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★『ヴィオレッタ』と
『アクト・オブ・キリング』の類似性★

「語り直し」という方法。
ロリータ映画『ヴィオレッタ』と社会派映画『アクト・オブ・キリング』は同手法の映画。

この二本は一方ではフランスの新生ロリータ女優が出ている映画。もう一方は今年のアカデミー賞でも話題になり、これ以上のドキュメンタリーは今後撮影不可能だといわれた超社会派映画。
この二本は実はほとんど同じ手法で作られており、その類似性がとても興味深いのです。

http://violetta-movie.com/
http://www.aok-movie.com/

『ヴィオレッタ』はフランスを代表するカンヌ系の俳優二人イザベル・ユペールとドニ・ラヴァンが熱演していて、フランスのロリータ系女優の新生アナマリア・ヴァルトロメイの初々しい可愛らしい存在が話題です。
撮影は5年も前。2011年にカンヌで上映され、内外に相当の物議を醸し出しました。幼児ポルノや小学生の喫煙など。。。   
日本では公開が危ぶまれて おりましたがついに公開。監督のエヴァ・イオネスコとアナマリア・ヴァルトロメイちゃんが来日を果たすほど日本でも盛り上がりを見せております。。。

日本でも人気の高い女性カメラマン イリナ・イオネスコ。実の娘にエロティックな衣装や下着を着せたり、ヌードの写真を自身のスタジオでさまざまな演出をして撮影されました。種村季弘さんに「アラビア香水の薫る世界」と評されました。
トレヴィルやリブロポートから出た写真集が現在も書店で見ることができます。

この映画では描かれておりませんが、イリナが写真を撮り始めたきっかけというエピソードが文献のインタビューから分かります。
近所の痴呆の少女アヌークという子がいました。彼女は驚くほどイリナの少女時代とそっくりだったといいます。無垢で、痴呆ということが、アヌークの「少女」という美を完全なものにしていた、と。 娘エヴァの写真でスキャンダラスな話題と同時に一躍有名になったイリナですが、エヴァの一連の写真の中にはアヌークのイメージの名残があるといわれています。この映画ではその痴呆の純粋な少女アヌークとの何かしらの決別の直後の物語として描かれているのです。
(エヴァさんは完全に無視しておりますが、、、、それもそのはず彼女は自身の物語にしか興味を持つことが出来なかったからなのです。詳細は後述。)


劇中、エヴァ監督自身がどうして母親の被写体になっていったのか、被写体になってからの親子関係の葛藤や恋人などの人間関係、二人だけの世界から他者という異性が入り込んで対女性との関係にも変化する様子などが描かれていきます。 (エヴァちゃんの小学生時代に愛用していた「ローラスケート」、母親のアトリエで撮影の際に履いていた小さな「ハイヒール」、そして養護施設から「裸足」で抜け出す結末。この変化は興味深いものです。)

劇中で、本人しか知り得ないエピソードや会話などが忠実に再現されます。ですから、これはいわゆる「見やすい劇映画」であったり、何かを言いたいような物 語ではないのです。。。その部分が実はイザベル・ユペールとドニ・ラヴァンという二大俳優を使っているにもかかわらず、B級的な様相を帯びる所以なのです。

しかし、この映画は当時の事実や会話を織り交ぜることが本来の目的で、その文脈や出来事がどう繋がっていくかどうか、ということが目的ではないのです。で すから幾つかの登場人物や文脈が、いわゆる物語映画というジャンルの中での機能は果たしていない部分もあります。途中で消えてしまうコンテクストや突然現われるコンテクストなどが目立ちます。 しかし、それはこの映画においては全く関係のないことなのです。


同じ劇場では、『アクト・オブ・キリング』というインドネシアで、60年代に実際に共産党員を何万人も殺害してきたマフィアの映画が上映されており生ます。なんと、彼らは現在のインドネシア社会では英雄になっております。 彼らに当時どのように殺害したかを再現してもらうというドキュメンタリーです。その再現をしているうちにマフィアのボスは、次第に自分たちのしてきたことが果たして本当に善行だったのかどうか、、、に疑問を持ち始めます。 しかし、実はもともと無意識にそのことについて、彼は50年間悩み続けていたことではないかと思うのです。彼らは50年間心のどこかで疑問を持っていたのです。。 

『ヴィオレッタ』も『アクト・オブ・リング』も本人たちが「語り直し」をすることで、人生において理解できないこと、辻褄の合わない事柄を理解しようとします。人はそのような事柄に出逢うと前に進めなくなるのです。。。

震災の後、太平洋海岸部で一時期幽霊をたくさん見ると言うことを聞いたことがあります。柳田国男『遠野物語』99話でも紹介されておりますが、おそろしく 恐い幽霊ではなく、生前話すことが出来なかったこと、赦し合えなかったことを幽霊とともに語り合うのです。幽霊の必要性が生まれるのです。
強烈で深刻な喪失体験を経験したときには、その癒しの効果として「語り直し」が必要なのです。。。

映画は、その「治癒としての語り直し」の効果があり、この二本の映画から受ける印象は全く異なる質感のものですが、実は同じ構造の治癒という共通の効果を求める映画なのです。。。

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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