挫折を描いたもの。日本の未来を憂い、改革を志すべく、ダビデの星のようなシンボルマーク、白い特攻服に身を包んだ彼らは、汚いゴミを一掃するのと同様に渋谷でチャラチャラとしている不良、チーマーたちに対し、「暴力こそ正義」という信念のもとに”奪還(=カツアゲ)” ”強制(=暴行)” "排泄(=強姦)"という制裁を次々に加えていく・・・。こうした破天荒で、向こう見ずなネオ・トージョーの行状は、右翼系暴力団・青修同盟の会長(原田芳雄さん)からも一目を置かれる存在へ。−−次第に調子づく3人であったが、何も知らずに青修同盟と対立する暴力団の息の掛かったクラブを襲撃したことが発端となり、事態は青修同盟と暴力団との抗争へと発展します。いわば、「暴力こそ正義」といきがっていた彼らが大人たちの裏の世界に完全に翻弄され、それぞれ力を失い、最終的に悲劇を迎えます・・・。

渋谷といえば、オヤジ狩り、援交・・・など若者と大人の対立軸が目立つ中で、若者が若者を憂うという設定は斬新。高橋マリ子さん扮するヒロインが「今の日本人は腐ってますね」「日本は好きだけど、最近の日本人は嫌い」という、そう、大人ではなく、同世代の若者の中にそうした意識があることに驚きます。とはいえ、若者たちが坂本竜馬を尊敬し、チェ・ゲバラのTシャツを着て、革命家ファッションでその気になったところで、誰にどう怒って、何に向かって突き進めば良いのか分からない。何か間違えている、みんな腐っている、政治が悪い、思想が悪い、戦争が悪い・・・といつも不満を口にしながらも、60年代、70年代の若者が学生運動をしていたようなエネルギーはどこにもなく、混沌とした時代だからと諦め、結果、無関心を装うしかない。そんな若者が多い中で、ネオ・ト-ジョーという存在は「正義」を履き違えているものの、ある意味で、ヒーロー的な存在なのかもしれません。もちろん、窪塚洋介さん扮する山口が発する「イデオロギー」という言葉には本質はありませんが、でも、それが正しいとか、間違えているという議論は実はどうでも良いように感じます。理想のない時代に放り出された、若き革命家たちの不安定な状態が、ある意味、リアルです。結局、暴力は、さらに巨大な暴力によって淘汰されてしまいますが・・・。

また全編に流れる曲は、環境、ドラッグ、政治、宗教、戦争など、過激なメッセージ性を持つ作品で知られるHIP HOPグループ「キングギドラ」が担当。中でも、生まれも育ちも渋谷というメンバーのK DUB SHINEさんは、今年7月に発表した自叙伝「渋谷のドン」の中で、80年代の不良グループ「チーマー」のことや、渋谷自警団「R’s」を結成してパトロールに務めていたことなども語っており、本作品の「ネオ・ト−ジョー」と重なる部分が案外多かったのかもしれません。映像のほか、行き場のない、リアルな渋谷の若者を表現した「キングギドラ」の歌詞も聞きどころの1つ。

と企画性に富んでいるものの、実際に映画を見たどの程度の人が本作品に共感したのかはやや疑問。小難しい社会派映画で終わらせないために、あえてエンタテイメント色を融合させたことがかえって裏目に出ているのかもしれません。くだけたシーンをバッサリと切って、硬派に攻めても良かったのでは・・・とも感じます。さて渋谷を舞台にした、自由気ままな若者の生き方を描いた作品といえば、ジョニー大倉さん、柴田恭兵さんが主演した映画「チ・ン・ピ・ラ」(川島透監督)を思い出さずにはいられません。どこにも帰属しない渋谷の若者という設定は「凶気の桜」とも通じるところがありますが、当時の若者たちの多くは、ジョニー大倉さん、柴田恭兵さんのように自由に生きたい、とむしろチャラチャラにカッコ良さや、憧れを感じていたように思えます。20年という月日で、渋谷の若者たちの意識に大きな変化が生じていることを改めて実感します。
今回の「凶気の桜」は、星1つです。★☆☆☆☆

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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