★ラジウムシティ トークショウ★
現在、渋谷アップリンクで映画『ラジウム・シティ』が上映中。
5.26tue19:00〜、映画上映後にヴィヴィアン佐藤が篠崎誠監督とトークショウに出ます。
〇映画「ラジウム・シティ」
http://www.radiumcity2015.com
〇トークショウ
http://www.radiumcity2015.com/event.html
震災以降、新宿を中心としたライフワーク『迷所巡礼』と昨年度の『青森七戸町の町興しプロジェクト』を紹介します。
『ラジウム・シティ』へのお誘い
2012年の春、前年のフクシマから1年が過ぎた頃、『ラジウム・ガールズ2011』と題されたアルバムが届けられた。プロジェクト・アンダークと名付けられたバンドは3人編成で、ドイツ人のディーター・メビウスの作ったベースのトラックに、Phew、小林エリカのふたりがメロディと歌詞を載せていた。イヴリンとかトレイシーとかキャサリンとか固有の名前を持つ女性たちが、そこでは主人公だった。
彼女たちには実在のモデルがいる。1世紀ほど前のアメリカで、ラジウムを使っての夜光塗料工場で働いていた、ごく普通の女性たちだ。特別なことなど考えてもいない。働いて給料をもらい買い物をして楽しいひとときを過ごす。いずれ結婚もして、家庭を持ち、子育てをし、いつかその子どもたちも若者になり、輝く青春を謳歌するだろう。ありがちな未来。平凡でささやかな夢に覆われた彼女たちのあるはずだった未来は、ラジウムが放つ放射性物質によって一気に崩れ去る。
何の防護もなく、知識もないまま作業中に被爆した彼女たち。ある者は命を絶たれ、ある者はさまざまな障害を背負い、その重荷とともに生きていくことになった。
病を生き延びた女性工員たちは、もはやかつてのようには未来を見ることができない。その不自由な身体を引きずりながら、会社や政府に対して訴訟を起こす。まさか自分がそんなことをするとは、病気以前の彼女たちは思いもしなかっただろう。病の前と後。その時間と歴史の切断を超えて闘う彼女たちは「ラジウム・ガールズ」と呼ばれるようになる。
アルバム『ラジウム・ガールズ2011』が歌うのは、そんな彼女たちの物語だ。もちろん実際の彼女たちのことではない。想像上のラジウム・ガールズたち。いや、今ここにいるラジウム・ガールズたちの物語が、そこでは歌われていた。つまり、「今ここに」と思わざるを得ないような状況の中で作られた歌が、そこにはあった。
そしてある日わたしはPhewと会い、彼女たちに取材して作られた「Radium City」と題されたドキュメンタリーがあることを教えられた。25年以上前の映画だ。すぐにYouTubeにアップされたそれを観た。誰もがイメージする公害や労災の訴訟の際の、どこか悲痛な空気を、彼女たちは持たない。あるはずの未来を夢見た輝けるガールだった頃の何かが今も彼女たちに貼り付いて、今の彼女たちを作っているのだとも言いたくなる。年齢や病気で変貌したその姿とはまったく関係ない。最悪の事態のその暗闇の中で、彼女たちは自然発光する。力強ささえ感じた。
アルバム『ラジウム・ガールズ2011』から伝わるのも、その奇妙な明るさと強さである。かつて夢見られた未来は閉ざされたかもしれないが、それ故にその暗闇の中で輝く一歩をごく当たり前に踏み出した彼女たちの現在が、まさに彼女たちの未来としてそこにあるのだと、彼女たちの奇妙な明るさと力強さは語っているように思う。彼女たちの今こそが彼女たちの未来なのである。アルバムから見えて来るその姿が、映画には古ぼけた映像を通してはっきりと映っているのが見えた。
だとしたら、アルバムだけでなく映画も上映して初めて、日本における「ラジウム・ガールズ」の物語は完結するはずだ。いや、完結するというよりも、それがいくつもの物語の種となり日本中に広がり出し、多くのラジウム・ガールズやボーイズの物語を生み出していくはずだ。まさにラジウム・ガールズこそが、わたしたちの今であり未来であるのだ。
つまりこの映画を観た潜在的なラジウム・ガールズやボーイズであるわたしたちは、気がつくとどこかでふと、輝ける小さな一歩を踏み出しているに違いない。そしてそれが、断ち切られたわたしたちの未来を当たり前の現在に変える。そんな奇跡が当然のように起こるだろう。1世紀後、わたしたちは世界中の人々から何と呼ばれているだろうか?
樋口泰人(boid主宰)
https://www.facebook.com/radiumcity2015
http://projectundark.com
イントロダクション
ラジウム・シティ 文字盤と放射線・知らされなかった少女たち
Radium City
ラジウム・ガールズ―――1920年代アメリカ、ラジウム・ダイヤル社の工場で時計の文字盤に夜光塗料を塗るペインターとして働き被爆した若い女性たち。筆先をなめて尖らせるよう指導された彼女たちは、その後、腫瘍や骨障害で苦しみ、多くが亡くなっていった。のちに5人が雇用主を提訴、長い裁判を経て勝訴したが、ほどなく全員が亡くなる。 『ラジウム・シティ』は内部被曝の存在が広く知られるきっかけとなったラジウム・ガールズたちと、その後の街に生きる人々を描いたドキュメンタリーである。 舞台となるのは、アメリカ中西部のイリノイ州オタワ市。 かつてラジウム・ダイヤル社の工場で多くの人々が亡くなったこの街では、 半世紀以上たってもなお、取り壊された工場の欠片が町中に散らばり、ホットスポットを生み出している。 キャロル・ランガー監督は、かつてのラジウム・ガールズやその家族、そしてオタワの住民たちによる証言を記録し、一本のフィルムとして完成させた。 目に見えない放射能による被害、企業や政府の隠蔽体質、恣意的に引き上げられる安全基準値、地域経済における産業と雇用の抱える困難・・・彼らの証言によって浮き彫りにされるさまざまな問題は、現代を生きるわたしたちにとっても決して無縁のことではない。 本作は国内外の映画祭で高い評価を受け、米国のみならず各国のTV局で放映、アカデミー賞候補と目された。また、米国環境保護庁がオタワの除染作業にスーパーファンド法を適用するきっかけにもなった。
1987/アメリカ/105分/白黒・カラー/モノラル
出演:マリー・ロシター、エディス・ルーニー、ジェーン・ルーニー、ジーン・ルーニー、ケン・リッキ、 シャーロット・ネビンス、マーサ・ハーツホーン、キャロル・トーマス、ジェームス・トーマス、ウェイン・ウィスブロック、 ドン・ホール、ロッキー・レイクス、ボブ・レイクス、メアリー・オズランジ、スティーブン・オズランジ、ジャニス・キーシッグ、 ジョアン・キーシッグ、環境汚染と闘う市民の会
監督・プロデューサー:キャロル・ランガー
音楽:ティミー・カペロ
撮影:ルーク・サッシャー
編集:ブライアン・コトナー、キャロル・ランガー
録音:ジョン・マーフィー
配給:boid
字幕:映画美学校映像翻訳講座
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。