☆桃まつり「すき」3/17sat〜
渋谷ユーロスペースにて☆
共通のキーワード「すき」をテーマに、全く異なる解釈による9人の若手女性監督たちの15〜30分の短編映画を三本ずつ4日間〜5日間、「壱のすき」(3/17-21)「弐のすき」(3/22-25)「参のすき」(3/26-30)の計14日間。
女性監督集団・桃まつりが、今年も今週の3/17satより渋谷ユーロスペースにて21:10から連日上映致します。
さまざまな「すき」。ひとつと同じ「愛の形」がないように、それの「映画の世界」は実に多様。故郷への愛、思春期の恋、友情、家族愛、変態性愛、結婚への愛、終わりに近づく恋愛、、、、など実に様々。。。
体温も心拍数も血圧も全く異なる映画自体の身体。そしてそのなかの様々な「愛」に触れるとき、私達の身体の中にもそれぞれ異なった化学変化を引き起こす。そんな体験です。。。
男性がこのような映画祭を行えば必ずや「対戦型」になるはずですが、不思議とこの女性たちの映画祭は、異なる河の様に干渉することはありません。
私は熊谷まどか監督の『最後のタンゴ』(弐のすき)の作品にパンフレットでコメントを寄せております。。。
上映中舞台挨拶、イベント開催などはサイトにて告知致します!!!
べルトリッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』では名前や過去の無い男女が愛し合う。そして熊谷監督の『最後のタンゴ』では仕事や将来、希望の無い男女が愛 し合う(憎み合う)。。 どちらも言えることは過去や未来はどうでも良く、「いま」を生きることしか出来ないということ。。。熊谷監督の『最後のタンゴ』 では、幸せな恋人時代において、二人は同じ時間や感情を共有していたとは必ずしも限らない。もしくは彼が出て行ったあと、二人の思いや感情は同棲時代より さらに深く共有していたかもしれない。恋人同士とは一卵性双生児の様に喜怒哀楽を別れたあとも共有するものだ。
彼を最後まで登場させない。熊谷監督の『最後のタンゴ』によって、オゾンの『8人の女たち』のように、物語において「男」は全く必要ないということが証明されたわ。
ヴィヴィアン佐藤(美術家、ドラァククイーン)
公式サイト http://www.momomatsuri.com/
協賛:資生堂 はたらいく
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。