★リヴァー・フェニックス
『ダーク・ブラッド』★
リヴァー・フェニックス『ダーク・ブラッド』。
公式サイトにコメント寄せました。第1案が採用(コメントフライヤーは中止)。
4/26satより東京ユーロスペース他でロードショーがはじまりました。
http://www.dark-blood.com/
ほか5/3〜『アメリカン・レガシー』、5/17〜『マイ・プライヴェート・アイダホ』がユーロスペースにて連日15:00上映が決定。併せて宜しくお願いいたします。
★案1: ヒール役のリバー扮するボーイ(名前はない)は、バフィー、ハ リー、アメリカ、そしてアメリカ文化そのものを憎悪し、世界の終焉を切望しているようだ。。しかし、それらすべての陰画という役割 を、彼はたったひとりで背負わされている。世のなかの人間がすべて加害者であり被害者であるという事実。まるでハリウッドの犠牲者と なってしまったようなリヴァー・フェニックス自身を予感しているような、これはハリウッド映画、アメリカ文化への鎮魂の映画なのかも しれない。
★案2: 愛に枯渇し、憂いのある表情 は、ときとしてジェームス・ディーンに比較されるリヴァー・フェニックス。ディーンの『エデンの東』は旧約聖書のカインとアベルの変 奏といわれる。この映画では神に愛されるボーイ(リヴァー)の弟こそは出てこないが、神に愛されたいがために弟的なものを殺してしま いエデンを追放され、彷徨う姿はカインそのもではないか。。砂漠を彷徨うのは中年夫婦ではなく、ボーイ(リヴァー)の方なのだ。
★案3: シュルイツァー監督によって20年振りに、永遠に「未完」という形 で「完成」された『ダーク・ブラッド』。コクトーは「映画は労働している死者を撮影すること」と言った。フェニックスはこの映画の完 成を待たずにこの世を去ることになるのだが、その現実は果たしてこの映画のなかの彼の魅力と何の関係があろうか。世の中の人間がすべ て加害者であり被害者であるという事実を彼は身をもって教えてくれる。
ヴィヴィアン佐藤(美術家/ドラァグクイーン)
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。