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★『世界一美しい本を作る男』
飯沢耕太郎×ヴィヴィアン佐藤トークショウ
10/4fri 21:15- ★

『エルブリ 世界一予約がとれないレストラン』の監督が送る新しいドキュメンタリー作品『世界一美しい本を作る男 シュタイデルとの旅』がイメージフォーラムにて公開中です。

http://steidl-movie.com/

10/4fri21:15から写真評論家の飯沢耕太郎さんと私ヴィヴィアン佐藤の対談が上映前にあります。まだ未見の方はこの際に!!!

写真家のジョエル・スタンフェルド、ロバート・フランク、カール・ラガーフェルド、ギュンター・グラス、ジェフ・ウォールなどの世界的なクリエーターたちとの製本作りの過程のドキュメンタリーです。
映画は実際にクリエーターたちのアトリエや家、別荘にシュタイデル自身が赴き、打合せのために数時間から数日、世界中を旅する軌跡を追います。
実際には旅は嫌いだと言い放つ本人。しかし数ヶ月かかる一案件もたった4日間の打合せの旅によって、輪郭が立上がって来ます。。。
垂涎ものの美しい製本作りの仕事術もさることながら、シュタイデル自身の世界屈指のクリエーターたちとの交渉術が必見です。 あくまでもクライアントである相手の意見や哲学を上手に引き出し、共感し、そして最終的には手なずけてしまうその話術。。。猛獣使いの様でもあります。

シュタイデル自身がほとんど単身で、世界中のクリエーターたちと直接会って濃密な打合せをします。仕事とは「量」より「質」だと断言するシュタイデル。
出来上がった本は、クリエーターたちと過ごした「時間」や「空間」、そのお互い出逢った「体験」の結晶でもあり、クリエーターの哲学とともにシュタイデル自身の哲学がさり気なく、決して出しゃばる事なく、しかししっかりと形となって現われます。

電子書籍が普及し、すべてがデジタル化が進む現在だからこそ輝きを増す書籍たち。
写真家のJ.ウォールはデジタルではその情報量が全く足りず、いまだにフィルム写真を使い続けます。R.フランクの妻はシュタイデルが打合せのために来た 日に彼をモデルとして立たせて、その自画像を描きます。デジタルでは決して囲いきれない領域が確実に存在しているのです。
書籍に限らず、絵画も音楽も映画も「ソフトウェア」と「ハードウェア」の区別をいったい誰が決めたというのでしょうか。。。
そのふたつは完全に分かつものではありません。そのふたつの境界線の壁はフレキシブルに自由に動くべきなのです。 もしくは、「ソフトウェア」といわれているものは更に細分化/近視的・虫瞰視しても良いはずですし、「ハードウェア」といわれているものは更に鳥瞰視して遠距離から捉えても良いはずなのです。

例えば音楽の鑑賞形式は、生演奏、CD、i-tune、レコード、蓄音機、AMラジオ、FMラジオ、近所から聞こえてくる壁越しの音、などさまざまな形が有り得ます。
それら鑑賞態度は、すべて「体験」として鑑賞されている事に私たちは気付くべきなのです。
旅先の古本屋で一冊の本と出逢い、それを其処で読む「体験」。これは明らかに固有の「体験」です。
しかし、ネットで書籍や新聞を読む事もれっきとしたひとつの固有の「体験」なのです。その事をデジタル化は忘れてしまっているのです。デジタルを否定するのではなく、デジタルも本のひとつの形式だという事なのです。

読書においては「速読」だけを信じている読書形式は本当に悲し過ぎます。一冊の本を何年もかけて読む「遅読」も有り得るのです。ある本との関係もまた固有で唯一無二なのです。

シュタイデルは父親との唯一の思い出を語ります。
ある日、父親は幼い彼に絵本をプレゼントします。字の読めない彼に変わって、姉がその絵本を3時間で音読して聞かせてくれました。そしてその本当の関係を終えた仕草をしたシュタイデル。
そのとき彼の父親は、せっかく贈ってあげた絵本がたった3時間で終ってしまった事にショックを受けてしまいます。ただ一度切り、ひとつの物語を追う事はとても馬鹿げている事なのです。

シュタイデルの仕事相手としての人間関係さえも、打合せという形を通しての、唯一無二の固有の「体験」なのです。

彼が世界中を旅すること自体が、その軌跡もまたひとつのドローイングであり、デザインなのです。

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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