☆『グレート・ビューティー 追憶のローマ』
Bunkamura ル・シネマにて8/23より公開
グレート・ビューティー 追憶のローマ
→http://greatbeauty-movie.com/index.html
旅に出るのは確かに有益だ。
旅は想像力を働かせる。
これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。
これは生から死への架空の旅の物語。
(L.R.セリーヌ『世界の果てへの旅』)
日本では生田耕作の訳で知られるフランス異端文学ルイ=フェルディナン・セリーヌの代表作『夜の果てへの旅』の引用からはじまる『グレート・ビューティー 追憶のローマ』。今年の第86回アカデミー賞最優秀賞外国語映画賞受賞作品がいよいよ8/23よりBunkamuraru ル・シネマより公開されます。
8月段階で、今年日本で公開される「ヴィヴィアン佐藤が選ぶ映画ベスト3」に入る傑作です。
『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』や『きっとここが帰る場所』で世界中にその実力を知らしめた奇才パオロ・ソレンティーノ作品。 本当に素晴し過ぎる世界観です。
これ以上にローマを美しく捉えた映画が今まであったでしょうか。 永遠の都ローマ。ローマと言えばフェリーニの数々の作品群を当然のことながら思い浮かばざるを得ません。
しかし、斜陽とも言える芸術系映画産業。この時代のこれほどの作品をは制作するソレンティーノの才能に脱帽です。
脚本、演技、演出、撮影、音楽、、、すばらしすぎます!!!
65歳を迎えるジェップ・ガンバルデッラは40年前に著した「人間装置」は絶賛され大きな文学賞も受賞した。しかし彼はそれ以来絶筆をし、とある雑誌のイ ンタビューアーとして日々セレブリティの生活を満喫していた。しかし、その一見満たされているような毎日も、彼の中では虚無感に満たされていた。。。
突然、忘れられない初恋の相手の訃報が届き、また周囲の何人かの人間も亡くなり、生きることと死ぬことを廃墟のローマを彷徨いつつ、ローマにいながらにして人生の過去を遡る旅に出る。。。そして再び筆を執ることを決意する。。。
イタリア映画ですが、冒頭のセリーヌの引用にはじまり(それだけでもシビれるのですが、、、)、会話の中には、フローベールが「虚無が描けなかった」こと やブルトンの「私は誰か?」という問い、ドフトエフスキーやプルーストなどが散りばめられており、とても文学的。唯一イタリアの作家ダヌンツィオだけが出 てきます。。。
実際に座礁事故が起きた豪華客船のコンコルディア号の光景が大きく映し出されます。 コンコルディアとは古代ローマでは強調や、相互理解、婚姻の女神のことで、その座礁転覆は何を意味しているのでしょうか。。。
「頭の悪い女」と「年寄りの家の匂い」。。。
これは「何が好きか?」という問いに対するジャップの答え。
ジェップは、若くして「感性」を与えられてしまった、と。
その事で生涯、虚無感を抱いて彷徨う運命に陥る。
これは年老いた『ピノキオの冒険』の変奏の様でもあります。 ピノキオは青い妖精から「生命」を与えられ、様々な誘惑に負け、愚行を繰り返します。そして巨大な鯨(大きな魚)に飲み込まれ、ジュゼッペ爺さんと再会し、今までの人生を反省し再生する物語です。
このジェップもまた「ローマ」という巨大な鯨に飲み込まれ、最後には執筆活動を再開するという内容です。。。もちろん私たち観客も大きな「ローマという 魚」(映画館の隠喩、もしくはシネチッタそのもの?)に飲み込まれ、最後に吐き出される訳ですが。私たちも同じく映画が終わると、映画館(巨大な魚の胃 袋)から吐き出されるのです。。。
数々のローマの廃墟が背景に美しく映し出されます。
その昼と夜、聖と俗、湿と乾、光と影。。。その対立する場所、もしくはその徐々に変化する「瞬間」、刻々と移りゆく明度と彩度、いわゆる「ミネルヴァのフクロウは黄昏時に飛ぶ」その連続する瞬間にこそ、この映画の醍醐味がある様です。
ワンカットの中での移りゆく瞬間の連続。
クラヴシーンではイタリアのラファエラ・カラのハウスバージョンが流れており、そこもグッと来ます。。。姉さん素敵!
(劇中シーン)
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。