★『ミッドナイト・イン・パリ』
ヴィヴィアン佐藤評★
いよいよ土曜日から公開!!!
http://www.midnightinparis.jp/
今年のアカデミー賞の脚本賞を受賞したウッディ・アレンの最新作。もちろんアカデミー賞を受賞したからといって、出席も喜びのスピーチもする訳もなく、当然欠席のアレン監督。
さて、本場NYを飛び出して、ロンドン、バルセロナ、とヨーロッパ放浪撮影の旅に出ているアレン。人種のるつぼたるNYに集まる人々のルーツ、もしくは 20年代「パリのアメリカ人」の時の様に、そのNY⇄パリ(ヨーロッパ)の関係性をもう一度自分でなぞってみたかったのか。。。 あるいはNYに飽 きてしまったのか、もしくはヨーロッパを撮ることで最終的に経験的に厚みを付けてNYで終焉を迎えるつもりなのか。。。
さて。この映画はハリウッドの売れっ子ドラマ脚本家のギルと、妻になるべくイネズ、そして彼女の両親とのパリへの婚前旅行の間のエピソード。ギルたちはハ リウッドにプール付きの豪邸に住むという経済的には何の不満もない暮らしだが、仕事的には不満だらけ。1920年代のパリのジョイスやヘミングウェイを神 として崇めている。そして出来ればパリに住んで、小説家として再出発をしたい、そんな夢を抱いているある意味夢想家。実際現在執筆中の小説は「ノスタル ジーハウス」の主人が主人公。ノスタルジーハウスとはドールハウスや古い切手やコインを集め、販売しているお店。
そんなある夜、一人で歩いてホテルに帰ろうとするが、道に迷ってしまいパリのパサージュや裏道に佇んでいると、24時の鐘とともに一台のクラシックカーに 乗る酔っぱらい集団に声をかけられ、とあるパーティー会場へ。。。そこで出逢った人々はフィッツジェラルド夫妻、ピアノを甘い歌声ともに弾いているのは コール・ポーター、そしてそのパーティを主催しているのはなんとジャン・コクトー!!!1920年代の憧れのパリへタイムスリップしてしまったのだ。訳も 分からず次のバーへ移動するとそこには崇拝しているヘミングウェイが居て、二人っきりで話し合うことに。。。
次の日にイネズに言ってももちろん信用してもらえず、彼女をもその20年代のパリへ連れて行こうとするが、彼女が居る間はそのクラシックカーは来ない。。。
そして今度は画家のピカソや作家/批評家のガートルード・スタイン、ダリ、ブニュエル、マン・レイそして絶世の美女アドリアナと出逢ってしまう。そして恋に落ちる。
ギルは「2010年の現在は退屈だ。20年代こそゴールデンエイジだ!」と言い放つ。そして20年代の芸術家達は「いまの時代は詰まらない、1890年代 のベル・エポックの時代こそがゴールデンエイジだ!」と。そしてアドリアナとギルは今度はその1890年代のパリムーランルージュへタイムスリップしてし まう。そこではロートレックやゴーギャン、ドガなどが居て、彼らは「いまの時代は詰まらない。ルネサンスこそがゴールデンエイジだ」と。
アレンは常に人間が憧れる「いまではないむかし。むかしは良かった。ここではないどこか。」的な心情は、常に人間の心の中に存在することを言いたかったようだ。
インタビューのなかでパリはいままでたくさんのひとたちに因って描かれてきた。しかし今回は誰とも違う「アレン流」でパリを描いてみせた、と。
この映画は一見突拍子もないSF的な時間を旅をする「特別」な話の様に描かれているが、実はけっして「特別」なことではないのかもしれない。
ある仮定として時間は「過去」「現在」「未来」と一時的に一直線に流れるものではなく、三つは常に隣り合わせに存在しているとしたら。。。「現在」にとっ て「過去」は完全に過ぎ去ったもので、「未来」は未だ来ないものではなく、それらはパラレルワールドとして共存しているとしたら。。。 「現在」の人間 は何度でも「過去」を生き返らせることができ、救済することが出来る。そして「現在」の人間は「未来」からの影響を受けている、未来からの光による影法師 の様なものに過ぎない。
パリだけではなく人間の歴史を抱えた大都市ではどこでも、様々な時間の層がそこに横たわっている。モダニズム以降(皮肉にもこの話は20年代モダニズムが 生まれた時代の話)、世の中は平坦で均質空間として捉えられ様としてきた。しかし実際はそうではなく、その土地場所個々の固有のトポスの潜在的な見えない 力がある様に思う。
なので、この話はギルという妄想癖の小説家志望の中年男性の頭の中の「特別」な物語ではなく、誰にでも経験出来る「普通」の物語なのかも知れない。都市を 読み解く際に、その歴史や史実やそこでの文脈コンテクストを利用することで、その都市の垂直的な時間軸を旅することも出来るはずだ。
映画の最中20年代のマン・レイやダリ、ブニュエルたちの会話で、ギルが「ぼくは未来から来た!」と初めて告白してしまうシーンがある。しかし当時のシュルリアリストたちにとってもそれは極当たり前のことで、彼らは「それは理論上ありえる」と大マジメに受け答える。笑
この時間軸の話で言えば、未来との関係も同じで、現在の我々自身が未来からの影響を受けていることが成り立つはずだ。だから今日ランチに何を食べようか、夜はどこに遊びに行こうか、、、と直感的に決断することなどは未来からの影響かも知れない。笑
現在のジョイスの『ユリシーズ』を出版した第二期「シェイクスピア&カンパニー」が出てきたり、劇中レズビアンの『夜の森』を記したジューナ・バーンズとギルが踊る際「道理でリードが上手いはずだ」という台詞などいちいち憎い。
絶世の美女アドリアナことマリアン・コティアールが夢前案内人として時間軸を、ここではない空間に住んでいること。これはディカプリオ、渡辺謙が出演した 大作ハリウッド大作『インセプション』的でもある。また自動車に乗ってここではないところへ気軽に行く様は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的でもあ る。アレン監督の強烈なハリウッドに対する皮肉か、偶然か。。。
金曜日より渋谷Bnkamuraル・シネマ、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ 六本木ヒルズなどで公開!!!超面白いですよ〜!!!
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。